世界文化遺産・金閣寺と西園寺の遺構を偲ぶ
室町幕府3代将軍・足利義満が金閣寺を造営する前は、この地に西 園 寺という豪壮な寺がありました。 鎌倉時代の公卿である西園寺公経は、大伽藍を誇る別荘を造営しました。 その当時の遺仏が石不動ですが、秘仏のため今日は見ることができません。僅かな遺構?を探してみました。
鏡湖池の周回する砂利道を山側に移動し、しばらく金色の金閣とはお別れ。 そして山裾に巌下水を見つけました。
立札に、「足利義満公お手洗いの水」と書いてありました。
そして、その先にあるのが、金閣寺垣です。
小竹垣の代表とされ、両側に背の低い竹垣となっています。通行不可が残念です。
金閣寺垣を過ぎたところに、涼しげな水の音が。 龍 門 瀧と言われる滝で、高さ2.3㍍の高さから落ちる水しぶきが涼しげ。
今にも跳ね上がろうとする龍の姿が、動きのある石(鯉魚石)で表されています。
その龍門瀧の向こうで、盛んにコインを観光客が投げてます。 何だろうか見てみると、そこにはお地蔵さんがあって・・・。
お地蔵さんの真ん中にお椀があり、そのお椀めがけてコインを投げてました。何かいいことがあるの?
そして階段を上がって行くと、金閣寺で一番高い位置に出ます。 そこの池を安 民 沢(あんみんたく)といい、真ん中には白蛇塚という島があります。
雨乞いの場とされた池の中に、西園寺家の鎮守という多宝塔が立っています。この池は同家当時の遺跡をとどめていると言われてます。
ここから茶室・夕佳亭に向かいますが、途中に見 返 り 金 閣と言われる金閣が見える場所があります。
タクシーの運転手だと思いますが、「もうここしか金閣はみえへんで、写真撮っときや」と大きな声で案内してます。その通り、ここから見える金閣が最後です。よく見ると鳳凰とてっぺんに何かが止まっている。ズームしたらカラスでした。
そして夕 佳 亭(せっかてい)へ
江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶室です。寛永年間に後水尾天皇を迎えるために造られたと伝わってます。現在の建物は、1874年(明治7)の再建です。
夕佳亭の横に、貴 人 橸(きんじんとう)という腰掛石がありました。
室町幕府より移設された、高貴な人が座られた腰掛け石のこと。
そして、夕佳亭の前には、富士形の手水鉢がありました。
銀閣寺でお馴染みの室町幕府8代将軍・足利義政公の愛用の手水鉢。富士形と書いてあったので、座って横から撮ってみました。富士山の形に似ている?
そしてその横には、石 灯 籠が
まぁ、こんな背の低い石灯籠も珍しい?
ここまで来て、もう一度金閣を見たくても戻ることはできません。(人波をかき分けて戻ることはできないこともないけど・・・)
夕佳亭から不動堂へ続く参 道。 有料の茶席なんかがあります。
たまたま人波が途切れました。
そして出口を出ると不 動 堂が
不動堂に出てしまうと金閣寺へは戻ることは出来ません。 ここでは、京都名品展などの土産物店が並んでいます。朱印もここでしてくれます。 この不動堂は、西園寺の別荘時代でも名は見られますが、この建物は天正年間に宇喜多秀家によって再建されたもの。
なお、不動明王立像(石不動)は、節分と五山の送り火の日に見ることができます。
前回の模様はこちらから→http://68971846.at.webry.info/200910/article_16.html

鏡湖池の周回する砂利道を山側に移動し、しばらく金色の金閣とはお別れ。 そして山裾に巌下水を見つけました。
立札に、「足利義満公お手洗いの水」と書いてありました。
そして、その先にあるのが、金閣寺垣です。
小竹垣の代表とされ、両側に背の低い竹垣となっています。通行不可が残念です。
金閣寺垣を過ぎたところに、涼しげな水の音が。 龍 門 瀧と言われる滝で、高さ2.3㍍の高さから落ちる水しぶきが涼しげ。
今にも跳ね上がろうとする龍の姿が、動きのある石(鯉魚石)で表されています。
その龍門瀧の向こうで、盛んにコインを観光客が投げてます。 何だろうか見てみると、そこにはお地蔵さんがあって・・・。
お地蔵さんの真ん中にお椀があり、そのお椀めがけてコインを投げてました。何かいいことがあるの?

そして階段を上がって行くと、金閣寺で一番高い位置に出ます。 そこの池を安 民 沢(あんみんたく)といい、真ん中には白蛇塚という島があります。
雨乞いの場とされた池の中に、西園寺家の鎮守という多宝塔が立っています。この池は同家当時の遺跡をとどめていると言われてます。
ここから茶室・夕佳亭に向かいますが、途中に見 返 り 金 閣と言われる金閣が見える場所があります。
タクシーの運転手だと思いますが、「もうここしか金閣はみえへんで、写真撮っときや」と大きな声で案内してます。その通り、ここから見える金閣が最後です。よく見ると鳳凰とてっぺんに何かが止まっている。ズームしたらカラスでした。

そして夕 佳 亭(せっかてい)へ
江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶室です。寛永年間に後水尾天皇を迎えるために造られたと伝わってます。現在の建物は、1874年(明治7)の再建です。
夕佳亭の横に、貴 人 橸(きんじんとう)という腰掛石がありました。
室町幕府より移設された、高貴な人が座られた腰掛け石のこと。
そして、夕佳亭の前には、富士形の手水鉢がありました。
銀閣寺でお馴染みの室町幕府8代将軍・足利義政公の愛用の手水鉢。富士形と書いてあったので、座って横から撮ってみました。富士山の形に似ている?
そしてその横には、石 灯 籠が
まぁ、こんな背の低い石灯籠も珍しい?
ここまで来て、もう一度金閣を見たくても戻ることはできません。(人波をかき分けて戻ることはできないこともないけど・・・)
夕佳亭から不動堂へ続く参 道。 有料の茶席なんかがあります。
たまたま人波が途切れました。

そして出口を出ると不 動 堂が
不動堂に出てしまうと金閣寺へは戻ることは出来ません。 ここでは、京都名品展などの土産物店が並んでいます。朱印もここでしてくれます。 この不動堂は、西園寺の別荘時代でも名は見られますが、この建物は天正年間に宇喜多秀家によって再建されたもの。
なお、不動明王立像(石不動)は、節分と五山の送り火の日に見ることができます。
前回の模様はこちらから→http://68971846.at.webry.info/200910/article_16.html