国内最古の違法建築 浄福寺へ
今年の秋も「第47回 京都非公開文化財特別公開」が始まり、10月29日(土)に浄福寺に行ってきました。
浄福寺は、浄土宗の寺院で恵照山 浄福寺といいます。
数日前、毎日新聞のコラムで「国内最古の違法建築」初の一般公開と書いてあって、記事を読んで興味が出て見て来ました。電車とバスの乗換がスムーズに行ったため、予定より随分早く着きすぎました。
今なら空いている境内でゆっくり写真でも・・・。
浄福寺には初めて来ました。今出川浄福寺のバス停を降りて、浄福寺通りを南へ250㍍ほど下がると東門が見えてきます。
朱塗りの門(京都市指定文化財)。近所の人には赤門寺と呼ばれているらしい。
赤門をくぐると広い参道が
浄福寺に初めて訪れました。本堂が何処にあるんだろうと思うぐらい広い敷地に驚き。ただここには幼稚園があり、帰りにはこの参道一杯に車や自転車が止まってて、違う意味でこれまた驚き。
赤門を入ってすぐに護法大権現や天狗を祀るお堂があり
珍しいのは天狗が祀られていることで、瓦にも天狗のうちわの模様がありました。
1788年(天明8年)天明の大火が起こり火は浄福寺にも迫りましたが、この東門(赤門)の手前で止まりました。 火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗で、天狗は赤門の上で巨大なうちわをあおいで火を消したという故事にちなんでいます。
次に目にするのが宝 蔵
そして少し進むと釈迦堂(京都市指定文化財)が
1756年(宝暦6)の再建
参道の突き当たりにある、違法建築?の本堂は後程、先に南 門(京都市指定文化財)へ
享保の大火で大きくの伽藍が失われるが、この南門と鐘楼は焼失をまぬがれた。1657年(明暦3)の再建。
そして南門を入って西側に、その鐘 楼(京都市指定文化財)が
1628年(寛永5)の再建
南門を入って直ぐの西側には弁財天社が
そしていよいよ本堂へ、その前に本堂前の西側にあるのが地 蔵 堂が
お堂の中には地蔵菩薩立像が祀られています。
そして、違法建築?の本 堂(京都指定文化財)
1731年~1733年(享保16~18)にかけて再建された。須弥壇上には、本尊の阿弥陀如来坐像を安置。
浄福寺は室町時代末の1525年(大永5)に後柏原天皇より念仏三昧の勅号を賜って浄土宗を兼ねて知恩院の末寺となり、1615年(元和元年)に現在の地に移転し現在に至っています。
9時の拝観受付時間がきたので、玄関へ。
正面が書院玄関。書院と玄関ともに京都市指定文化財。通常は書院にて朱印は受付ているみたいです。張り紙がありました。
そして受付は左手に
通常非公開のため方丈入口が臨時の拝観受付所になっていました。拝観料800円 9時~。ここから先は撮影禁止です。
先に本堂で、学生さんのガイドさんよりこの浄福寺の歴史や何故日本最古の違法建築か?との説明があります。
何故、日本最古の違法建築なのか? 徳川幕府は建造物の奥行きを3間(けん)(約5・4メートル)以内に抑える「三間梁(さんげんはり)規制」(現在の建築基準法)江戸時代前期に定め、八代将軍・吉宗の「享保の改革」で厳格に運用するようになったとされる。浄福寺本堂は1730年(享保15)の大火で焼失しており、再建時には掟に従う必要があった。そこで設計に工夫し、外観は2つの建物が並んで見えるが、実は内部は1つの大きな空間になっている。そこが日本最古の違法建築と言われる由縁です。
本堂から次に書院に移動し、土佐光信筆「十王図」(重要文化財)を案内されます。 そして特別拝観中は住職さんより、「十王図の絵解き」が行われますが、私が訪れた昨日は、10時30分からだったんで聞けませんでした。聞くと外出されていたと説明を受けました。
次に方丈で、山田文厚筆「天井龍図」(手をたたくと響く鳴龍となっています。)と岸駒筆の襖絵「十六羅漢図」の説明を受けます。
なお、朱印は書院で受付があるので、その場で書いていただけます。説明はそんなに時間を取らないので拝観時間は30分もあれば充分です。
そして出てから違法建築を外から見てみました。
松の木で見にくいけど建物がつながっているのがお分かりかと思います。
案内には日本最古の違法建築と書いてありましたが、今年の夏に金沢旅行で忍者寺(妙立寺)を見てきました。その妙立寺は3階以上tが御法度の時代であったため、外観は2階建てだが、内部は4階建て7層となっていました。これもれっきとした違法建築
そして年代が1643年(寛永20)。こちらの方が古いじゃないか
と思いつつ浄福寺を後にしました。
忍者寺(妙立寺)の模様はこちから→https://mahopika.seesaa.net/article/201109article_3.html
浄福寺では歴史建築学の観点からこれまで学術関係者に限って見せていましたが、今年の特別拝観にて初めて公開されました。 11月6日(日)まで。

浄福寺は、浄土宗の寺院で恵照山 浄福寺といいます。
数日前、毎日新聞のコラムで「国内最古の違法建築」初の一般公開と書いてあって、記事を読んで興味が出て見て来ました。電車とバスの乗換がスムーズに行ったため、予定より随分早く着きすぎました。


浄福寺には初めて来ました。今出川浄福寺のバス停を降りて、浄福寺通りを南へ250㍍ほど下がると東門が見えてきます。
朱塗りの門(京都市指定文化財)。近所の人には赤門寺と呼ばれているらしい。
赤門をくぐると広い参道が
浄福寺に初めて訪れました。本堂が何処にあるんだろうと思うぐらい広い敷地に驚き。ただここには幼稚園があり、帰りにはこの参道一杯に車や自転車が止まってて、違う意味でこれまた驚き。

赤門を入ってすぐに護法大権現や天狗を祀るお堂があり
珍しいのは天狗が祀られていることで、瓦にも天狗のうちわの模様がありました。
1788年(天明8年)天明の大火が起こり火は浄福寺にも迫りましたが、この東門(赤門)の手前で止まりました。 火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗で、天狗は赤門の上で巨大なうちわをあおいで火を消したという故事にちなんでいます。
次に目にするのが宝 蔵
そして少し進むと釈迦堂(京都市指定文化財)が
1756年(宝暦6)の再建
参道の突き当たりにある、違法建築?の本堂は後程、先に南 門(京都市指定文化財)へ
享保の大火で大きくの伽藍が失われるが、この南門と鐘楼は焼失をまぬがれた。1657年(明暦3)の再建。
そして南門を入って西側に、その鐘 楼(京都市指定文化財)が
1628年(寛永5)の再建
南門を入って直ぐの西側には弁財天社が
そしていよいよ本堂へ、その前に本堂前の西側にあるのが地 蔵 堂が
お堂の中には地蔵菩薩立像が祀られています。
そして、違法建築?の本 堂(京都指定文化財)
1731年~1733年(享保16~18)にかけて再建された。須弥壇上には、本尊の阿弥陀如来坐像を安置。
浄福寺は室町時代末の1525年(大永5)に後柏原天皇より念仏三昧の勅号を賜って浄土宗を兼ねて知恩院の末寺となり、1615年(元和元年)に現在の地に移転し現在に至っています。
9時の拝観受付時間がきたので、玄関へ。
正面が書院玄関。書院と玄関ともに京都市指定文化財。通常は書院にて朱印は受付ているみたいです。張り紙がありました。
そして受付は左手に
通常非公開のため方丈入口が臨時の拝観受付所になっていました。拝観料800円 9時~。ここから先は撮影禁止です。
先に本堂で、学生さんのガイドさんよりこの浄福寺の歴史や何故日本最古の違法建築か?との説明があります。
何故、日本最古の違法建築なのか? 徳川幕府は建造物の奥行きを3間(けん)(約5・4メートル)以内に抑える「三間梁(さんげんはり)規制」(現在の建築基準法)江戸時代前期に定め、八代将軍・吉宗の「享保の改革」で厳格に運用するようになったとされる。浄福寺本堂は1730年(享保15)の大火で焼失しており、再建時には掟に従う必要があった。そこで設計に工夫し、外観は2つの建物が並んで見えるが、実は内部は1つの大きな空間になっている。そこが日本最古の違法建築と言われる由縁です。
本堂から次に書院に移動し、土佐光信筆「十王図」(重要文化財)を案内されます。 そして特別拝観中は住職さんより、「十王図の絵解き」が行われますが、私が訪れた昨日は、10時30分からだったんで聞けませんでした。聞くと外出されていたと説明を受けました。
次に方丈で、山田文厚筆「天井龍図」(手をたたくと響く鳴龍となっています。)と岸駒筆の襖絵「十六羅漢図」の説明を受けます。
なお、朱印は書院で受付があるので、その場で書いていただけます。説明はそんなに時間を取らないので拝観時間は30分もあれば充分です。

そして出てから違法建築を外から見てみました。
松の木で見にくいけど建物がつながっているのがお分かりかと思います。

案内には日本最古の違法建築と書いてありましたが、今年の夏に金沢旅行で忍者寺(妙立寺)を見てきました。その妙立寺は3階以上tが御法度の時代であったため、外観は2階建てだが、内部は4階建て7層となっていました。これもれっきとした違法建築


忍者寺(妙立寺)の模様はこちから→https://mahopika.seesaa.net/article/201109article_3.html
浄福寺では歴史建築学の観点からこれまで学術関係者に限って見せていましたが、今年の特別拝観にて初めて公開されました。 11月6日(日)まで。