山形有朋の別荘 無鄰庵へ(その1)

南禅寺の西側にある、明治の元勲・山形有朋の別荘 無 鄰 庵 に行ってきました。

山形有朋の故郷・山口県で営んだ草庵名にちなみ「無鄰庵」と名づけられた。無鄰庵の大半は庭園が占め、山形有朋の指示で7代目・小川治兵衛が作庭・施工。東山を借景に疎水の水を取り入れた、池泉回遊式庭園となっています。

1941年(昭和16)に京都市へ寄贈され,1951年(昭和26)に,国の名勝に指定されています。


3連休の初日、絶好の行楽日和に恵まれ、地下鉄「蹴上駅」から歩いて無鄰庵に向かいました。徒歩10分もかかりません。 ほどなく表 門に到着。

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入園時間は9時からですが、5分ほど早く着いてしまいました。外から職員の方が掃除に出てこられたので、「9時からですね?」と聞くと、「入れますよ」と言われたので、少し早かったけど、入れてもらいました。 入園料400円。


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無鄰庵には、4年振りに訪れました。あまり知られてなかった庭園が、「ズームイン朝!!」の紅葉中継で取り上げられ、それで見に行ったかと思います。


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庭園と洋館、先に庭園を見に行きました。(当然です


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母屋から見た庭園の全景です。庭園の模様は、後日にします。 


先に洋 館を!!

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1898(明治31年)に建てられた。日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれたことでも知られています。

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入口の重厚そうな扉 常に開かれています。

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洋館の1階。小川治兵衛の作庭した庭がパネルで紹介されています。

内部の撮影はフラッシュの使用は禁止されていますが、OKでした。

そして、無鄰庵会議が開かれた部屋がある2階へ。

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2階からも庭園が望めました。

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薄暗い廊下の突き当たりに、「無鄰庵会議」が開かれた部屋があります。フラッシュが使えないので、少し薄暗いですが、文化財保護のためです。


1903年(明治36)4月21日に、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文・総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれたんですね。知りませんでした。当時の模様を今に伝える基調な部屋です。

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山形有朋が愛用した、椅子。

無鄰庵の見所は小川治兵衛が作庭した庭ですが、洋館を目当ての人も。山形有朋は、この無鄰庵の他に、東京に「椿山荘」、小田原に「古稀庵」、大磯に「小淘庵」の別荘や庭園を設けた。

最初に見て廻った庭園は、後日にアップします。


洋館を出てから、無鄰庵を後にしました。

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表門を出て、仁王門通りから動物園の方を見る。

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そして仁王門通りを出て、疎水の向こうに京都市動物園が。

最後に、無鄰庵とは全く関係はありませんが、無鄰庵の向かいに-京都料理の老舗 瓢 亭がありました。

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私には敷居が高すぎて・・・・・。



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