謎を秘めた石庭 龍安寺へ
連休二日目の10月9日の朝、世界文化遺産 龍安寺に行きました。
龍安寺は、なんと言っても石庭で有名です。正式には 臨済宗妙心寺派 大雲山 龍安寺 と言います。
龍安寺には、嵐電へ行きました。嵐電「龍安寺道」下車、案内に下がって北に進むと、ほどなく「大雲山龍安寺」と書いてある石碑と門に出合います。
ススキの花穂が出て、いかにも秋らしい。少し進むと「きぬがけの路」に出ます。
「きぬがけの路」は、1963年(昭和38年)に開通した、観光道路で、衣笠山の麓に沿って金閣寺から始まり、石庭で有名な龍安寺を経て、御室の仁和寺に至る全約2.5キロメートルの路をさします。
詳しく知りませんが、多分この「きぬがけの路」の開通により、参道が分断されたと思います。電車で来ない限りこの門や石碑には気がつかないでしょう。 信号があるこの路を渡り、石畳を少し進むと山 門とその手前に拝観受付があります。
山門は、1680年(宝暦8)の再建された切妻造の薬医門です。この山門の手前に拝観受付があり、拝観料500円。7時50分頃でしたので、「石庭の拝観は8時からで、先に鏡容池でも見て下さい」と案内されました。
なお、石庭の拝観には、拝観料が必要ですが、境内や鏡容池を見るには必要がありません。そのまま山門を進めばOKです。
山門をくぐ、参道の左手には鏡 容 池があり、池の廻りを散策でき、春は桜、秋は紅葉と四季を通じて楽しめます。
明治末期までは、オシドリの名所として知られていた。池には睡蓮や菖蒲が自生し、楽しませてくれる。 背景の山は衣笠山から続く朱山(しゅざん)です。
そして少し西に進むと、池の中に水 分 石を確認できます。
池の水量を調整るのに目安とした石。
今日は、ここまで。石庭を静かな雰囲気で見たいので、少し時間前に着くように向かいました。
秋の紅葉では多分真っ赤に染まるであろう、参道を石庭の方に向かいます。
まだ、紅葉時期に来ていないので、何とも言えませんが、モミジが植わっているので、多分綺麗だと思うのですが。
そして庫裡手前の階段下には、ここもススキの花穂と萩の花が咲いていました。
石庭拝観入口のある庫 裡は階段を上がったところ。また、両側の垣は、龍安寺垣と呼ばれています。
禅宗寺院ではお馴染みの庫裡と、割竹を腹合わせにして菱形に組み込まれた背の低い竹垣は。龍安寺垣と呼ばれています。庫裡は本来、寺の台所の意味でしたが、現在は拝観者の玄関になっています。天龍寺・建仁寺・南禅寺・東福寺みんなそうです。
下から何人かが入っていかれるが見えていました。「拝観が始まったんだなぁ」と思い階段を登り始めたら、中から賑やかな聞こえてくる。小さい子供の声など・・・。嫌な予感が・・・。そして、庫裡を入って、拝観券を受付の人に渡して、中に入りると石庭前には、人だかりが。いったい何時に入れたんだろう・・・。
ここに来る人のお目当ては、石 庭でしょう。外国の要人もここに来られます(エリザベス女王は絶賛されました)。石庭の謎は、いろいろあります。先ず石庭を取り囲む土塀が異常に低いことと、また、砂上に配された15個の石は何を意味するのか?それと白川砂に描かれた模様は?等々。 ゆっくり静かな時間を過ごして見てみたいところです。
石庭東端から全体を見る
東端の石組。主石と両脇の石、5個の組み合わせになっています。
油小塀沿いにある細長い2個の石組みは、細長く大きい方が細粒花崗岩。小さい石が緑色片石です。その細長い石には、小太郎・清二郎という名が刻まれているという。
庭園西端の石組みで3組8個で構成されています。
ここに来て、石庭の写真を撮ったあとは、腰を下ろしてゆっくり過ごしました。 約20分ほどここに座っていましたが、狭い庭園のため入替が多く、次から次から家族連れが入っては直ぐに引き上げられます。庭園前で記念写真を撮ったら充分なんでしょう。 さすがに世界文化遺産に登録されただけあります。外国人観光客も多いしね。
方丈の南庭(石庭)を始め、縁側にそって西庭と北庭があり、西庭には非公開の仏殿とをつなぐ渡り廊下がありますが、その先には進めません。
龍安寺は非公開が多く、仏殿や襖絵。細川廟がある西の庭など。いつ特別拝観があるのか待っていますが、なかなか・・・・。
そして北庭には、「吾唯知足」と模刻された蹲 踞が有名ですが、ここに置いてあるのはレプリカ。本物は非公開です。
この北庭も、秋の紅葉は見事らしい。この蹲踞は、水戸藩主・徳川光圀の寄進という。本物は、非公開の茶室「蔵六庵」の前に置かれている。
蹲踞に書かれている文字は。「吾唯足知(われただたるをしる)」・・・「己をよく知り貧欲になりすぎるな」という意味だそうです。
方丈(重要文化財内)には入れませんが、襖 絵は外からみることができます。
写真が撮れるのは、当然レプリカ。 本物は「龍図」「金剛山図」で非公開です。
実は、今日の目的は、家族で待ち合わせをしている寺宝展が開催されている等持院なんです。せっかの休みに等持院だけで帰るのははもったいないので、朝早くから公開している近くの龍安寺に私だけ来ました。 等持院には9時15分に待ち合わせしているので、まだまだ時間は余裕があったんです。が、メールが来て、「早く着きすぎて、まもなく等持院に着きます」とメールが入ったので、予定より10分早くここをでることにしました。
石庭のある方丈を出て鏡容池を右手に見ながら、等持院に向かいました。
写真右端に見えているのが、陸続きの弁天島。
等持院には、徒歩5分程度で行けます。龍安寺の駐車場を横切りきぬがけの路に出て、立命館大学の校舎の横の路をくねくね入ったところに等持院があるんです。この模様は後日にします。
龍安寺は、なんと言っても石庭で有名です。正式には 臨済宗妙心寺派 大雲山 龍安寺 と言います。
龍安寺には、嵐電へ行きました。嵐電「龍安寺道」下車、案内に下がって北に進むと、ほどなく「大雲山龍安寺」と書いてある石碑と門に出合います。
ススキの花穂が出て、いかにも秋らしい。少し進むと「きぬがけの路」に出ます。
「きぬがけの路」は、1963年(昭和38年)に開通した、観光道路で、衣笠山の麓に沿って金閣寺から始まり、石庭で有名な龍安寺を経て、御室の仁和寺に至る全約2.5キロメートルの路をさします。
詳しく知りませんが、多分この「きぬがけの路」の開通により、参道が分断されたと思います。電車で来ない限りこの門や石碑には気がつかないでしょう。 信号があるこの路を渡り、石畳を少し進むと山 門とその手前に拝観受付があります。
山門は、1680年(宝暦8)の再建された切妻造の薬医門です。この山門の手前に拝観受付があり、拝観料500円。7時50分頃でしたので、「石庭の拝観は8時からで、先に鏡容池でも見て下さい」と案内されました。
なお、石庭の拝観には、拝観料が必要ですが、境内や鏡容池を見るには必要がありません。そのまま山門を進めばOKです。
山門をくぐ、参道の左手には鏡 容 池があり、池の廻りを散策でき、春は桜、秋は紅葉と四季を通じて楽しめます。
明治末期までは、オシドリの名所として知られていた。池には睡蓮や菖蒲が自生し、楽しませてくれる。 背景の山は衣笠山から続く朱山(しゅざん)です。
そして少し西に進むと、池の中に水 分 石を確認できます。
池の水量を調整るのに目安とした石。
今日は、ここまで。石庭を静かな雰囲気で見たいので、少し時間前に着くように向かいました。
秋の紅葉では多分真っ赤に染まるであろう、参道を石庭の方に向かいます。
まだ、紅葉時期に来ていないので、何とも言えませんが、モミジが植わっているので、多分綺麗だと思うのですが。
そして庫裡手前の階段下には、ここもススキの花穂と萩の花が咲いていました。
石庭拝観入口のある庫 裡は階段を上がったところ。また、両側の垣は、龍安寺垣と呼ばれています。
禅宗寺院ではお馴染みの庫裡と、割竹を腹合わせにして菱形に組み込まれた背の低い竹垣は。龍安寺垣と呼ばれています。庫裡は本来、寺の台所の意味でしたが、現在は拝観者の玄関になっています。天龍寺・建仁寺・南禅寺・東福寺みんなそうです。
下から何人かが入っていかれるが見えていました。「拝観が始まったんだなぁ」と思い階段を登り始めたら、中から賑やかな聞こえてくる。小さい子供の声など・・・。嫌な予感が・・・。そして、庫裡を入って、拝観券を受付の人に渡して、中に入りると石庭前には、人だかりが。いったい何時に入れたんだろう・・・。
ここに来る人のお目当ては、石 庭でしょう。外国の要人もここに来られます(エリザベス女王は絶賛されました)。石庭の謎は、いろいろあります。先ず石庭を取り囲む土塀が異常に低いことと、また、砂上に配された15個の石は何を意味するのか?それと白川砂に描かれた模様は?等々。 ゆっくり静かな時間を過ごして見てみたいところです。
石庭東端から全体を見る
東端の石組。主石と両脇の石、5個の組み合わせになっています。
油小塀沿いにある細長い2個の石組みは、細長く大きい方が細粒花崗岩。小さい石が緑色片石です。その細長い石には、小太郎・清二郎という名が刻まれているという。
庭園西端の石組みで3組8個で構成されています。
ここに来て、石庭の写真を撮ったあとは、腰を下ろしてゆっくり過ごしました。 約20分ほどここに座っていましたが、狭い庭園のため入替が多く、次から次から家族連れが入っては直ぐに引き上げられます。庭園前で記念写真を撮ったら充分なんでしょう。 さすがに世界文化遺産に登録されただけあります。外国人観光客も多いしね。
方丈の南庭(石庭)を始め、縁側にそって西庭と北庭があり、西庭には非公開の仏殿とをつなぐ渡り廊下がありますが、その先には進めません。
龍安寺は非公開が多く、仏殿や襖絵。細川廟がある西の庭など。いつ特別拝観があるのか待っていますが、なかなか・・・・。
そして北庭には、「吾唯知足」と模刻された蹲 踞が有名ですが、ここに置いてあるのはレプリカ。本物は非公開です。
この北庭も、秋の紅葉は見事らしい。この蹲踞は、水戸藩主・徳川光圀の寄進という。本物は、非公開の茶室「蔵六庵」の前に置かれている。
蹲踞に書かれている文字は。「吾唯足知(われただたるをしる)」・・・「己をよく知り貧欲になりすぎるな」という意味だそうです。
方丈(重要文化財内)には入れませんが、襖 絵は外からみることができます。
写真が撮れるのは、当然レプリカ。 本物は「龍図」「金剛山図」で非公開です。
実は、今日の目的は、家族で待ち合わせをしている寺宝展が開催されている等持院なんです。せっかの休みに等持院だけで帰るのははもったいないので、朝早くから公開している近くの龍安寺に私だけ来ました。 等持院には9時15分に待ち合わせしているので、まだまだ時間は余裕があったんです。が、メールが来て、「早く着きすぎて、まもなく等持院に着きます」とメールが入ったので、予定より10分早くここをでることにしました。
石庭のある方丈を出て鏡容池を右手に見ながら、等持院に向かいました。
写真右端に見えているのが、陸続きの弁天島。
等持院には、徒歩5分程度で行けます。龍安寺の駐車場を横切りきぬがけの路に出て、立命館大学の校舎の横の路をくねくね入ったところに等持院があるんです。この模様は後日にします。