寺宝展開催の等持院へ

毎年、10月の5日間、等持院では寺宝展が開催されます。今年は10月7日~11日の5日間でした。 龍安寺から徒歩5分程度で等持院に到着。 先に着いていた家族と合流して、中へ。


龍安寺から来たので、西入口から入り、表 門

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1808年(文化5)の再建。一間一戸の薬医門で、切妻造、本瓦葺です。


そして直ぐに拝観受付がある庫 裡

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1808年(文化5)の再建。切妻造、本瓦葺で、棟に煙出しの櫓を載せている。また、足利家の家紋も見えます。

現在の住職さんは天龍寺の管長さんですが、不在のため天龍寺の副住職さんが来られています。以前は拝観時間が8時からとなっていましたが、現在は9時からに変わっています。古いパンフレットなんかは8時のままになっているようですが、注意して下さい。拝観料は通常500円。寺宝展は+100円。

その和尚さんの出迎えを受けて、方丈内の寺宝展へ等持院絵図(重要文化財)、夢窓国師や足利尊氏の書などゆっくりじっくり見せてもらいました。


そして、足利尊氏公若き日の徳川家康公を初め、室町幕府歴代将軍の肖像彫刻がある霊光殿内陣を見学したあと、芙蓉の花咲芙 蓉 池(西 庭)

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サツキの時期と違って殆ど期待してなかったけど、芙蓉の花が咲いていて美しさにうっとりするほど、綺麗でした。

夢窓国師作庭と伝わる庭で、衣笠山を借景にしていますが、近年立命館大学の校舎が建ち、すっかり山は見えなくなりました。等持院も校舎沿いに高い木を植えて隠したりしていますが限界でしょう。 この建物が無かったらと考えてしまいます。


書院からスリッパを履いて庭におり、先ず目指すのは茶室「清漣亭」です。

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写真右側の茅葺屋根と左の桟瓦屋根の2棟続きの茶室で、江戸時代中期に建てられた思われる。建物西側(左)は、1896年(明治29)に付設されたもの。


茶室「清漣亭」内部

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長四畳の茶室で、右奥の一畳を貴人座の上段として、その下に一畳の客座を設けている。上段のの間の背後に火燈風の連子窓を付けている。


茶室「清漣亭」の東側には、司馬温公型手水鉢があり

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自然石風の平面をやや楕円形に水溜を掘ったもの。中国宗時代の政治家であり学者の司馬温公が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんでいる。


その南側には、等持院型石灯籠があります。

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禅宗寺院の茶室の傍らには手水鉢や灯路が置かれています。この石灯籠も茶人の間ではよく知られたもので、等持院型石灯籠と呼ばれています。

その茶室「清漣亭」の東にある、心字池に向かいます。


その途中にあるのが、足利家十五代供養塔があります。

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この等持院は足利家の墓所でもあります。十三重塔となっており、大切の供養されている。


芙蓉池から心字池の小道にはモミジが覆い茂って、秋の紅葉は綺麗なんだろうと思ってしまいます。

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和尚さんに聞いても、ここの紅葉は綺麗らしい。11月下旬には是非再訪したい!!


そして心字池(東庭)

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池の中に蓬莱島があり、大きな樹木が覆い茂っている。その蓬莱島には、かつて妙音閣があった跡が残る。

芙蓉池と心字池とを結ぶ小道。

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心字池の廻りを一周できるようになっています。


足利尊氏公の墓と伝わる宝筐印塔

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尊氏の法名は、等持院仁山妙義と称した。


再び書院に戻って、お抹茶をいただきました。

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お茶を習っている母は、ここの抹茶は美味しいらしい。 私には分かりませんが。


連休二日目も快晴の天気に恵まれました。等持院には何度か来てますが、ここ最近が雨模様だったので良かったです。

龍安寺の時に書きましたが、きぬがさの路ができ金閣寺・龍安寺・仁和寺は便利になりましたが、この等持院だけは離れてしまったため、取り残されたようになってしまいました。 和尚さんは観光客を増やすようにいろいろ苦心されてるみたいです。最大のネックは観光バスが入って来られないことだろうか?

行きは龍安寺から来たので、山  門を通ってません。 嵐電「等持院」から帰るためこの門をくぐりました。

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山門は、一間一戸の薬医門で切妻造。この山門から境内伽藍まで、その間は住宅街になっています。かつては相当広かったんだろと思います。また、手前には石橋がかかるが昔は堀でもあったんだろうか? 当時の寺勢が偲ばれる。

早朝から龍安寺、そして等持院と廻れました。何よりも天気に恵まれたことが嬉しかったです。