世界文化遺産 宇治上神社へ
平等院から宇治上神社へ行くには、宇治川を渡らなければなりません。平等院を南に少しだけ下ると橘 橋が架かっています。
宇治川の中州に架かっています。橋の上から宇治橋を撮って見ました。先ほどの紫式部像があった橋で、行きはあの橋を渡ってきたんです。琵琶湖から流れ出た川は、瀬田川から宇治川に名を変え、その上流には天ヶ瀬ダムがあって、ここも「小学校の遠足で行ったなぁ」と思い出しました。
そして宇治川の中州を南へ下ると、今度は朝霧橋を渡ります。
宇治川の中州に架かる橋の中では一番新しい橋だそうです。
※、上流にある天ヶ瀬ダムの放流によっては、中州に架かる橋は渡ることができなくなります。ご注意を!。
この橋を渡りきったところに、宇治神社が
宇治川東岸で朝霧橋の東詰に宇治神社の鳥居を目にします。
宇治神社の鳥居をくぐると、階段があり少し登ると拝殿(桐原殿)が
この拝殿の右に進むと本殿があります。左に進めば宇治上神社に通じる「さわらびの道」に出ます。
本殿も見て行こうと思いましたが、結構境内に人が多かったので、先に進みました。 宇治神社は、明治維新まで宇治上神社とは一対の関係だったそうです。
きぬがけの道に出ると、宇治上神社への看板が出ていて、一安心。
ここに出たら宇治上神社の鳥居が見えています。
宇治上神社の鳥居
やっと世界文化遺産に登録された宇治上神社に来ました。
参考までに、平等院の正門を出て、この鳥居までの所要時間は、約15分でした。(写真を撮りながらゆっくり歩いて)
先ほども述べましたが、明治維新までは、宇治神社が下社、若宮社と呼ばれたのに対して、宇治上神社は上社、本社と呼ばれて一対の関係でしたが、維新後は分離独立しました。
境内に入ってすぐに目にするのが、拝 殿(国宝)。
鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構で、もとは宇治離宮の建物だったのではないかと伝えられています。
そして拝殿前にはの清めの砂が
境内のお清め用の砂として、八朔祭の9月1日に氏子さんたちに奉納され、1年間盛られ続けます。
拝殿の背後にあるのが、本 殿(国宝)
神社建築では、日本最古の本殿と言われ、平安時代後期に伐採された木材が使われており、建築年代は平安時代後期と推定されています。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇が祀られています。
本殿右側には春日社(重要文化財)が
藤原氏の守護神を祭る。平等院の鎮守社として藤原一族の繁栄を願い、鎌倉時代に造営された。
その右には末 社
左が住吉社 右が香椎社
本殿に向かって左にも末 社が、先ずは厳島社
宮島の厳島神社の祭神と同じ水の神を祭る
最後に、武本稲荷社
御祭神は、倉稲魂命。
境内は狭く、全部見て廻れました。本殿に戻って拝殿の背後を
今日は、扉が閉まってましたちが、ご祈祷のある日は扉が開かれていて、中の様子が見られるみたです。
実は、ここに着いた時、一人境内に入っていかれる人が見えたんです。が、境内には誰もいない。何処へ?
答えは、ここ桐 原 水でした。
ここから湧き水が、その湧き水をペットボトルに汲みに近所の人が来られていたんです。今もこんこんと湧き出ています。ただ張り紙があり「飲む時は、一度沸かしてから」と書いてありました。
多分、近所の人だと思いますが、帰られた後は、暫くは誰もいない境内を独占できました。その後はぼちぼち観光客が来られました。 ひっそりと山裾にただすみ、訪れる人も少ないですが、歴史的に貴重な建物をじっくり見てみたいものです。
宇治上神社は、先ほど訪れた平等院と宇治川を挟んで向き合うように同時期に建立されたと考えられ、現世の極楽浄土をあらわす平等院は、日の出る処、そして彼岸にあたる川向こうの宇治上神社は特別な存在だったんだろうか?
この宇治上神社で、京都府内(滋賀の県境も含む、延暦寺のこと)の世界文化遺産、全て訪れました。境内は自由散策になっており、写真も自由に撮れます。 ここが世界文化遺産に登録されなけば多分訪れてないだろうし、知らなかっただろうと思います。
宇治川の中州に架かっています。橋の上から宇治橋を撮って見ました。先ほどの紫式部像があった橋で、行きはあの橋を渡ってきたんです。琵琶湖から流れ出た川は、瀬田川から宇治川に名を変え、その上流には天ヶ瀬ダムがあって、ここも「小学校の遠足で行ったなぁ」と思い出しました。
そして宇治川の中州を南へ下ると、今度は朝霧橋を渡ります。
宇治川の中州に架かる橋の中では一番新しい橋だそうです。
※、上流にある天ヶ瀬ダムの放流によっては、中州に架かる橋は渡ることができなくなります。ご注意を!。
この橋を渡りきったところに、宇治神社が
宇治川東岸で朝霧橋の東詰に宇治神社の鳥居を目にします。
宇治神社の鳥居をくぐると、階段があり少し登ると拝殿(桐原殿)が
この拝殿の右に進むと本殿があります。左に進めば宇治上神社に通じる「さわらびの道」に出ます。
本殿も見て行こうと思いましたが、結構境内に人が多かったので、先に進みました。 宇治神社は、明治維新まで宇治上神社とは一対の関係だったそうです。
きぬがけの道に出ると、宇治上神社への看板が出ていて、一安心。
ここに出たら宇治上神社の鳥居が見えています。
宇治上神社の鳥居
やっと世界文化遺産に登録された宇治上神社に来ました。
参考までに、平等院の正門を出て、この鳥居までの所要時間は、約15分でした。(写真を撮りながらゆっくり歩いて)
先ほども述べましたが、明治維新までは、宇治神社が下社、若宮社と呼ばれたのに対して、宇治上神社は上社、本社と呼ばれて一対の関係でしたが、維新後は分離独立しました。
境内に入ってすぐに目にするのが、拝 殿(国宝)。
鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構で、もとは宇治離宮の建物だったのではないかと伝えられています。
そして拝殿前にはの清めの砂が
境内のお清め用の砂として、八朔祭の9月1日に氏子さんたちに奉納され、1年間盛られ続けます。
拝殿の背後にあるのが、本 殿(国宝)
神社建築では、日本最古の本殿と言われ、平安時代後期に伐採された木材が使われており、建築年代は平安時代後期と推定されています。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇が祀られています。
本殿右側には春日社(重要文化財)が
藤原氏の守護神を祭る。平等院の鎮守社として藤原一族の繁栄を願い、鎌倉時代に造営された。
その右には末 社
左が住吉社 右が香椎社
本殿に向かって左にも末 社が、先ずは厳島社
宮島の厳島神社の祭神と同じ水の神を祭る
最後に、武本稲荷社
御祭神は、倉稲魂命。
境内は狭く、全部見て廻れました。本殿に戻って拝殿の背後を
今日は、扉が閉まってましたちが、ご祈祷のある日は扉が開かれていて、中の様子が見られるみたです。
実は、ここに着いた時、一人境内に入っていかれる人が見えたんです。が、境内には誰もいない。何処へ?
答えは、ここ桐 原 水でした。
ここから湧き水が、その湧き水をペットボトルに汲みに近所の人が来られていたんです。今もこんこんと湧き出ています。ただ張り紙があり「飲む時は、一度沸かしてから」と書いてありました。
多分、近所の人だと思いますが、帰られた後は、暫くは誰もいない境内を独占できました。その後はぼちぼち観光客が来られました。 ひっそりと山裾にただすみ、訪れる人も少ないですが、歴史的に貴重な建物をじっくり見てみたいものです。
宇治上神社は、先ほど訪れた平等院と宇治川を挟んで向き合うように同時期に建立されたと考えられ、現世の極楽浄土をあらわす平等院は、日の出る処、そして彼岸にあたる川向こうの宇治上神社は特別な存在だったんだろうか?
この宇治上神社で、京都府内(滋賀の県境も含む、延暦寺のこと)の世界文化遺産、全て訪れました。境内は自由散策になっており、写真も自由に撮れます。 ここが世界文化遺産に登録されなけば多分訪れてないだろうし、知らなかっただろうと思います。