戦国武将 島 左近 ここに眠る 立本寺 教法院へ

先月、「秋の特別公開 立本寺」を訪れました。その立本寺の塔頭寺院教法院に、戦国武将 島左近の墓があることを知りました。

その時は、特別拝観の庭園を見ただけで帰りましたが、今月、北野天満宮「もみじ谷」に行く前、再び立本寺に寄り島左近(島清興)のお墓を見てきました。

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一ヶ月ぶりに訪れた山門、境内はすっかり木々の葉は落ちてました。

そして教法院

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観光寺院ではありませんが、門前に「島左近が眠る寺」の張り紙が

立本寺墓地の入口に石碑があり「島左近の墓」と書いてあります。

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広い墓地の何処に?と思いましたが、小さい石碑に道案内がしてあり、迷うことはありません。

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島左近の墓

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島左近は、石田三成に仕えた武将で、当時の人々に「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの人物だった。関ヶ原の戦いでは、少兵を率いて黒田長政・田中吉政らの軍に突撃し、奮戦した末に銃撃されて討ち死にしたというのが定説になっています。

では、関ヶ原から遠く離れた京の立本寺に墓が? 関ヶ原で討ち死にしたと言われてますが、遺体は見つからなかった。石田三成の軍師で猛将で知られた島左近のこと、徳川方も血眼で探したんでしょうけど見つからなかったのでしょう。しかし、この後、立本寺まで生き延びて僧侶になり余生を過ごして、ここに葬られた。没年は1632年(寛永9)とされ、関ヶ原の戦い32年後のことです。 真意はわかりませんが、ここに墓があるのも事実ですしどうなんでしょうか? 歴史って面白い。



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