花街 島原へ

龍谷大学大宮学舎から梅小路蒸気機関車館、そして最後に花街・島原へ行きました。

豊臣秀吉の許可を得て、原三郎左衛門らが二条柳馬場に柳町の花街をを開設した。その後六条付近に移されて六条三筋町として栄た。ところが、1641(寛永18)にはさらに朱雀野付近への移転が命ぜられ、西新屋敷と呼ばれた。移転騒動が、あたかも九州島原の乱の直後であったため島原と呼ばれるようになりました、現在は輪違屋のみが茶屋営業を行っています。


その花屋町通りにあるのが島原大門です。

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1867年(慶応3)建築で、切妻造、本瓦葺の風情ある門。当時の繁栄が偲ばれます。1986年(昭和61)の京都市登録有形文化財に指定されました。

そして、その大門から西の方向を見てます。

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写真でも分かりますが、殆ど今は面影がありません。ここ西に向かい、一筋目を北に上がれば輪違屋があります。

そして、そのまま西へ進むと突き当たりの手前に南北の道があり、その道を南へ下がると角屋(すみや)もてなしの文化美術館があります。

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江戸期の饗宴もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構です。現在重要文化財に指定されいます。冬場は休館してて、3月15日から今年も始まります。いつかは行ってみたいと思っててまだ、行けてません。梅小路に水族館もできるし、またその時でも再訪したい。新選組の芹沢鴨が暗殺された最後の夜に遊んだ場所としても知られ、ここから:現在の八木邸に戻り泥酔して就寝中に襲われ暗殺された。NHK大河ドラマ「新選組」の放映時は、ここも賑わいました。

そして、再び花屋町通りに出て西へ進むと突き当たりがあり、北に上がって少し西に入り千本通り手前に西門跡

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普通は通り過ぎてしまいます。 島原住吉神社の横に石碑があり「島原西門跡」と書いてあって、この前に西門があったそうです。1732年(享保17)に建築された高麗門型の立派な門であったようですが、1977年(昭和51)と1998年(平成10)の2度の交通事故により倒壊し、現在は石碑だけとなりました。

新選組放映時に「角屋おもてなしの文化館美術」は行きたいと思ってました。かつて壬生に住んでいたため、この西本願寺界隈は良く行きました。いろいろ想い出もあり懐かしかったです。それにしても旧丹波口駅は影も形も残ってなくて残念です。と言っても知ってましたが 

西本願寺から龍谷大学大宮学舎、梅小路蒸気機関車館と島原と散策しました。今日は天気も良く気持ちよく散歩できました。



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