弓の名手 那須与一ゆかりの寺 即成院へ
平家物語で弓の名手として語られる那須与一。 「屋島の戦い」で、平家の船上に掲げた扇の的を一発で射貫いたというお話は有名です。
源義経の家来であった那須与一が、屋島に向かう途中、京で病に倒れました。そこで即成院の阿弥陀様にお参りしたところ病も癒え、あの伝説で有名な屋島で戦巧をあげました。しかし京に戻った与一は出家し、「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔いながら、京の地で平穏に暮らし即成院で亡くなったと言う。
その那須与一のお墓があるのが、御寺泉涌寺 塔頭 即成院です。
京阪電車『東福寺』駅下車、右へ行けば東福寺。左へ進めば泉涌寺へ。東大路通りに出て、泉涌寺道を東に登れば,御寺・泉涌寺の総門に出会います。その総門の手前にある山門が即成院の入口です。
門を入ると正面にあるのが地蔵堂です。
その横には、庫裡が
山門を入って右手には、「与一の手洗所」が
昼から訪れましたが静かな境内には、参拝者が結構訪れてきます。京のお寺は、"通称"で呼ばれることが多いです。ここは、「那須の与一さん」と呼ばれています。
そして門を入って正面にあるのが、本堂です。
泉涌寺山内にある即成院は、初めて訪れましたが、西国三十三カ所で有名な今熊野観音寺や洛陽三十三カ所の法音院・善能寺・泉涌寺には何度も足を運びましたが、ここは通りすぎるだけでした。
那須与一ゆかりの寺だと気づかなかったですね。
本堂に入りますが、拝観料は入りません。ただ内陣に入るには拝観料500円が必要です。中で案内の人の声がしていたので、多分説明付きで案内してもらえるんでしょう。朱印帳も持ってきたけど、待ってても仕方ないので、先に進みました。
那須与一のお墓へは、本堂入って右手の入口からスリッパに履き替えて進みます。ここには本堂からでないと行けないようになっています。
少し進むとお堂があり
そして扉を開けると、そこに巨大な石塔が
那須与一のお墓と伝わる、平安時代末期建造の高さ3㍍の巨大な石塔です。
幟や提灯に「願いが的へ」と書かれています。"的に当たる"合格祈願にご利益があるそうです
。
2005年のNHK大河ドラマ「源義経」で、ジャニーズの滝沢秀明さんが義経を、那須与一は、今井翼さんが演じました。その幟には、大河ドラマ放送記念と書いてあって、多分放送された時は、若い参拝者が増えたんでしょう。
那須与一は、平家物語の「扇の的」で広く知られていますが、実際には殆ど史実が残っていないようで、伝説かも知れません。しかし「歴史にロマンがあってもいいかなぁ」と思います。伝説上の人物のお墓が残っている(伝わる)のは、すごいことだと思いますけど・・・
。
毎年、10月第3日曜に「二十五菩薩お練り供養」が行われ、多くの参拝者で賑わうようです。1度は見てみたいですね。

源義経の家来であった那須与一が、屋島に向かう途中、京で病に倒れました。そこで即成院の阿弥陀様にお参りしたところ病も癒え、あの伝説で有名な屋島で戦巧をあげました。しかし京に戻った与一は出家し、「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔いながら、京の地で平穏に暮らし即成院で亡くなったと言う。
その那須与一のお墓があるのが、御寺泉涌寺 塔頭 即成院です。
京阪電車『東福寺』駅下車、右へ行けば東福寺。左へ進めば泉涌寺へ。東大路通りに出て、泉涌寺道を東に登れば,御寺・泉涌寺の総門に出会います。その総門の手前にある山門が即成院の入口です。
門を入ると正面にあるのが地蔵堂です。
その横には、庫裡が
山門を入って右手には、「与一の手洗所」が
昼から訪れましたが静かな境内には、参拝者が結構訪れてきます。京のお寺は、"通称"で呼ばれることが多いです。ここは、「那須の与一さん」と呼ばれています。
そして門を入って正面にあるのが、本堂です。
泉涌寺山内にある即成院は、初めて訪れましたが、西国三十三カ所で有名な今熊野観音寺や洛陽三十三カ所の法音院・善能寺・泉涌寺には何度も足を運びましたが、ここは通りすぎるだけでした。

本堂に入りますが、拝観料は入りません。ただ内陣に入るには拝観料500円が必要です。中で案内の人の声がしていたので、多分説明付きで案内してもらえるんでしょう。朱印帳も持ってきたけど、待ってても仕方ないので、先に進みました。
那須与一のお墓へは、本堂入って右手の入口からスリッパに履き替えて進みます。ここには本堂からでないと行けないようになっています。
少し進むとお堂があり
そして扉を開けると、そこに巨大な石塔が
那須与一のお墓と伝わる、平安時代末期建造の高さ3㍍の巨大な石塔です。
幟や提灯に「願いが的へ」と書かれています。"的に当たる"合格祈願にご利益があるそうです

2005年のNHK大河ドラマ「源義経」で、ジャニーズの滝沢秀明さんが義経を、那須与一は、今井翼さんが演じました。その幟には、大河ドラマ放送記念と書いてあって、多分放送された時は、若い参拝者が増えたんでしょう。

那須与一は、平家物語の「扇の的」で広く知られていますが、実際には殆ど史実が残っていないようで、伝説かも知れません。しかし「歴史にロマンがあってもいいかなぁ」と思います。伝説上の人物のお墓が残っている(伝わる)のは、すごいことだと思いますけど・・・

毎年、10月第3日曜に「二十五菩薩お練り供養」が行われ、多くの参拝者で賑わうようです。1度は見てみたいですね。