同志社大学の創立者 新島讓の旧邸へ

3月に入り、最初の土曜日に同志社大学の創立者である新島 襄とその妻である八重の私邸「新島旧邸」を見て来ました。

3月~7月・9月~11月の金曜・土曜・日曜と春と秋の京都御所の一般公開日、11月29日の同志社大学創立日に公開されます。時間は、10時~16時 入場料は、無料です。

新島旧邸の前は、何度も通っているので、10時間に合うように出掛けて、丸太町通り寺町を上がると、前方に5~6名が歩いており、「まさか旧邸に行くのでは」と思っていると、旧邸に入っていく。「結構知られてるんだなぁ」と・・・。

着いたら、先ず外観を撮ってみました。

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1878年(明治11)竣工。木造2階建て、一部平屋、桟瓦葺。アメリカのコロニアル・スタイル。1985年(昭和60)京都指定有形文化財に指定。

全景は、同志社新島会館から撮りました。ここはいつも(多分)開いているので、全景は見られるかと思います。旧邸に入れば、全景は撮れないので、ご注意を。建物は、東向きに建っているので、午後からの方が綺麗に撮れます。

それでは、旧邸に入ってみます。

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門を入ると、受付があり、そこに名前と都道府県名を書いて、同志社のOBか一般かを聞かれます。私で7番目でした。前の人は全て、他府県から。遠くから来られてたんだなぁ。

先ずは、1階の応接間から

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18畳ほどの洋間。当時の椅子や机がそのままに残っています。

ちなみに調度・家具類(約60点)も京都指定文化財に指定されています。

次に、新島 襄の書斎

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新島 襄が使用した机もそのまま残る。壁一面に洋書があり、まるで図書館のような・・・。

茶室

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妻の八重が、夫の死後に洋室から和室に作り替えた。

余談ですが、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」(主演・綾瀬はるか)は、この新島八重がモデルです。

次に台所

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当時は、土間におりてというのが、一般的でした。私が育った家もそうでした。ここでは、床いっぱいに床板を張ってその上に流しを置いています。井戸も室内にあり、現在の台所と変わらないです。 

次に2階へ上がってみます。先ず、寝室から

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ここが、唯一の居間

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ここも寝室

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2階で唯一の畳敷。畳敷きには、合わない電球ですが、当時は板張りだったような・・・。

当時は、全て板張りだったようです。会津出身の八重が、夫の死後、洋風の生活から和風の生活へと回帰していったことが伺えます。

2階のバルコニー

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上から、西面、南面、西面。西面からは大文字が良く見えたようです。今は、ビルが建ってむりでしょうね。 南面に写ってる建物が、同志社新島会館で、そこの前からこの旧邸を撮ると、全景を撮れます。

1階と2階を見て、帰ろうとしましたが、まだ、見るところがありました。附属家です。

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新島の両親の隠居所として、江戸藩邸にあった住居に準じて作られたと伝わっています。中は、新島 襄ゆかりの品が展示されています。

そして庭の梅も咲き始めていました。

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この地で、生徒8名によって同志社英学校を開校します。それが同志社発祥の地となるわけです。学校は、現在の今出川キャンパス(旧薩摩藩邸)に移ります。その後、この地を購入して、自宅を建築するんです。それが、今の新島旧邸です。

和様折衷の素敵な家でした。無料で公開されてますので、期間内に是非



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