織田信長墓所 阿弥陀寺へ

先般アップした、同志社の新島旧邸を出て、寺町通り北上すると今出川通りに出ます。そして今出川通り渡り,再び寺町通りをもう少し頑張って北上すると、東側に織田信長公本廟と書いてある大きな石碑に出会います。

そこが織田信長菩提寺である蓮臺山 総見院 阿弥陀寺といいます。

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この阿弥陀寺の開祖・清玉上人は、滋賀県坂本で開山、その後信長の入洛に際して、京都西陣に移りました。清玉上人は、織田信長に帰依を受け信頼も厚かったし、信長も入洛の折りは、度々この阿弥陀寺を訪れたと言う。

そして、1582年(天正10)6月2日の本能寺での異変を聞きつけ、塔頭寺院の僧侶たちといち早く駆けつけ、信長の亡骸を。また、二条城で同じく信忠の亡骸を運び出し、阿弥陀寺で供養しました。

天王山の戦い明智光秀を討った羽柴(豊臣)秀吉は、信長の法事を申し出ますが、清玉上人「すでに織田家の菩提寺として法事は済ませた」と言って拒絶。また法事料として300石の朱印の下附や永代墓所供養のための寺領とすることも拒絶したため、怒った秀吉は、大徳寺に総見院を建立。 信長の木造を作り、法要を行いました。

清玉上人が死去すると、秀吉は西陣からこの寺町に移し、寺の規模も大幅に縮小させ今日に至っています。

門を入ると、本堂前は綺麗に清掃されてました。本堂は開いてないのを知っていたので、信長公のお墓をお参りするのが、今日の目的です。

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本 堂

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本尊は、阿弥陀如来坐像。天井には、極彩色の花曼荼羅『彩華来迎花浄土之図』が5年の歳月をかけて、最近完成しました。

堂内は、6月2日の「信長忌」にあわせて特別公開されます。一年でたった1回しか公開されないので、なかなか行けません。毎年、今年こそと思ってますが、今年もどうでしょうか

また、本堂横、境内北側にある庫裡です。

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多分、朱印はここだと思いますが、確認してません。

ところで、織田信長のお墓は、何処にあるのか? 何も案内が出てませんが、この庫裡の奥に、信長のお墓がありました。

織田信長・信忠親子の墓

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向かって右が信長。左が信忠。

森蘭丸3兄弟の墓

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蘭丸(左)・力丸(中央)・坊丸

ドラマでは、美男子として描かれることが多い?森蘭丸。本能寺の変で、壮絶な討ち死にを遂げるわけですが、その時、蘭丸18歳・坊丸17歳・力丸16歳でした。

織田信長・信忠親子のお鼻の廻りには、本能寺の変で討ち死にした家臣の墓もあると言う。これも清玉上人が本能寺から持ち帰って埋葬したものです。

境内は自由参拝です。休日のお昼頃でしたが、訪れる人もおらずひっそりしてました。ここに織田信長が眠っているのとは、知られてないんでしょうね。


この阿弥陀寺の近くに、和菓子の名店明治30年創業「大黒屋鎌餅本舗」があります。

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お店の前から阿弥陀寺の門が見えます。車一台が通れるほど細い道です。

BSフジ『和菓子で巡る京の四季』で、この大黒屋鎌餅本舗を見ました。その時の映像を見て、阿弥陀寺の門前と分かったので、阿弥陀寺参拝の帰りに寄って見ようと思ったんです。

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テレビでインタビューを受けていた現在3代目店主一人が店番されてました。名物「鎌餅」を買って帰りました。一つ一つ手作りされていて、美味しく頂きました。


【阿弥陀寺】






【大黒屋鎌餅本舗】


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