皇室の菩提寺 泉湧寺へ
雲龍院を出たあと、今日の最後は御寺・泉湧寺に行きました。雲龍院から泉湧寺には横道から大門にダイレクトに出られますが、総門を先に紹介します。
泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山 開山は、月輪大師・俊芿。 寺は律を基本に、天台・真言・禅・浄土の四宗をあわせて学ぶ道場として発展。創建当時に四条天皇の葬儀を行って依頼、歴代天皇の多くの葬儀は、この寺で行われ、いつしか御寺(みでら)と呼ばれるようになった。創建から800年、今も皇室の菩提寺として厚い信仰をあつめています。
那須与一の即成院の前に、泉湧寺の総 門があります。
江戸時代の建造。ここより先が泉湧寺の境内となります。この門は、創建当時からここにあって、ここより大門につづく参道沿いに塔頭寺院が建ち並ぶ。この泉涌寺道は、一般車の他に、観光バスも行き来します。
総門からゆるやかに登ること400㍍、泉涌寺正門にあたる大 門があります。
入って右側に拝観受付があります。雲龍院からは大門の内側、拝観受付の横に出てきます。桃山時代の建立。本瓦葺きの四脚門で、京都御所の門を移築したと伝わっています。
私は、何度か来てるんで驚きはありませんが、ここより仏殿・舎利殿へは下るんです。普通、お寺では門を入ると登っていくのが多いんですが。
写真は、仏殿。泉涌寺の本堂にあたります。1668年(寛永8)に皇室の援助のもと、徳川4大将軍・徳川家綱よって再建。内陣に、三世仏(釈迦・阿弥陀・弥勒)が祀ってあります。国指定 重要文化財。
その大門を少し下ったところにある浴 室です。
1664~69年(寛文4~9)の再建。仏前で僧侶が身を清める施設で、床下の鉄釜で湯を沸かす古式の蒸し風呂となっるようです。京都府指定文化財。
浴室から少し下って南側に泉涌水屋形(みずやかた)があって
泉涌寺の名の由来となった泉を覆う屋形。1667(寛永7)の再建で、京都府文化財指定。創建依頼、泉は湧き続けています。
水屋形をさらに下ったところにあるのが、歴代天皇の位牌をまつる御陵・霊明殿で、その唐門です。
非公開のため、この唐門を開けられないかぎり、霊明殿を見ることはできません。天智天皇から昭和天皇までの多くの位牌が祀られ、毎日、歴代天皇・皇后の回向が行われています。霊明殿は、1884年(明治17)の再建。入母屋造、檜皮葺、全て紀州檜材で造られた神殿風の建物。屋根だけ見えています。
その霊明殿の背後にあたり、境内の最も東に位置する天皇・皇后の墓陵・月輪御陵拝所です。
四条天皇・後水尾天皇から仁孝天皇までの陵(墓)が営まれたところ。宮内庁管理で非公開です。
ここまでが、通常参拝料金で見られるところです。御座所内部と庭園は特別料金が必要です。私は、まだ特別拝観は、入ったことがありません。今日の目的は、ここでした。
特別拝観への入口は、この本坊の門をくぐります。
門をくぐると、正面右が玄関(上)、左に庫裡(下)。ここが拝観受付があります。
泉涌寺の朱印は、ここで貰えます。(楊貴妃観音堂と塔頭寺院・善能寺も)
その前に、皇族方や天皇の勅使が寺を訪れた時には、勅使門を通られます。
皇族の菩提所としての優美な門。菊の御紋の瓦で飾られ大型の柱を使った四脚門です。ここを皇族方が通られ、白砂を歩かれ、御座所の車寄せから入られます。車寄せも、塀の向こうで見る事が出来ません。
以前、朱印を貰いにここまでは来ましたが、梅雨時で雨降りだったこともあって、入らなかったです。ですから、ここより先は初めてとなります。受付で「写真は撮れますか?」と聞くと、「室内は不可ですが、庭園だけはOKです」と言われ、ひとまず安心して入れました。
御座所には、「侍従の間」「勅使の間」「玉座の間」「女官の間」「門跡の間」「皇族の間」と六室に別れていて、現在の天皇陛下や皇太子殿下、秋篠宮殿下がここに来られた時の写真が飾ってありました。
そして御座所庭園です。
御座所の東南から御殿の南側にかけて、綺麗な庭園が広がっています。紅葉の時期には、綺麗にモミジが色づいて見事らしい。下の写真は、非公開の霊光殿が見えています。御座所から渡り廊下で通じています。非公開のため、その先は行けません。
庭園の奥に見えいるのが、月輪御陵拝所です。
菊の御紋の手水鉢
庭園の北の端にあって、いかにも御寺らしい手水鉢。
御座所の東に位置する海会堂の外観です。
1884年(明治17)の再建。歴代天皇、皇后、皇族方の御念持仏30数体が祀られている。撮影禁止はもちろん、内部にも入れません。遠く離れたところから参拝しますが、暗くてわからなかったです。
明治以降は神道国教化と神仏分離令により、皇室の葬儀は神式となり、この泉涌寺で葬儀は行われなくなりました。しかし、宮内省によって京都の各寺院が保管していた歴代天皇・皇后・皇族の位牌を霊明殿に祀るように定めました。 このことにより、現在も天皇家と深いかかわりを持ち、御寺(みてら)として親しまれているわけです。
4月1日~30日は、舎利殿の内部が公開され、天井の狩野山雪筆、蟠龍図を見る事ができます。この下で手をたたけば龍が鳴くよな響きがあり、「鳴龍」としても知られています。興味ある方はどうぞ。
泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山 開山は、月輪大師・俊芿。 寺は律を基本に、天台・真言・禅・浄土の四宗をあわせて学ぶ道場として発展。創建当時に四条天皇の葬儀を行って依頼、歴代天皇の多くの葬儀は、この寺で行われ、いつしか御寺(みでら)と呼ばれるようになった。創建から800年、今も皇室の菩提寺として厚い信仰をあつめています。
那須与一の即成院の前に、泉湧寺の総 門があります。
江戸時代の建造。ここより先が泉湧寺の境内となります。この門は、創建当時からここにあって、ここより大門につづく参道沿いに塔頭寺院が建ち並ぶ。この泉涌寺道は、一般車の他に、観光バスも行き来します。
総門からゆるやかに登ること400㍍、泉涌寺正門にあたる大 門があります。
入って右側に拝観受付があります。雲龍院からは大門の内側、拝観受付の横に出てきます。桃山時代の建立。本瓦葺きの四脚門で、京都御所の門を移築したと伝わっています。
私は、何度か来てるんで驚きはありませんが、ここより仏殿・舎利殿へは下るんです。普通、お寺では門を入ると登っていくのが多いんですが。
写真は、仏殿。泉涌寺の本堂にあたります。1668年(寛永8)に皇室の援助のもと、徳川4大将軍・徳川家綱よって再建。内陣に、三世仏(釈迦・阿弥陀・弥勒)が祀ってあります。国指定 重要文化財。
その大門を少し下ったところにある浴 室です。
1664~69年(寛文4~9)の再建。仏前で僧侶が身を清める施設で、床下の鉄釜で湯を沸かす古式の蒸し風呂となっるようです。京都府指定文化財。
浴室から少し下って南側に泉涌水屋形(みずやかた)があって
泉涌寺の名の由来となった泉を覆う屋形。1667(寛永7)の再建で、京都府文化財指定。創建依頼、泉は湧き続けています。
水屋形をさらに下ったところにあるのが、歴代天皇の位牌をまつる御陵・霊明殿で、その唐門です。
非公開のため、この唐門を開けられないかぎり、霊明殿を見ることはできません。天智天皇から昭和天皇までの多くの位牌が祀られ、毎日、歴代天皇・皇后の回向が行われています。霊明殿は、1884年(明治17)の再建。入母屋造、檜皮葺、全て紀州檜材で造られた神殿風の建物。屋根だけ見えています。
その霊明殿の背後にあたり、境内の最も東に位置する天皇・皇后の墓陵・月輪御陵拝所です。
四条天皇・後水尾天皇から仁孝天皇までの陵(墓)が営まれたところ。宮内庁管理で非公開です。
ここまでが、通常参拝料金で見られるところです。御座所内部と庭園は特別料金が必要です。私は、まだ特別拝観は、入ったことがありません。今日の目的は、ここでした。
特別拝観への入口は、この本坊の門をくぐります。
門をくぐると、正面右が玄関(上)、左に庫裡(下)。ここが拝観受付があります。
泉涌寺の朱印は、ここで貰えます。(楊貴妃観音堂と塔頭寺院・善能寺も)
その前に、皇族方や天皇の勅使が寺を訪れた時には、勅使門を通られます。
皇族の菩提所としての優美な門。菊の御紋の瓦で飾られ大型の柱を使った四脚門です。ここを皇族方が通られ、白砂を歩かれ、御座所の車寄せから入られます。車寄せも、塀の向こうで見る事が出来ません。
以前、朱印を貰いにここまでは来ましたが、梅雨時で雨降りだったこともあって、入らなかったです。ですから、ここより先は初めてとなります。受付で「写真は撮れますか?」と聞くと、「室内は不可ですが、庭園だけはOKです」と言われ、ひとまず安心して入れました。
御座所には、「侍従の間」「勅使の間」「玉座の間」「女官の間」「門跡の間」「皇族の間」と六室に別れていて、現在の天皇陛下や皇太子殿下、秋篠宮殿下がここに来られた時の写真が飾ってありました。
そして御座所庭園です。
御座所の東南から御殿の南側にかけて、綺麗な庭園が広がっています。紅葉の時期には、綺麗にモミジが色づいて見事らしい。下の写真は、非公開の霊光殿が見えています。御座所から渡り廊下で通じています。非公開のため、その先は行けません。
庭園の奥に見えいるのが、月輪御陵拝所です。
菊の御紋の手水鉢
庭園の北の端にあって、いかにも御寺らしい手水鉢。
御座所の東に位置する海会堂の外観です。
1884年(明治17)の再建。歴代天皇、皇后、皇族方の御念持仏30数体が祀られている。撮影禁止はもちろん、内部にも入れません。遠く離れたところから参拝しますが、暗くてわからなかったです。
明治以降は神道国教化と神仏分離令により、皇室の葬儀は神式となり、この泉涌寺で葬儀は行われなくなりました。しかし、宮内省によって京都の各寺院が保管していた歴代天皇・皇后・皇族の位牌を霊明殿に祀るように定めました。 このことにより、現在も天皇家と深いかかわりを持ち、御寺(みてら)として親しまれているわけです。
4月1日~30日は、舎利殿の内部が公開され、天井の狩野山雪筆、蟠龍図を見る事ができます。この下で手をたたけば龍が鳴くよな響きがあり、「鳴龍」としても知られています。興味ある方はどうぞ。