鳥羽離宮跡を訪ねて 城南宮へ

安楽壽院で写真を撮ったあと、方除の大社 城南宮へ行きました。

平安遷都の際に、都の南に国の守護神として創建。鳥羽離宮造営後は馬場殿の城南寺の鎮守となり、方除けの大社として、今も信仰が厚く、平安時代から続く、「曲水の宴」は、有名です。

竹田駅から徒歩15分ぐらいで着きます。城南宮へは東参道入口から入りました。

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休日とは思えないほど、空いています。暫く西に向いて歩くと、境内の入口にある大鳥居が見えてきます。

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その鳥居の手前にあるのが、菊水若水です。

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江戸時代の初め、霊元法皇も菊水若水を飲まれたという記録が残っています。伏見の名水10カ所にも選ばれ、5月末まで、伏見名水スタンプラリーが行われています。

城南宮には、初めて来ました。バスの便がそれ程ないのも理由のひとつですが、竹田駅から徒歩15分程度で行けるんなら、もっと早く来れば良かったと・・・。 城南宮には縁があって、2度ほど家の改築工事のときに、神様に無事工事が終わるように見守ってもらうわけで、城南宮の清めの砂を撒きました。(大工さんが取りに行ってくれました) 

鳥居をくぐれば拝 殿

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奥に社 殿

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社殿の奥に本殿があって、一廻りして、御利益を受けて来ました。 手前は、一寸法師。 一寸法師は、お椀の舟に乗って都を目指し、鳥羽の津に着いたと江戸時代の御伽草子に書かれているそうで、お守りも売ってました。


この城南宮は、幕末の歴史で有名な「鳥羽・伏見の戦い」の舞台でもあります。ここは新政府軍が布陣したところで、参道に並べられていた薩摩軍の大砲が旧幕府軍に向かって放たれ、鳥羽・伏見の戦いが始まったわけです。


城南宮には、神苑があって、拝観時間は、午前9時からのため、開くまで待ちました。その神苑は別頁で紹介します。

神苑を出たあと、西参道から出ました。

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写真左に駐車場があって、車で来たら、ここから入ります。

ここから出て、次に向かうのが、鳥羽離宮唯一の遺構と伝わる場所。 京阪国道を渡ってすぐの、鳥羽離宮公園内にある秋の山です。

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平家物語に「池の辺を見回せば、秋の山の春風に白浪しきりに打ちつけて、紫鴛白鴎逍遥す」と秋の山の記述があります。貴族達の優雅な舟遊びが現在は、鴨川の流れも変わり、地形も変わったしまった今日、鳥羽離宮跡の痕跡は全く残っていませんが、この公園内にある小高い丘が、唯一、遺構と伝わる秋の山です。

公園内では、休日のこの日、少年野球の子供達が大きい声で練習しています。

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手前に、池がありますが、この秋の山周辺だけです。ランニング、ノックと、そして監督コーチと子供達の大きな声。ゆっくり当時の面影に浸る雰囲気にとてもなりません


【鳥羽離宮跡 秋の山】


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