後白河法皇御所聖蹟 法住寺へ
NHK大河ドラマ「平清盛」で、松田翔太さん演じる後白河天皇が即位されました。これから平清盛の前に大きく立ちはだかる存在になります。 その後白河法皇ゆかりの天台宗 法住寺が「京都春季非公開寺院特別公開」で公開されました。
法住寺は、太政大臣藤原為光が、夫人と娘の菩提を弔うため982年(永延2)に建立されたのが始まりでしたが、その後の火事で焼失したあとは再興されませんでした。 第77代後白河天皇が1158年(保元3)に皇位を息子の二条天皇に譲位し、法住寺の地を院の御所と定め、広大な院御所法住寺殿を建立し移り住んだ。
当時は広大な敷地で、ここから西は、鴨川まであったそうです。お隣の三十三間堂も敷地内でした。その規模の大きさが分かります。
法住寺には二つの門がありますが、先ずは旧法住寺御陵正門から。
真ん中の石碑に「旧法住寺御陵正門」と書いてあり、ここが、かつて境内に御陵があったことを示しています。
そして、こちらが山 門です。
門扉に御紋の彫刻がありました。
山門を入ると、かつて広大な境内が嘘のような、こんじまりした境内の奥に本堂が。
通常拝観は、本堂からですが、特別拝観では、本堂の左にある阿弥陀堂からになります。
阿弥陀堂
阿弥陀堂の入口が写真では閉まってますが、この写真は、特別拝観前に撮ったものです。
この阿弥陀堂前に、臨時の拝観受付があって、拝観料800円を払います。通常拝観は500円です。そして、ここから先は、庭を含めて撮影禁止でした。
入る前に「庭もダメです」と言われたので、柵の前から撮りました。阿弥陀堂前庭園です。
阿弥陀堂から見るともっと綺麗なんですが、仕方ないです。
通常拝観では、ここまで入れません。ガイドさんより、この法住寺の歴史が案内されます。これは前段で述べました。そして親鸞聖人御作阿弥陀如来像と親鸞聖人そば喰いの御像の説明。
そして、この特別公開の目玉である後白河上皇木像です。
法住寺陵には、運慶作と伝わる後白河法皇御木像が安置されていますが、目にすることはできません。1991年(平成3)に後白河法皇800回の御忌を記念し、法住寺陵御前立像を造営されました。 開扉は、毎年5月1日~7日に公開されています。立て看板を撮りました。ガイドさんの話では、上を向いた足裏が特徴で、意味があったようですが、忘れました。
この阿弥陀堂には、サザエさんで有名な、長谷川町子さんの絵が掛かっています。この法住寺を何度も訪れて縁があったそうです。
この阿弥陀堂で、今様が流れてました。 現在放送中の「平清盛」でも、流れています。後白河法皇が愛し「梁塵秘抄」を著しました。 平安時代の終わりの院政期に流行しましたが、鎌倉期に衰退していきました。この特別公開の時期に、11時と14時に、住職による今様が披露されたんですが、時間の都合で聞けませんでした。
本 堂
本尊の不動明王像は、「身代わり不動」と呼ばれており、法住寺創建当時から尊崇されています。後白河法皇がこの地に御所をかまえたのも、この像の霊験を体験したからと言う。
この本堂には、四十七士木像があるんです。何故?と思ってると、ガイドさんが説明がありました。忠臣蔵で有名な大石内蔵助は、山科に仇討ちの好機をうかがっていましたが、この法住寺の身代わり不動尊に大願成就を祈願したと言われています。 法住寺は、永く義士の遺徳を伝えるため、四十七士木像を安置することになったそうです。
右が本堂 左が阿弥陀堂
枝垂れ桜が咲いています。4月中旬に行った時に撮りました。特別拝観が始まったら人が多いだろうと思って。しかし、わざわざそれだけで行きた訳ではありません。 洛東遣芳館から国立博物館に行って、そして寄りました。
現在は、躑躅が咲く境内に変わっています。
日本は四季があって、桜が咲き終わると、こうして躑躅が咲く。躑躅が終わるとサツキが咲く。つくつぐ四季があって良いなぁと思ってしまいます。
法住寺を見学したら、その北隣にある、後白河天皇法成寺陵へ行きました。
宮内庁管轄で、土曜・日曜・祭日は、門が閉まって入れません。平日のみですので、行かれる方は注意してください。
狭い参道の突き当たりには、法住寺の名を刻んだ手水鉢が置かれてます。
ガイドさんより案内は、ありませんでしたが、何人か来てました。
現在、放送中の「平清盛」では、後白河法皇は、松田翔太さんが演じています。これから平清盛と、どう対峙していくか楽しみです。歴代ワーストの視聴率らしいです。画面が埃ぽっいし暗いし・・・。 しかし、これからの展開を少し?期待したいと思っています。多分、この大河ドラマが放送されてなかったら、ここには来てなかったと思います。
なお、大河ドラマ「平清盛」の」番組最後の紀行で、この法住寺と法住寺陵は紹介されました。第9話のことでした。 また、後白河法皇が愛した今様は、第18話で取り上げられました。
法住寺は、太政大臣藤原為光が、夫人と娘の菩提を弔うため982年(永延2)に建立されたのが始まりでしたが、その後の火事で焼失したあとは再興されませんでした。 第77代後白河天皇が1158年(保元3)に皇位を息子の二条天皇に譲位し、法住寺の地を院の御所と定め、広大な院御所法住寺殿を建立し移り住んだ。
当時は広大な敷地で、ここから西は、鴨川まであったそうです。お隣の三十三間堂も敷地内でした。その規模の大きさが分かります。
法住寺には二つの門がありますが、先ずは旧法住寺御陵正門から。
真ん中の石碑に「旧法住寺御陵正門」と書いてあり、ここが、かつて境内に御陵があったことを示しています。
そして、こちらが山 門です。
門扉に御紋の彫刻がありました。
山門を入ると、かつて広大な境内が嘘のような、こんじまりした境内の奥に本堂が。
通常拝観は、本堂からですが、特別拝観では、本堂の左にある阿弥陀堂からになります。
阿弥陀堂
阿弥陀堂の入口が写真では閉まってますが、この写真は、特別拝観前に撮ったものです。
この阿弥陀堂前に、臨時の拝観受付があって、拝観料800円を払います。通常拝観は500円です。そして、ここから先は、庭を含めて撮影禁止でした。
入る前に「庭もダメです」と言われたので、柵の前から撮りました。阿弥陀堂前庭園です。
阿弥陀堂から見るともっと綺麗なんですが、仕方ないです。
通常拝観では、ここまで入れません。ガイドさんより、この法住寺の歴史が案内されます。これは前段で述べました。そして親鸞聖人御作阿弥陀如来像と親鸞聖人そば喰いの御像の説明。
そして、この特別公開の目玉である後白河上皇木像です。
法住寺陵には、運慶作と伝わる後白河法皇御木像が安置されていますが、目にすることはできません。1991年(平成3)に後白河法皇800回の御忌を記念し、法住寺陵御前立像を造営されました。 開扉は、毎年5月1日~7日に公開されています。立て看板を撮りました。ガイドさんの話では、上を向いた足裏が特徴で、意味があったようですが、忘れました。
この阿弥陀堂には、サザエさんで有名な、長谷川町子さんの絵が掛かっています。この法住寺を何度も訪れて縁があったそうです。
この阿弥陀堂で、今様が流れてました。 現在放送中の「平清盛」でも、流れています。後白河法皇が愛し「梁塵秘抄」を著しました。 平安時代の終わりの院政期に流行しましたが、鎌倉期に衰退していきました。この特別公開の時期に、11時と14時に、住職による今様が披露されたんですが、時間の都合で聞けませんでした。
本 堂
本尊の不動明王像は、「身代わり不動」と呼ばれており、法住寺創建当時から尊崇されています。後白河法皇がこの地に御所をかまえたのも、この像の霊験を体験したからと言う。
この本堂には、四十七士木像があるんです。何故?と思ってると、ガイドさんが説明がありました。忠臣蔵で有名な大石内蔵助は、山科に仇討ちの好機をうかがっていましたが、この法住寺の身代わり不動尊に大願成就を祈願したと言われています。 法住寺は、永く義士の遺徳を伝えるため、四十七士木像を安置することになったそうです。
右が本堂 左が阿弥陀堂
枝垂れ桜が咲いています。4月中旬に行った時に撮りました。特別拝観が始まったら人が多いだろうと思って。しかし、わざわざそれだけで行きた訳ではありません。 洛東遣芳館から国立博物館に行って、そして寄りました。
現在は、躑躅が咲く境内に変わっています。
日本は四季があって、桜が咲き終わると、こうして躑躅が咲く。躑躅が終わるとサツキが咲く。つくつぐ四季があって良いなぁと思ってしまいます。
法住寺を見学したら、その北隣にある、後白河天皇法成寺陵へ行きました。
宮内庁管轄で、土曜・日曜・祭日は、門が閉まって入れません。平日のみですので、行かれる方は注意してください。
狭い参道の突き当たりには、法住寺の名を刻んだ手水鉢が置かれてます。
ガイドさんより案内は、ありませんでしたが、何人か来てました。
現在、放送中の「平清盛」では、後白河法皇は、松田翔太さんが演じています。これから平清盛と、どう対峙していくか楽しみです。歴代ワーストの視聴率らしいです。画面が埃ぽっいし暗いし・・・。 しかし、これからの展開を少し?期待したいと思っています。多分、この大河ドラマが放送されてなかったら、ここには来てなかったと思います。
なお、大河ドラマ「平清盛」の」番組最後の紀行で、この法住寺と法住寺陵は紹介されました。第9話のことでした。 また、後白河法皇が愛した今様は、第18話で取り上げられました。