肥後・細川家の大名庭園 水前寺成趣園
熊本城の東南に、細川家ゆかりの名園・水前寺成趣園があります。
高校の修学旅行でも行けなかったのが、この水前寺成趣園で、阿蘇から熊本市に入って、ホテルにも寄らずここへ来ました。
その水前寺公園には表参道から入りました。
入るとすぐに、水前寺公園の全景が広がってます。
「水前寺富士」で名高い築山をはじめ、東海道53次を縮景した回遊式庭園となってます。
水前寺成趣園の歴史は、阿蘇の伏流水がこんこんと湧き出ることから、370年前に豊前から肥後に転封になった細川家3代忠利がお茶屋と水前寺を建造したのが始まり。そして5代綱利のころまで、80年の歳月をかけて完成させた。
回遊式庭園のため、時計回りで見て回りました。まず、庭園内にある出水神社参道から
西南戦争で荒廃した城下復興の願いを込めて、1878年(明治11)に旧藩士の有志が集い創建されました。
初代幽斉から忠興・忠利の3代と、宝暦の改革の名高い8代重賢を主神に、歴代藩主とガラシャ夫人を祀っています。
そして出水神社境内にある稲荷神社。
京都の伏見稲荷から勧請した末社。水前寺成趣園の守護神。
このまま進んで、入り口から見たから対岸にでます。そして築山の富士山が目の前に
代々細川家が愛した水前寺富士。
その熊本藩初代藩主・細川忠利公の銅像
細川幽斉・忠興と次いで、熊本藩をまかされた忠利。明治維新まで続くことになる。
庭園の南側には、能舞台がありました。
毎年8月第1土曜日の夕刻より薪御能が催されます。
ここで一周しました。庭園南側から水前寺富士を
手前の池が琵琶湖・そ手前の浮島を竹生島にみたてています。
竹生島を近くで見てみました。
この熊本旅行の初日には、水前寺公園に行く予定にはしてなかったんですが、時間があったので寄ってみたんです。少し足早に見て、明日ゆっくり見る予定でした。ただ次の日が猛烈な暑さで、熊本城だけで、次の水前寺公園は断念したんです。帰ってからパンフレットで見所はまだまだあったようで、この水前寺成趣園も次に行く機会があれば、もう一度行ってみたいです。素晴らしい大名庭園でした。
高校の修学旅行でも行けなかったのが、この水前寺成趣園で、阿蘇から熊本市に入って、ホテルにも寄らずここへ来ました。
その水前寺公園には表参道から入りました。
入るとすぐに、水前寺公園の全景が広がってます。
「水前寺富士」で名高い築山をはじめ、東海道53次を縮景した回遊式庭園となってます。
水前寺成趣園の歴史は、阿蘇の伏流水がこんこんと湧き出ることから、370年前に豊前から肥後に転封になった細川家3代忠利がお茶屋と水前寺を建造したのが始まり。そして5代綱利のころまで、80年の歳月をかけて完成させた。
回遊式庭園のため、時計回りで見て回りました。まず、庭園内にある出水神社参道から
西南戦争で荒廃した城下復興の願いを込めて、1878年(明治11)に旧藩士の有志が集い創建されました。
初代幽斉から忠興・忠利の3代と、宝暦の改革の名高い8代重賢を主神に、歴代藩主とガラシャ夫人を祀っています。
そして出水神社境内にある稲荷神社。
京都の伏見稲荷から勧請した末社。水前寺成趣園の守護神。
このまま進んで、入り口から見たから対岸にでます。そして築山の富士山が目の前に
代々細川家が愛した水前寺富士。
その熊本藩初代藩主・細川忠利公の銅像
細川幽斉・忠興と次いで、熊本藩をまかされた忠利。明治維新まで続くことになる。
庭園の南側には、能舞台がありました。
毎年8月第1土曜日の夕刻より薪御能が催されます。
ここで一周しました。庭園南側から水前寺富士を
手前の池が琵琶湖・そ手前の浮島を竹生島にみたてています。
竹生島を近くで見てみました。
この熊本旅行の初日には、水前寺公園に行く予定にはしてなかったんですが、時間があったので寄ってみたんです。少し足早に見て、明日ゆっくり見る予定でした。ただ次の日が猛烈な暑さで、熊本城だけで、次の水前寺公園は断念したんです。帰ってからパンフレットで見所はまだまだあったようで、この水前寺成趣園も次に行く機会があれば、もう一度行ってみたいです。素晴らしい大名庭園でした。