長宗我部盛親の墓所 蓮光寺へ

長宗我部盛親は、戦国時代に四国の覇者となった長宗我部元親の四男として生まれ、後に長宗我部家の家督を継ぎ四国の国主となりますが、関ヶ原の戦いで敗れ領地没収・改易。1615年(元和元年)大阪夏の陣に敗れ、六条河原で斬首され長宗我部家は滅亡します。

その盛親のお墓がある蓮光寺へ行ってきました。

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場所は、五条通り富小路を少し下がった左手に山門があります。以前、紹介した長講堂の手前です。

山門を入って正面に本 堂

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サツキが咲いていて綺麗でした。本尊は、負別阿弥陀如来像で通常は、非公開となっています。

この蓮光寺を訪れる前に、事前に問い合わせをしたんです。通常非公開の蓮光寺を訪れても入れるかどうか不安だったためです。蓮光寺からの回答を要約すると以下のとおりです。

「当寺は一般観光寺院ではありませんので、本尊の負別阿弥陀如来像の拝観は事前に電話連絡による予約が必要です。説明とお菓子付きでお一人1000円。長宗我部盛親公のお墓と駒止地蔵尊は境内地にあるので、自由にお参りいただいても結構てす」と。

入って「場所は何処かなぁ」と迷うことなく、案内が出ていました。

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墓地の奥、突き当たりと書いてあります。

長宗我部盛親公のお墓

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長宗我部盛親「関ヶ原の戦い」で敗れた結果、浪人となり京で豊臣家の再興を期した時期に、当山の住職蓮光上人と親交があったそうで、「大阪夏の陣」で敗れた結果、六条河原で処刑されたあと、蓮光上人京都所司代板倉勝重に請い、首級を当山の墓地に葬って供養したと言う。

出身地の高知県をはじめ、全国からお参りに訪れると人が絶えないらしい。 四国統一を成し遂げた長宗我部元親から2代で滅んでしまったわけで、土佐(高知)には山内家が入ってきて、旧長宗我部家家臣は下士(下級武士)・山内家は上士(上級武士)と身分制度があったのを「龍馬伝」で聞きました。ふるさと土佐(高知県)から遠く離れた京都の地で盛親は眠っています。


2009年8月の高知旅行で訪れた、若宮神社内にある長宗我部元親初陣の像です。

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1560年(永禄3年)5月末、22歳で初陣を迎えた若武者元親父国親と共に宿敵本山勢の立てこもる長浜城攻めに取りかかり決戦前夜若宮八幡宮社頭のこの地に必勝を祈願し、見事これを打ち破った。初陣以来25年四国全土を掌握し四国統一を成し遂げる。これはこの時の模様の銅像です。

戦国歴史ファンにとって、境内は小さいお寺ですが是非とも訪れたい寺院でした。 もう一つの駒止地蔵尊については、訳あって、放送されるかどうかわかりませんが、「平清盛」のドラマ紀行の後にします。もしかして放送されないかも。



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    Excerpt: 新善光寺を出て富小路通りを下がります。少しだけ距離があるので、蓮光寺には11時35分に着きました。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2014-11-06 02:56