平清盛が造営した三十三間堂

通称三十三間堂の名で知られていますが、で正式名は、蓮華王院と言います。1164年(長寛2)に後白河法皇の勅願で平清盛の私財によって建立されました。

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内陣の柱間33あることから三十三間堂と呼ばれました。後白河法皇はここに、極楽浄土への往来を願いました。 平清盛が造営したお堂も市中からの火災により焼失し、現存の建物は、鎌倉期に再建されたもの。現在は、国宝に指定されています。

5月に後白河法皇ゆかりの法住寺へ行きました。そこで、院の御所とした法住寺殿の中に三十三間堂があったことを知りました。この写真は、2010年に訪れたものですが、こうしてもう一度見直して見ると、違ったものに見えてきます。

後白河法皇は、1161年(永暦2)から1192年(建久3)の役30年、法住寺殿に住み、平清盛と対峙し陰の実力者として政治をここで動かしました。

NHK大河ドラマ「平清盛」では、後白河法皇を松田翔太くんが演じています。これからが楽しみです。


何回か三十三間堂に行ってます。そのため法住寺に行ったあと、三十三間堂には行かずに前回行った時の写真を整理してたら後白河上皇院政庁「法住寺殿」址碑があって

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当時の法住寺殿の規模が木札に書いてありましした。

本堂の東側には規模は小さいながら庭園もあって

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庭園越しに見る本堂も素敵です。拝観受付を済ませると、殆どの観光客は、本堂の中に入られるため、暫くは庭園や外観を楽しむには空いています。

その庭園には、夜泣地蔵が祀られている手水舎があり

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夜泣泉とよばれる湧水で、幼児の「夜泣き封じ」に功徳があるとされています。

そのまま、本堂の南側から西向きの広場は、毎年「成人の日」に、通し矢の会場となります。

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毎年、テレビニュースで流れてて有名です。
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かつては弓の腕を競って熱戦が繰り広げられたが、現在は新年の弓引き初めの儀式として残っています。新成人の晴れ着で弓を射る姿は、今や正月の風物詩と言えます。

これで本堂を一週したで、堂内

堂内は、撮影禁止です。金色の千手観音立像が整然と建ち並ぶ姿は、圧巻です。1001体のうち、124体が創建当時のもの。876体が鎌倉時代の再興のもの。1体が室町時代ものです。

後白河法皇が夢見た観音浄土の世界で、極楽浄土の往生を切に願い千手観音に格別な思い寄せたんでしょう。一見の価値はあるかと思います。是非!!。

本堂から見た東大門

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逆行で見にくいですが、この先にあるのが、後白河天皇法住寺陵です。後白河法皇は、今も三十三間堂を静かに見守っています。

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そして外からみた東大門です。

その東大門の北にあるのが北門です。

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中では、北門と東大門朱塗りの回廊で結ばれています。

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最後に、太閤塀(築地塀)

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1595年(文禄4)の方広寺大仏殿の遺稿と伝わります。重要文化財に指定されています。

その続きにあるのが南大門です。

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同じ、方広寺大仏殿の南門として築いたもの。これも重要文化財に指定されてます。

太閤塀の先に見えているのが、京都タワー。次回は、京都タワーを紹介します。



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