加藤清正が築いた堅城 熊本城

今から5年前の暑い夏、加藤清正が築いた天下の名城・熊本城に行きました。(熊本城は、私が訪れた翌年に、本丸御殿が完成し、その後も次々に櫓が復興されてるよです。写真は、現在と相違があると思われます。)

美しさと軍事上の要塞を兼ね備えた熊本城には、高校の修学旅行で訪れて以来でした。当時は観光バスから天守閣を見るだけでしたが、今回の旅行でゆっくり時間を取って回りました。 ここに来るまでに阿蘇方面を回ってきました。その時は雨が降っていたんです。熊本市に入ってから晴れてきまた。

まずは、熊本城を築いた加藤清正銅像から

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行幸橋の南に位置します。加藤清正は、豊臣秀吉の天下統一後、肥後の領主をまかされ築城を開始。関ヶ原の戦いの後、肥後54万石の藩主として7年かがり完成させます。

その行幸橋を渡ると、重要文化財に指定されている長塀馬具櫓

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坪井川沿いに242㍍が残り、往時の面影を残しいます。

行幸坂を上がり、櫨方門から入りました。そのまま天守閣へ直行はしなくて、加藤清正が築いた石垣の要塞をじっくり見ることに。

二様の石垣と言って新旧の石垣が混在。

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加藤清正時代のものに、あとから細川時代初期の石垣が重なっています。さすがに築城の名人だけに、綺麗な曲線にうっとり。

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高石垣に綺麗な曲線。さすが加藤清正。


2005年(平成17)に復興なった飯田丸五階櫓

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最初、下から見上げて通り過ぎましたが、天守閣を見たあとに、近くまで見にいきました。

この日は本当に暑かったんです。熊本市も京都市と同様に盆地で、九州では一番暑くなるらしい。この年に熊本を訪れて教えてもらったことです。それまで、こんなに暑いとは知りませんでした。

いよいよ、修学旅行以来の天守閣

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西面です。西日に照らされた大天守と小天守が美しい。

大天守は、3層6階に地下1階で、復元され鉄筋コンクリート造りです。前途の飯田丸櫓は、木製で復元されていたので、今なら多分木製で復元されたんでしょうけど・・・。 ご存じのとおり西南戦争で天守閣は焼けてしまいました。゜

そして、次に東面です。

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こちらは朝日に照らされてた大天守と小天守。高校生だった私は、ここから写真を撮ってました。ただ当時、バスを降りたらすぐにこの風景だったように記憶してるんですが・・・。

夕日と朝日に照らされた天守閣?。 そえなんです。2日続けて行ったんです。初日は阿蘇方面から熊本市に入りましたが、まだ時間があったので、ホテルに荷物を預けて、見に行きました。ただ時間がなかったので、本丸しか行けませんでした。この初日の登城は予定外でした。

天守閣入り口

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右が加藤家の家紋(蛇の目紋)、左が細川家の家紋([五七の桐) 入り口には鎧甲の門番さんが・・・。

天守閣最上階からの眺望で、東の阿蘇方面を望む

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手前の下が、来年オープンする本丸御殿。真ん中に、私が泊まった。熊本日航ホテル。ホテルからも天守閣が綺麗に見えました。

次に大天守から見た宇土櫓

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西の方向としか言えません。地理がわからいので・・・・

本丸の西側に横手五郎の首掛石があって

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築城の時にこの石を首にかけて運んだと伝わる怪力の持ち主。多分伝説の人物でしょうね。

現在は、本丸御殿に入れます。諸説いろいろありますが、私は、豊臣秀頼を呼び寄せて豊臣政権の復興を願ったんじゃないかなぁと思ってて、いつになるかわかりませんが、再登城して生で見て感じてみたいです。

次回は、熊本城で唯一の遺稿・宇土櫓を紹介します。



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