西国28番札所 成相寺
天橋立シリーズ最後は、文殊エリアの対岸にある成相山から眺望です。 この日は、28番札所・成相寺と29番札所・松尾寺にお参りするため、早朝に京都を車で出発しました。
国道178線から成相山に入りますが、冬場では絶対にの登れないと思うほど急な坂を上がっていきます。 家から3時間ぐらいでやっと到着。
本 堂(京都府文化財指定)から
納経所は、本堂の中にあります。 いつものようにお参りのあと朱印いただきました。1774年(安永3)建造。
ここ成相寺は2回目で、前回は車がなかったので、宮津まで電車。そこからバスで天橋立へ行き。文殊から観光船で一の宮へ出て。傘松公園までケーフルリフトで登り、傘松駅から登山バスで成相寺まで行きました。 傘松公園からも股のぞきができます。ビューランドから見る風景と違った趣がありますが、当時はカメラ無かったので残っていません。
せっかく遠路はるばる来たので境内をゆっくり散策。本堂横にあって境内最古の建物である、熊野権現社。
1676年(延宝4)建造。保存のため、社殿の周りを小屋が覆っています。
本堂間にある鉄湯船(重要文化財)
1290年(正応3)完成と伝わり、当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われます。
熊野権現社のまえにあるのが十三堂
孔雀明王・閻魔大王・賓頭盧尊者を安置しています。
それでは階段を下ります。
撞かずの鐘へ向かいますが、階段下にある観音堂
西国三十三霊場の各ご本尊を安置しています。
駐車場の横。階段途中にある鐘楼の撞かずの鐘
この鐘にまつわる悲しい逸話があって。
【案内板によると】
『1609も年(慶長14)山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。 やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。』
1998年(平成10)完成した真新しい五重塔
鎌倉時代の形式をそのままに復元されました。
再び駐車場に戻って、車で成相山大パノラマへ登ります。
再び急な坂を登って山頂の駐車場に止めました。ただ先述しましたが、゛前回はここまで歩いて登ったんです。若かったんだなぁ
。 ここからの眺めは絶景です。天橋立もあんなに小さく見えています。ここからの眺めは、どうしても逆光になってしまいますが、かわらけ投げもあって楽しいひとときでした。
土曜日の朝、こんなに広い駐車場があって、この時は私の愛車だけです。
よく頑張って登ってくれました。
《撮影日 2006年9月末》
このあと、京都府と福井県の県境近くにある、29番札所の松尾寺に向かいました。ここ天橋立から松尾寺まで結構距離があるんです。そのため文殊には寄らずに、翌年、再び訪れた次第です。

国道178線から成相山に入りますが、冬場では絶対にの登れないと思うほど急な坂を上がっていきます。 家から3時間ぐらいでやっと到着。
本 堂(京都府文化財指定)から
納経所は、本堂の中にあります。 いつものようにお参りのあと朱印いただきました。1774年(安永3)建造。
ここ成相寺は2回目で、前回は車がなかったので、宮津まで電車。そこからバスで天橋立へ行き。文殊から観光船で一の宮へ出て。傘松公園までケーフルリフトで登り、傘松駅から登山バスで成相寺まで行きました。 傘松公園からも股のぞきができます。ビューランドから見る風景と違った趣がありますが、当時はカメラ無かったので残っていません。
せっかく遠路はるばる来たので境内をゆっくり散策。本堂横にあって境内最古の建物である、熊野権現社。
1676年(延宝4)建造。保存のため、社殿の周りを小屋が覆っています。
本堂間にある鉄湯船(重要文化財)
1290年(正応3)完成と伝わり、当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われます。
熊野権現社のまえにあるのが十三堂
孔雀明王・閻魔大王・賓頭盧尊者を安置しています。
それでは階段を下ります。
撞かずの鐘へ向かいますが、階段下にある観音堂
西国三十三霊場の各ご本尊を安置しています。
駐車場の横。階段途中にある鐘楼の撞かずの鐘
この鐘にまつわる悲しい逸話があって。
【案内板によると】
『1609も年(慶長14)山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。 やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。』
1998年(平成10)完成した真新しい五重塔
鎌倉時代の形式をそのままに復元されました。
再び駐車場に戻って、車で成相山大パノラマへ登ります。
再び急な坂を登って山頂の駐車場に止めました。ただ先述しましたが、゛前回はここまで歩いて登ったんです。若かったんだなぁ

土曜日の朝、こんなに広い駐車場があって、この時は私の愛車だけです。

《撮影日 2006年9月末》
このあと、京都府と福井県の県境近くにある、29番札所の松尾寺に向かいました。ここ天橋立から松尾寺まで結構距離があるんです。そのため文殊には寄らずに、翌年、再び訪れた次第です。