平清盛ゆかりの地 「保元の乱」の舞台 高松殿跡(高松神明神社)へ
保元の乱で平清盛・源義朝などの軍勢が集結した場所 高松殿跡(高松神明神社)へ行ってきました。
『平清盛展』の京都文化博物館を西へ綾小路を進み、新町通りをを西に入ると、高松神明神社があります。
その鳥居の前に石碑があって「此の付附近 高松殿址」と書いてあります。
もと醍醐天皇の皇子源高明の邸宅で、1146年(久安2)鳥羽上皇によって新造され当地で後白河天皇は即位しました。
この高松殿に平清盛300余騎・源義朝200余騎・源義康100余騎が集まったのが1156年(保元1)7月11日未明のことです。鴨川をはさんで白川北殿を3方向から奇襲しますが、崇徳上皇側の抗戦もあり、源義朝は、後白河天皇に火攻めの勅許を要請し、認められると白川北殿の隣家に放火。火が白川北殿に燃えると崇徳上皇と藤原頼長らは逐電し、上皇の兵も逃走。わずか4時間で戦いは終結した。天皇家が(兄)崇徳上皇Vs(弟)後白河天皇、摂関家が(弟)藤原頼長Vs(兄)藤原忠通、源氏が(父)源為義(弟)源為朝Vs(兄)源義朝。平氏が(叔父)平忠正Vs(甥)平清盛で、争った戦いを「保元の乱」と呼ばれています。 赤字が後白河天皇派。
NHK大河ドラマ「平清盛」では、崇徳上皇は井浦新さん。後白河法皇は松田翔太さん。藤原頼長は山本耕史さん。藤原忠通が堀部圭亮さん。源為義が小日向文世さん。為朝が橋本さとしさん。平清盛が松山ケンイチさん。平忠正が豊原功補さんが演じ、高松殿址は、5月27日放送の第21回ドラマ紀行て紹介されました。白川北殿は、今の動物園・平安神宮のあたりでしょうか? 遠い昔、ここで戦があったのは足跡を訪ねてみました。
この高松神明神社の鳥居をくぐると、境内は狭いこと狭いこと。
秀吉による都市計画や、たびたび火災に遭うなどして、当時よりもかなり規模が小さくなってしまっています。当時の面影は残っていません。
京都のビジネス街のど真ん中にある高松晴明神社。綾小路通りは東向き一方通行で、ひっきりなしに車が通ります。ここから三条京阪を越えて、京阪神宮丸太町駅近くの京大熊野寮あたりにあった白川北殿を急襲しに、ここを出陣したんでしょうね。このドラマの放送で、高松殿址を知りました。

『平清盛展』の京都文化博物館を西へ綾小路を進み、新町通りをを西に入ると、高松神明神社があります。
その鳥居の前に石碑があって「此の付附近 高松殿址」と書いてあります。
もと醍醐天皇の皇子源高明の邸宅で、1146年(久安2)鳥羽上皇によって新造され当地で後白河天皇は即位しました。
この高松殿に平清盛300余騎・源義朝200余騎・源義康100余騎が集まったのが1156年(保元1)7月11日未明のことです。鴨川をはさんで白川北殿を3方向から奇襲しますが、崇徳上皇側の抗戦もあり、源義朝は、後白河天皇に火攻めの勅許を要請し、認められると白川北殿の隣家に放火。火が白川北殿に燃えると崇徳上皇と藤原頼長らは逐電し、上皇の兵も逃走。わずか4時間で戦いは終結した。天皇家が(兄)崇徳上皇Vs(弟)後白河天皇、摂関家が(弟)藤原頼長Vs(兄)藤原忠通、源氏が(父)源為義(弟)源為朝Vs(兄)源義朝。平氏が(叔父)平忠正Vs(甥)平清盛で、争った戦いを「保元の乱」と呼ばれています。 赤字が後白河天皇派。
NHK大河ドラマ「平清盛」では、崇徳上皇は井浦新さん。後白河法皇は松田翔太さん。藤原頼長は山本耕史さん。藤原忠通が堀部圭亮さん。源為義が小日向文世さん。為朝が橋本さとしさん。平清盛が松山ケンイチさん。平忠正が豊原功補さんが演じ、高松殿址は、5月27日放送の第21回ドラマ紀行て紹介されました。白川北殿は、今の動物園・平安神宮のあたりでしょうか? 遠い昔、ここで戦があったのは足跡を訪ねてみました。
この高松神明神社の鳥居をくぐると、境内は狭いこと狭いこと。
秀吉による都市計画や、たびたび火災に遭うなどして、当時よりもかなり規模が小さくなってしまっています。当時の面影は残っていません。
京都のビジネス街のど真ん中にある高松晴明神社。綾小路通りは東向き一方通行で、ひっきりなしに車が通ります。ここから三条京阪を越えて、京阪神宮丸太町駅近くの京大熊野寮あたりにあった白川北殿を急襲しに、ここを出陣したんでしょうね。このドラマの放送で、高松殿址を知りました。