歴史と文化の城下町 津山城跡(鶴山公園)へ
大型台風16号が去って晴れ間が回復した9月19日に、歴史と文化の城下町、岡山県津山市へ行ってきました。お目当ては、「一二三段」で有名な、津山城と旧津山藩別邸庭園である衆楽園です。
折角の夏休みも、前半は台風の影響で雨模様となりましたが、天気が回復するのを祈り予約してあった、JR高速バスで、津山市へ。
京都を9時40分に出発。名神・中国高速道を通って、予定どおり12時41分に到着。折り返しで津山市を17時10分発で京都に戻るため、滞在4時間で効率よく廻る予定をたてました。
JR津山駅から歩いて約15分で、津山城に到着。
広大な津山城の入口は、津山観光センター横の石段を上がったところに受付があって入園料は、300円で、入口は、一つだけ。ここから登城しました。
津山城は、「関ヶ原の戦い」の戦功によって森忠政が、信州川中島から16万6500石として入封。そして13年もの歳月をかけて完成させた平城です。この城の特徴は、「一二三段」と呼ばれる石垣で、堅固無比の縄張りを誇りました。残念ながら明治後に取り壊され、現在は、備中櫓(再建)を除いて、石垣を残すだけになりましたが、かつては壮大な天守閣も要していました。
受付手前にある、森忠政の銅像です。
美作国津山藩の初代藩主である森忠政の銅像です。
三の丸へ通じる石段を登ります。
入口から本丸へ向かいますが、本丸へ行くには、曲がりくねった石段を登っていきます。
三の丸か二の丸への表中門跡です。
三の丸から二の丸へ通じる正門にあたります。かつては櫓門形式で城内最大の規模を誇っていたようです。
二の丸へ通じる石段を登れば、やっと備中櫓が見えてきました。
明治以後、解体された津山城で、城内で唯一再建された櫓です。
備中櫓のある本丸には、反対方向にある切手門跡の石段を登ります。
城の醍醐味と言うより面白味である、まるで迷路のような造り。
切手門跡の石段を登り、再び反対側に本丸跡へ向かうと、本丸に通じる門、表鉄門跡の石段を登ります。
本丸への入口にあたる櫓門で、門扉全体が鉄板で覆われていたため、この名がつきました。
そして、広い広い本丸跡にやっと到着です。
ここには御殿などがあったようです。
本丸跡から登れる櫓があって、ます太鼓櫓から
毎日12刻を報ずる太鼓が打ち鳴らされたため、この名がついたと言う。ここからの眺望は、南東方向になります。岡山作陽高校が見えています。
次に長屋櫓跡へ
北西の方向にたります。手前にあるのが、津山文化センターです。
最後に、栗積櫓へ。
北の方向で、美作高校や津山市役所、衆楽園の方向にあたります。ここからの眺望は素晴らしいけど、柵が無いので、写真を撮るのは怖かった。
さすがに、3つの急な櫓の階段を登ったら、足・膝・太股が張ってきました。体力には少々自身があっても、急な石段は応えます。
2004年(平成16)に、築城開始400年を記念し、再建された備中櫓。
100名城のスタンプは、ここの受付で言えば出してくれます。33城目のスタンプをゲット
内部も昔の設計図によって再現されており、ここは2階にある上段の間です。
昨日までの夏の空気が秋の空気と入れ替り、ここに入ってくる風は冷たくて気持ち良かったけど、ここまで歩いて登ってきたんで、汗だくに。 汗が引くまで津山城を詳しく紹介するビデオを見ました。かつての壮大な城の模様が良くわかります。必見です。
最後は、天守跡へ。
備中櫓横の門から入ります。明治までは、五層の天守閣がそびえていました。
天守台に登ってみると、ここから眺望は素晴らしい。
破風を持たない質素な5層の天守閣だったようです。解体される前の古写真も残っており、この天守台で見ることができます。天守台から西の方向を見ています。
備中櫓の受付で、次に行く衆楽園への行き方を聞いたところ、再び受け付けに戻らずに、裏門から出たら最短で行けそうなので、そちらに向かいます。
本丸から裏鉄門跡の石段から降りることにします。
ここからの石段は、大変急で、自然の石を積み上げたような大変、歩きにくいので、ここから登るのはお勧めできません。
裏門から天守台を見ます。
一二三段と呼ばれる特徴のある石段が良く分かります。この裏門からは、出ることはできますが、入ることはできませんのでご注意を。
津山城は、備中櫓は再建されましたが、天守閣や他の櫓はどうなんでしょう・・・。春には1000本もの桜が咲き誇ります。どれだけ見事なものか見て見たいです。電車で行くよりバスは格安だし、何度か乗り換えが必要な電車に比べて乗り換え不要だし、また再登城したいお城です。
次に、旧津山藩別邸庭園の衆楽園へ向かいます。
折角の夏休みも、前半は台風の影響で雨模様となりましたが、天気が回復するのを祈り予約してあった、JR高速バスで、津山市へ。
京都を9時40分に出発。名神・中国高速道を通って、予定どおり12時41分に到着。折り返しで津山市を17時10分発で京都に戻るため、滞在4時間で効率よく廻る予定をたてました。
JR津山駅から歩いて約15分で、津山城に到着。
広大な津山城の入口は、津山観光センター横の石段を上がったところに受付があって入園料は、300円で、入口は、一つだけ。ここから登城しました。
津山城は、「関ヶ原の戦い」の戦功によって森忠政が、信州川中島から16万6500石として入封。そして13年もの歳月をかけて完成させた平城です。この城の特徴は、「一二三段」と呼ばれる石垣で、堅固無比の縄張りを誇りました。残念ながら明治後に取り壊され、現在は、備中櫓(再建)を除いて、石垣を残すだけになりましたが、かつては壮大な天守閣も要していました。
受付手前にある、森忠政の銅像です。
美作国津山藩の初代藩主である森忠政の銅像です。
三の丸へ通じる石段を登ります。
入口から本丸へ向かいますが、本丸へ行くには、曲がりくねった石段を登っていきます。
三の丸か二の丸への表中門跡です。
三の丸から二の丸へ通じる正門にあたります。かつては櫓門形式で城内最大の規模を誇っていたようです。
二の丸へ通じる石段を登れば、やっと備中櫓が見えてきました。
明治以後、解体された津山城で、城内で唯一再建された櫓です。
備中櫓のある本丸には、反対方向にある切手門跡の石段を登ります。
城の醍醐味と言うより面白味である、まるで迷路のような造り。
切手門跡の石段を登り、再び反対側に本丸跡へ向かうと、本丸に通じる門、表鉄門跡の石段を登ります。
本丸への入口にあたる櫓門で、門扉全体が鉄板で覆われていたため、この名がつきました。
そして、広い広い本丸跡にやっと到着です。
ここには御殿などがあったようです。
本丸跡から登れる櫓があって、ます太鼓櫓から
毎日12刻を報ずる太鼓が打ち鳴らされたため、この名がついたと言う。ここからの眺望は、南東方向になります。岡山作陽高校が見えています。
次に長屋櫓跡へ
北西の方向にたります。手前にあるのが、津山文化センターです。
最後に、栗積櫓へ。
北の方向で、美作高校や津山市役所、衆楽園の方向にあたります。ここからの眺望は素晴らしいけど、柵が無いので、写真を撮るのは怖かった。
さすがに、3つの急な櫓の階段を登ったら、足・膝・太股が張ってきました。体力には少々自身があっても、急な石段は応えます。
2004年(平成16)に、築城開始400年を記念し、再建された備中櫓。
100名城のスタンプは、ここの受付で言えば出してくれます。33城目のスタンプをゲット
内部も昔の設計図によって再現されており、ここは2階にある上段の間です。
昨日までの夏の空気が秋の空気と入れ替り、ここに入ってくる風は冷たくて気持ち良かったけど、ここまで歩いて登ってきたんで、汗だくに。 汗が引くまで津山城を詳しく紹介するビデオを見ました。かつての壮大な城の模様が良くわかります。必見です。
最後は、天守跡へ。
備中櫓横の門から入ります。明治までは、五層の天守閣がそびえていました。
天守台に登ってみると、ここから眺望は素晴らしい。
破風を持たない質素な5層の天守閣だったようです。解体される前の古写真も残っており、この天守台で見ることができます。天守台から西の方向を見ています。
備中櫓の受付で、次に行く衆楽園への行き方を聞いたところ、再び受け付けに戻らずに、裏門から出たら最短で行けそうなので、そちらに向かいます。
本丸から裏鉄門跡の石段から降りることにします。
ここからの石段は、大変急で、自然の石を積み上げたような大変、歩きにくいので、ここから登るのはお勧めできません。
裏門から天守台を見ます。
一二三段と呼ばれる特徴のある石段が良く分かります。この裏門からは、出ることはできますが、入ることはできませんのでご注意を。
津山城は、備中櫓は再建されましたが、天守閣や他の櫓はどうなんでしょう・・・。春には1000本もの桜が咲き誇ります。どれだけ見事なものか見て見たいです。電車で行くよりバスは格安だし、何度か乗り換えが必要な電車に比べて乗り換え不要だし、また再登城したいお城です。
次に、旧津山藩別邸庭園の衆楽園へ向かいます。