瀬戸内を望む水城 玉藻公園・高松城跡へ

栗林公園から次に高松城がある玉藻公園に向かいました。讃岐は、雨が少なく温暖な気候で塩田で栄えました。最近は、讃岐うどんで有名で、この後の昼食は、もちろん讃岐うどん

高松城は、1588年(天正16)生駒親正によって築城がはじまり、瀬戸内に直接面し、堀に海水を取り込んだ水城で、別名は玉藻城。生駒氏が改易された後、1642年(寛永19)松平頼重(徳川光圀の兄)が入封し明治まで松平家が続いた。

車は、東入口で止めてもらい、旭門から入城。

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門を入って左に受け付けがあり、入城料200円。100名城のスタンプは受付で言えば出してくれます。 ここでスタンプをゲット 31城目 先はまだまだ長い。

門を入る前に、艮櫓(旧太鼓櫓跡)です。

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重要文化材に指定されています。


残暑厳しく、汗だくになりながら、城内を進み桜御門跡を通り三の丸に入ります。

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そして左手に本丸天守跡が見えてきます。

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天守閣は、明治に入って取り壊されました。現在古写真を元に再建計画があるそうです。復元されたら是非再訪したい。

陳列館には、天守閣の模型古写真がありました。

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最上層が下層より大きい南蛮造り言われる建築であったようです。

城内にある披雲閣では、「蘇鉄の間が公開」と看板に書いてあったので入ることに

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松平藩時代にも現在の場所に披雲閣と呼ばれる広大な建物がありましたが取り壊されました。しかし1917年(大正6)に再建され現在は、貸会場として会議,茶会,華展などに利用されています。

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外は炎天下で暑かったので、休憩をかねて入ってみました。温暖な気候で高松は滅多に雪もも降らないらしい。

披雲閣を出て、内苑御庭

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門を入ると先ほどの蘇鉄の庭と披雲閣が

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私が写真を撮った時は空いてたが、外から見ると子供が走ってました。 8月最後の日曜日。宿題は済んだのかなぁ。私が子供の頃、この時分から焦りだしたものです

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1916年(大正5)頃作造された枯山水の庭です。

東入口で車を降ろしてくれましたが、西入口で待っててくれてます。その西入口には水門があって

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海の水を取り入れるための水門。ここに来れば潮の香りがしてて、またお堀は海の魚が泳いでるらしい。

ここからも入城できる西入口です。

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私らは東井口から入りましたが、ここから入っていかれる観光客は多かったです。

内陸部の京都に住んでるため、潮の香りが心地良かったです。そんなに広くないので城周りを一周したら良かったけどお昼も過ぎていたので、讃岐うどんを食べに行きました。

運転手さんに連れてもらったので、店の名前は覚えませんが、セルフで食べたいものを自分で取って最後に料金を払い、食べ終わったら、食器を返す。讃岐うどんは腰があって美味しかったです。 人気店なら2時間待ちは当たり前のようです。日曜日のこの日もどこも混でました。

食事の後は、高松平家物語歴史館へ行きました。つづく・・・・。



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