蝋人形の館 高松平家物語歴史館

源平合戦の地、屋島の近くに高松平家物語歴史館があります。

現在NHK大河ドラマ「平重盛」が放送中でもあり、ガイド本を見て是非行ってみたくなったんです。本当は、屋島の山頂にあるものと思ってて、運転手さんに「着きました」と言われて驚いた次第です。

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数日前にネットで予約しておいたら、200円引きで入れました。先ずは1階の「四国の偉人たち」から

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それにしてもリアルに似ています。今にも動き出しそうな・・・。

蝋人形を見るのが初めてで、入って少しドッキリ。一緒に来ていた母は、東京タワー蝋人形館に行ったことがあって、すごくリアルだったようです。

お目当ては2階の平家物語。先を急ぎ2階へ通じる階段に出ると

第10景「一ノ谷の合戦」

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あの有名な鵯越の逆落としの場面が再現さてます。いきなり上から遅いかかってきそうで驚きました。

第1景から17景まで名場面が再現されてます。それでは順番どおりに・・・・。

第1景「平忠盛、鬼を捕らえる」

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この灯籠は京都八坂神社の境内に残っています。この話を知って、正月に写真を撮りに行きました。近くに祇園女御(ドラマでは、松田聖子さん)の供養塔もあります。

第2景「平家に非ずんば人にあらず」

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平時忠(ドラマでは森田剛さん)が言ったとか。平家全盛期の話で日宋貿易で莫大な財を得ていた。

第3景「仏御前、祇王を訪ねる」

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京都・奥嵯峨にある祇王寺が舞台。境内には、祇王・祇女・母刀自の墓があります。今は祇王寺の近くに住宅街がありますが、当時は辺鄙な寂しいところだったんでしょう。

第4景「清盛の孫、摂政・基房を辱める」

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清盛の孫、平資盛一行は摂政藤原基房の車の前を下馬しないどころかをかけ破って通り抜けようとした。資盛は基房の部下達によって馬から引きずりおろされ、ひどい辱めを受け逃げ帰った。

第5景「俊寛のみ赦されず」

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平家打倒の陰謀を企てた鹿谷の陰謀で、俊寛ら3人は九州鬼界が島に流され、2人は許されたが、俊寛だけは許されなかった。このシーンは、歌舞伎の「俊寛」で見たこがあります。

第6景「物怪(もののけ)」

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11800年に清盛は福原への遷都を断行、それ以降奇怪な出来事が起こるようになった。亡の出来事は、平家滅亡の前兆ではないかと噂し合っていたという。

第7景「平家軍、富士川で大敗」

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水鳥のエピソードは太平の世で戦に不慣れとなっていた平家の落ち武者ぶりを示すものとして知られいます。

第8景「平重衛、大仏を焼く」

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1180年、南都に出兵した平重衡の兵火によって焼かれた大仏を前にただ経を唱えるしかない僧侶と嘆き悲しむ民衆が描かれています。

第9景「清盛、高熱を出して死去」

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清盛64歳で死去。熱病に倒れる。

第11景「平敦盛と熊谷直実」

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美少年の平敦盛と熊谷直実の一騎打ちのシーン。京都には、熊谷直実ゆかりの金戒光明寺があります。また、神戸の須磨寺には敦盛の笛を見ることができます。

第12景「那須与一、扇の的を射る」

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今年の3月に、泉涌寺 塔頭 即成院に行って、那須与一のお墓を見てきました。この後、屋島から那須与一の古戦場を見てきました。

第13景「安徳天皇、入水」

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幼い安徳天皇らと共に小舟に乗っていた清盛の妻、二位の尼は、もはやこれまでと覚悟を決め、「波の下にも都がございますよ」とお慰めして海に身を投げ、波の下へと沈んでいったと言うシーン。

第14景「平教経、壮絶な最期」

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平 教経は、平教盛の次男で平家随一の猛将として描かれて、義経のライバルでもあります。源氏の強者2人を道連れに入水するシーン。

第15景「平家滅亡」

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戦い終わって、海上には女人、船には平氏の屍が・・・。栄華を誇った平家もここに滅亡しました。

第16景「祇園精舎の鐘の声」

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入水するも助けられて建礼門院は京都大原に隠棲し、その後尼となって亡き息子や一族の菩提を弔う余生を送っている。今も大原寂光院はひっそりたたずんでいます。

第17景「琵琶法師」

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ものがなしい琵琶の音色。感情あるれる巧妙な語り口。平家物語は、琵琶法師の「語り」を媒体とする特殊文学として伝承されています。

外が暑いので、体を冷やすためゆっくり見て廻りました。平家物語のシーンは、興味津々です。ガイド本にも必見と書いてあったし、ここは良かったです。 次に、源平古戦場跡の屋島へ行きました。つづく・・・。



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