源平の古戦場跡 屋島へ

高松平家物語歴史館を出て、次に源平合戦で有名な屋島に向かいました。 31年前も屋島に来てますが、どうして行ったんだろうと・・・。 ずっと考えても思い出せない。答えは数年前に廃線になった屋島ケーブル・・・だと思います多分・・・

車は、屋島ドライブウェイで山頂を目指しますが、途中で源平檀ノ浦古戦場を見渡せる展望台が。

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義経や那須与一が活躍した古戦場です。ここで屋島にもノ浦があったことをここを訪れて初めて知りました。ここからずっと西に行き平家滅亡の地であるノ浦しか知らなかったです。

:源平の合戦頃の屋島は、浅瀬に隔たられた島でした。写真前側の山麓に内裏があったようです。この周辺には、義経の弓流し跡・那須与一の駒立岩など史跡が残っています。

車は、山頂駐車場で止めてもらいましたが、日曜日だしすごく混雑してました。屋島寺へ向かう途中、運転手さんに「ここを見て下さい」と案内されたのが、瑠璃宝池(別名・血の池)です。

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源平合戦の折、義経はじめ源氏軍が血刀を洗ったところ、池は真っ赤に染まったと言われています。

血の池を少し進むと四国八十八カ所 第84番札所 屋島寺東大門に出ます。

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この門は新しく、駐車場から来られるお遍路さんのために建てられたとか。この日も多くのお遍路さんを見かけました。

今回タクシーの運転手さんは、四国八十八カ所霊場の先達の資格をもっておられ、参拝時の作法や、また巡礼にまつわる面白いエピソードなんか教えてもらいました。  その一つ、今年は閏年にあたります。通常は、1番から88番の順に廻りますが、逆打ちと言って閏年に88番から廻ると御利益が3倍もあるらしい。

754年(天平勝宝6)鑑真和尚の建立と伝わり、弘法大師を中興開山と仰いでいます。本堂は鎌倉時代に造営され、併設の宝物館には源、平合戦の貴重な遺品が収蔵されています。

広いを境内を進み、本堂でお参りします。

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京都から朱印帳を持ってきたので、この本堂前でいただきました。

お昼過ぎて、気温もぐんぐん上がって、猛暑日に・・・。 山頂に来ているので少し涼しいと思ってましたが、暑い・・・。

先ほどの東大門は、駐車場からの入口にあたりますが、従来のお遍路路では、この四天門を通ります。

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阿波藩主の蜂須賀公寄進と伝わっています。

この先に仁王門がありますが、この先の屋島展望台へ向かいました。 途中土産店が立ち並ぶ一軒の冷房の効いているお店で休憩。展望台まで目と鼻の先でしたが、暑くてしんどかったようで・・・。

汗だくになりながら、獅子の霊巌展望台に到着。

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ここでもかわらけ投げがありました。海風が気持ち良かったし、この景色は素晴らしい。

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高松市内を一望 確認できませんが、高松城址や栗林公園も見えているかも。また、夜景も綺麗なんでしょう。

また、ここは屋島城跡でもあります。

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切り立った崖が天然の要塞だったんでしょう。天智天皇の時代に築城された古代山城のようです。

ここから、次に行く五色台や瀬戸大橋まで天気が良ければ見るみたいですが。

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老眼で近をみるとき眼鏡をかけていますが、まだまだ遠くは見えます。望遠鏡は必要ない

古アルバムで確認するとここで集合写真を撮ってました。このあと、屋島水族館に行ったようで、今日は行きませんでしたが、何かのショーをゆってるみたいで声が聞こえてました。

次に、この屋島の麓にある四国村を希望してたんですが、ガイド本を見て予定を変更しました。つづく。



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