崇徳天皇の菩提寺 白峯寺へ

屋島を出て、今日最後の訪問地は、五色台にある白峯寺です。 高松市から坂出市へ移動となり宿泊の琴平温泉には遠回りとなりますが、追加料金で時間延長し白峯寺に行ってもらいました。(当日変更した訳ではありません。事前の打ち合わせで変更してもらいました。)

四国八十八カ所 第81番札所 白峯寺は、崇徳上皇の菩提所で知られています。 保元の乱で敗れた上皇は、この讃岐へ流されました。 NHK大河ドラマ「平清盛」では、井浦 新さんが演じてましたが、怨念の塊になった上皇を迫真の演技で演じられたのが印象的でした。

屋島から車で50分程度、細い山道をくねくね登って到着。それにしてもMBS毎日放送で「昔の人は偉かった」という名の番組をやっていますが、本当です。 今日もお遍路さんは暑い中、登られてました。

駐車場前の山門です。

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早朝に家を出て、15時になりました。気温も一番高くなる頃で、さすがにバテてきました。 ここも次から次にお遍路さんが・・・。1803年(享保3)の再建で、七棟門と呼ばれています。

山門を入って突き当たりに護摩堂があって

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ここで朱印をもらえます。本来は、本堂を参拝後にもらうため、ここで朱印は、私らが本堂にお参りしている間に運転手さんが代行でもらってくれました。

本堂への階段下にある手水舎

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先達の案内により、ここで手を清めます。

ここて本堂を参拝と言いたいところですが、先に崇徳天皇の御廟所へ

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奥に見えているのが、勅使門です。本堂は手前の階段を上ることになります。

門の正面が頓証寺殿

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1680年(延宝8)に高松藩主松平頼重、頼常が大願主となり頓証寺殿、勅額門の再建が行われ現在に至っています。

崇徳上皇が崩御のあと都では変事が続き、そのことは上皇の怨念と恐れられました。 そこで崇徳上皇の霊を祀る御廟所が建てられ、速やかに迷いを断ち悟りを開く供養を行うところから「頓証寺」と追号されました。

頓証寺殿の裏手には、白峯御陵があります。

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1164年(長寛2)に鼓岡で崩御された崇徳上皇は、白峯山 稚児ヶ嶽の頂上で荼毘に付され御陵が築かれました。

御陵の前には、西行法師像

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ドラマでは、藤木直人さんが演じている西行法師。崇徳上皇没後3年、西行法師が参詣され、御陵の前で「よしや君昔の玉の床とても、かからんのちは何にかはせん」と詠まれていました。

再び勅使門を出て、今度は本堂へ向かいます。本堂へはこの長い階段を野掘ります。

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ここを登っている間に、運転手さんに朱印をもらってもらいました。

階段の途中にある鐘楼を見て、まだ登ります。

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階段を登った正面が本堂ですが、左手には阿弥陀堂が手前には、布袋さん

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そして本堂です。

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お遍路さんが次から次から参拝されます。本尊は、千手観世音菩薩を祀っています。

父が四国八十八カ所を廻ろうとしましたが、結果どれくらい残っているか?確認してませんが、まだまだ残っているかと思います。定年後に父の意思を継ぎたいと思っています。

その横にある大師堂です。

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1811年(文化8)高松藩主松平頼儀により再建され、中央に弘法大師、左に稚児大師、右に庚申の本地仏青面金剛が祀られています。

時間もおして、駆け足の参拝となりました。「平清盛」のドラマを見てなかったら来なかったでしょう。ここは四国村のレポートになってた筈です。 今では京都から坂出市まで日帰りも可能ですが、当時は、とてつもなく遠方だったんでしょう。都に戻りたかったけど、弟の後白河天皇に許されず、怨念の伝説が生まれたんでしょうか? 

今日の観光は、ここまでで宿泊するこんぴら温泉に向かいました。つづく。



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