観音寺市 琴弾公園・銭形(砂絵)へ
琴平の紅梅亭を9時に出て、観音寺市の琴弾公園には、約40分ぐらいで着きました。 小学校の教科書に載っていた銭形(砂絵)を見るには、小高い山を登ります。車が一台しか通れないような細い路を登って行きますが、運転手さんの話では登り一方通行で下りも一方通行だそうです。
砂絵を見るには、展望台がありますので、そちらへ向かいます。
砂絵の謂れは案内板より、1633年(寛永10)に、徳川幕府3代将軍・徳川家光から、讃岐巡遣使丸を派遣するとの知らせを受けた丸亀藩藩主の生駒高俊が領内を巡視することになった折、土地の人々が歓迎の気持ちを現わすため、有明浜に急遽白砂に鍬を入れ一夜にして作りあげたと伝わっています。
そしてこれが残念な砂絵です。
遠方から来たのに「寛永通宝」の文字が分からない。話では、春と秋に整備されてるみたいで、自然のものだけに仕方ないけど・・・。
この砂絵について、面白いエピソードがあって「銭形を見たものはお金に不自由しない」という言い伝えがあります。 しかし運転手さんは、「いつもお客さんを連れてきて見ているけど・・・」だそうです。
展望台は何人か砂絵を見てますが、この岩場からも充分堪能できます。
期待して来たので、あの砂絵を見て、正直落胆しました。が自然のことなので仕方ありません。やっぱり瀬戸内は雨が少ないのでしょう。一級河川も殆ど水が流れていませんでした。
次に、再び丸亀市に戻って中津万象園・丸亀美術館に向かいます。つづく・・・。
砂絵を見るには、展望台がありますので、そちらへ向かいます。
砂絵の謂れは案内板より、1633年(寛永10)に、徳川幕府3代将軍・徳川家光から、讃岐巡遣使丸を派遣するとの知らせを受けた丸亀藩藩主の生駒高俊が領内を巡視することになった折、土地の人々が歓迎の気持ちを現わすため、有明浜に急遽白砂に鍬を入れ一夜にして作りあげたと伝わっています。
そしてこれが残念な砂絵です。
遠方から来たのに「寛永通宝」の文字が分からない。話では、春と秋に整備されてるみたいで、自然のものだけに仕方ないけど・・・。
この砂絵について、面白いエピソードがあって「銭形を見たものはお金に不自由しない」という言い伝えがあります。 しかし運転手さんは、「いつもお客さんを連れてきて見ているけど・・・」だそうです。
展望台は何人か砂絵を見てますが、この岩場からも充分堪能できます。
期待して来たので、あの砂絵を見て、正直落胆しました。が自然のことなので仕方ありません。やっぱり瀬戸内は雨が少ないのでしょう。一級河川も殆ど水が流れていませんでした。
次に、再び丸亀市に戻って中津万象園・丸亀美術館に向かいます。つづく・・・。