石垣の美で名高い 丸亀城へ

中津万象園・丸亀美術館を出て、今回の旅行の最大の目的池である丸亀城に着きました。

丸亀城は、高松藩主の生駒氏が、慶長年間(1596~1615)に、標高66㍍の亀山に築いた平城です。一時、一国一城令で、廃城となりましたが、1658年(万治1)京極高和が天守を完成させました。明治になって天守と大手門以外は全て失われましたが、地元の懇願で残されたようです。全国に12個ある現存天守の一つで、日本一小さい天守閣で知られています。

丸亀城には、大手口から登城しました。高齢の母は私らが登ってる間、丸亀世界のガラス館を見学しに行きました。 実は、何処で待っててもらおかと思っていたんです。運転手さんも上まで行ったことがんかったみたいで、良いとこを紹介してもらい助かりました

画像
画像
画像
内堀の石橋を渡ると高麗門形式の大手二の門があります。

その二の門をくぐると大手一の門(太鼓門)

画像
丸亀藩時代、楼上に太鼓を置き、城下に時刻を告げたため。太鼓門の名があります。

そして高さ66㍍を一気に登ります。その坂の名を「見返り坂」と言います。

画像
写真では、そんなに急勾配とは思わないかも知れませんが、この一直線に登っていく坂は、きつかった。

この丸亀城は、石垣で有名です。登りでヘトヘトになりながら、三の丸の石垣です。

画像
高さ21㍍もあります。帰りにゆっくり見ることにしよう・・・。

真夏の日中に急な坂を登ると、当然汗だくになり、旅館でもらい首に巻いてたタオルもずぶ濡れに・・・。 三の丸から二の丸に入りました。天守までもう少し・・・。

画像


二の丸にある二の丸井戸です。

画像
城内再高所にある井戸で、日本一の深さ(65㍍)を誇り現在も水を湛えている。また、羽坂重三郎が敵に通じるのを恐れ、井戸の底に入っている間に石を落とされ殺されたと言う伝説も残っています。

二の丸から本丸に通じる坂です。

画像
もう一踏ん張りです。

そして全国に12ある現存天守で日本一小さい天守閣が見えてきました。

画像
100名城を廻るのは無理としても、12現存天守は是非廻りたいと思っています。ちなみに、残りは、宇和島城・備中松山城・弘前城となりました。

画像
画像
天守閣に入ったところに受け付けがあって、そこで言えばスタンプを出してくれます。そしてスタンプをゲット32城目 入城料は、200円でした。

天守内部です。

画像
画像
スタンプを押してる間に、何人かが先に登られました。下の写真は最上階です。小窓から入ってくる風は天然の扇風機です。しかも強。汗が引きました。 「丸亀の子供達」と題したパネルが飾られています。あまり意味がないような・・・。

汗が引いたので、外に出て市街地を。ここからの眺望は素晴らしいんです。 先ずは。瀬戸大橋の方向から。

画像
あと数時間したら、その橋を渡って帰路につきます。


瀬戸内海の島々がはっきり見えます。日差しが強いけど、海風が心地良い。

画像
この日は、大型台風が沖縄を通過したころだったと思います。そのためか風は強かったです。

次に讃岐平野を見渡せる本丸櫓台に移動。

画像
画像
画像
讃岐富士の名で知られている「飯ノ山」も綺麗に見えています。 本当に眺望は素晴らしいです。ベンチに座ってのんびり過ごしました。

母との待ち合わせの時間もあるので、天守閣を後にしましたが、そこでとんだハプニング。蜂の巣の駆除が始まろうとしてたんです。ミツバチやスズメバチだとか・・・。 下から登ってこられる人をどうしようかと相談されてました。蜂は飛んでるし、下りにゆっくり石垣を見る予定が駆け足で下る羽目に。

再び大手口に戻る途中に、大手一の門が公開されてたので、少しだけ除きました。

画像
画像
内部写真だけ撮って出ました。なんせ蒸し風呂みたいだったので・・・。

再び母と運転手と合流し、お昼は讃岐うどんで、雑誌に載っている超有名店に行ってくれましたが、月曜日のためお休み。 別の讃岐うどんの店でお昼をいただいた後、丸亀駅まで送ってもらい京都への帰路につきました。 

雨が少ない香川県のためか、天気に恵まれました。そのため気温が高かったのでバテました・・・。美味しいものを食べて、温泉につかり、好きなお城を巡って、今年の夏の楽しい思い出を作れました。



この記事へのトラックバック