前田家の菩提寺 大徳寺 興臨院へ
大徳寺塔頭寺院である興臨院は、通常は非公開ですが、春と秋に定期的に公開されます。その興臨院に2005年以来、7年ぶりに訪れました。
1520年代(大永年中)能登の守護畠山義総が建立。以後畠山家の菩提寺となりました。畠山家没落後、1581年(天正9)前田利家によって本堂屋根の修復が行われ、以後前田家菩提寺となりました。 興臨院の名の由来は、畠山義総の法号「興臨院殿伝翁徳胤大居士」から取られています
先ずは、創建当時の遺構である表門から
表門の前には、特別公開を示す看板があって、拝観時間は、10時から。拝観料は600円です。 この表門は、重要文化財に指定されています。
この時期、興臨院・総見院・黄梅院が特別公開されています。受付で、「お得な、共通券がありますよ」と勧められましたが、総見院は2度行ってます。黄梅院も一度行ってますが、ここは受付から撮影禁止なんで、一度見たら充分です。ですから共通券はやんわり断りました。
駒札で隠していますが、そこに臨時の拝観受付があり、入ってすぐの庫裏より中に入るように案内があります。
庫裏の前庭では、もうすぐホトトギスが咲きそうでしたし、多分ムラサキシキブだと思いますが、美しい実をつけていました。
庫裏に入る前、正面に見えているのが唐門です。
重要文化財に指定されています。唐破風、檜皮葺で室町時代の特徴表しています。
案内にしたがって庫裏を入り、直ぐに目にする方丈前庭です。
ガイドさんより、1978年(昭和53)に中根金作により作庭されたことを知りました。妙心寺退蔵院や足立美術館で有名な、昭和の名作庭家です。
方丈から見た唐門です。
客待の花頭窓など禅宗の建築様式をよく表しています。1520年代(大永年中)能登の守護畠山義総が建立。以後畠山家の菩提寺となりました。畠山家没落後、1581年(天正9)前田利家によって本堂屋根の修復が行われ、以後前田家菩提寺となりました。 興臨院の名の由来は、畠山義総の法号「興臨院殿伝翁徳胤大居士」から取られています
先ずは、創建当時の遺構である表門から
表門の前には、特別公開を示す看板があって、拝観時間は、10時から。拝観料は600円です。 この表門は、重要文化財に指定されています。
この時期、興臨院・総見院・黄梅院が特別公開されています。受付で、「お得な、共通券がありますよ」と勧められましたが、総見院は2度行ってます。黄梅院も一度行ってますが、ここは受付から撮影禁止なんで、一度見たら充分です。ですから共通券はやんわり断りました。
駒札で隠していますが、そこに臨時の拝観受付があり、入ってすぐの庫裏より中に入るように案内があります。
庫裏の前庭では、もうすぐホトトギスが咲きそうでしたし、多分ムラサキシキブだと思いますが、美しい実をつけていました。
庫裏に入る前、正面に見えているのが唐門です。
重要文化財に指定されています。唐破風、檜皮葺で室町時代の特徴表しています。
案内にしたがって庫裏を入り、直ぐに目にする方丈前庭です。
ガイドさんより、1978年(昭和53)に中根金作により作庭されたことを知りました。妙心寺退蔵院や足立美術館で有名な、昭和の名作庭家です。
方丈から見た唐門です。
重要文化財に指定されている本堂(方丈)です。
室内の襖絵は、ガイドさんの説明によると、明治時期の廃仏毀釈で、海外に流失し残っていません。それでも室内は撮影禁止でした。
次に、方丈西の庭です。
前回7年前に訪れたのは、紅葉の時期で、この庭の紅葉は見事でした。
この西の庭には、琴心塔や爪塚があります。
琴で使う爪などを供養するためだそうです。
そして井戸もありました。
西の庭から北の庭へ移動します。
ここも紅葉は綺麗でした。方丈の北側にあたります。
方丈東には、茶室「涵虚亭」かあります。
茶室内部に入ることと写真を撮ることはできませんが、後ほど見学します。
その茶室の入口に手水鉢がありました。
ガイドさんの話では、毎日このお花は換えられてるようです。趣があって思わず撮りました。
茶室の入り口です。
奥に見えているのが入口で、それ以降は、入ることはできません。また、撮影禁止でした。
前田家の菩提寺と聞いて、どこかに前田家の家紋があるはずと思って探したんですが、ありませんでした。ガイドさんにも聞きましたが、どうやら無いようです。 この時期は空いていましたが、そのためゆっくり見ることができました。入口で受け付けされてた方が、「ここの紅葉は綺麗ですよ」と写真を見せてくれました。私もここの紅葉を見ているので分かります。本当に綺麗で超お勧めですが、ただ人が多くて・・・。 この興臨院を出たあと、再び牛若誕生の地を散策に行きました。(先に公開しましたけど)