歴史と文化が息づく阿波国 旧徳島城表御殿庭園へ

19日に岡山県津山市から帰って中1日。今度は、徳島市へ再びJR高速バスに乗って行きました。京都駅烏丸口を8時10分に出発。 名神・阪神高速を通って、明石海峡大橋を渡って淡路島へ。淡路島を縦断し今度は、大鳴門橋。渦潮で有名ですが、じっくり見ることはできませんが、潮の流れはは見られました。阪神高速が渋滞したので、徳島駅11時1分着の予定も、20分遅れで到着しました。

徳島市は子供の頃、親に連れられて一度来てますが、殆ど覚えてないです。徳島城には、前から行こうと決めていたので、ガイド本を見て歩いて廻れる範囲でコースを決めました。

先ずは、徳島駅から歩いて10分程度の、徳島城博物館から。

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阿波・淡路25万石を領した阿波蜂須賀家は、豊臣秀吉から阿波国を与えられた藩祖家政以降15代を数えます。その徳島藩と蜂須賀家に関する資料・展示する博物館として開館したのが、徳島城博物館です。

内部は、撮影禁止ため写真はありません。入館料は、300円で旧徳島城表御殿庭園にも入れます。100名城のスタンプは、ここ博物館受付で言えば出してくれます。 ここで34城目のスタンプをゲット

博物館を見たあと、楽しみにしていた旧徳島城表御殿庭園に。その入口です。

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庭園だけの見学なら、入園料は50円です。

門を入ると素晴らしい光景が視界に飛び込んできます。

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手前の砂利に表書院があった場所で、この庭園の名前の由来にもなっています。

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1941年(昭和16)に国の名勝に指定されました。

この庭園は、徳島城の表御殿に設けられた鑑賞式と回遊式を兼ねた庭園で、南側の枯山水庭と北側の築山泉水庭に分かれています。作庭は、戦国武将で茶人の上田宗箇とされています。

庭園南側の枯池に架かる阿波の青石を使った自然石橋

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初代藩主・蜂須賀至鎮が踏み割ったなどさまざまな伝説が残っています。京都では、大木でビルを隠すような工夫をされていますが、その点が残念です。

枯池に三日月灯籠、その横に石橋

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御影石を加工した石橋に風雅な三日月灯籠があって、思わず写真を撮りました。

そしてここは、御祠堂跡です。

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1780年(安永9)に設けられた蜂須賀家先祖の祀堂があった場所。

そのまま北に進むと、旧藩時代の花崗岩のくりぬき井戸があります。

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当時、どのようにくみ上げていたかは、不明だそうです。パンフでは、ここで間違いないようなんですが、上から水が流れているし、私は、手水鉢だと思って撮ったんですが・・・。

そして、ここが庭園で一番奥にあたり、藩主が暮らした御殿の鬼門(東北)にあたるため、観音堂があった場所です。

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園内で最高所で、石敷になっており、庭園の源流でもあります。

旧観音堂から見た徳島博物館です。

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心字池越しに美しい。

今度は、心字池の廻りを散策します。
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百日紅が綺麗に咲いています。さすがに咲いている期間が長いだけに。

心字池は、草書体の心という字形に造られています。京都の等持院なんかも心字池があり、結構みかけることが多です。 現在は、不通になっていますが、地下桶道により内堀と連結し、潮の満ち引きで水位が変わったらしい。

心字池西岸より亀島・釣島を望む

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手前の西岸から盛り上がる自然石の橋です。ここからは怖くて渡れません。

博物館手前にあった、御影石をくり抜いた井戸です。

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飲み水などを確保するため城内にはいくつもの井戸が掘られました。その一つで、他国の御影石をくり抜いて造られた豪華な井戸です。

そして最後に、この庭園で唯一みつけた手水鉢がこれ

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この旧徳島城表御殿庭園は、城郭内部に設けられたため、他の大名庭園に比べ、そんなに広くありません。しかし桃山時代の様式を顕著に示しており、石組みの面白さなんかを堪能しました。

念願だった徳島城庭園を見られたので、次に徳島城跡へ。ここを出て、場外の鷲の門から散策することにします。つづく。



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