牛若(源義経)誕生の地を訪ねて
京都市北区の大徳寺の周辺には、牛若(後の源義経)やその母である常磐御前の史跡が点在しており、散策に訪れました。
大徳寺前バスを下車して、最初の訪れたは、常槃井です。
「常盤化粧井」とも呼ばれ、常盤御前が化粧に用いた井戸といわれています。しかし現在は、井戸は涸れていますが、何故か水道の蛇口がありました。 場所は、住宅街の中にあって、わかりずらいです。大徳寺前の信号を下がって(南へ)3筋目を西に入り、智恵光院通りに出る手前の北側にあります。注意して見ないと通り過ぎてしまいます。
次の歴史ポイントに行くため、再び大徳寺前の信号から今出川通りを渡り、大徳寺の境内に入ります。10月から12月の初旬まで、通常非公開の寺院が特別に公開されます。総見院・黄梅院・興臨院てすが、せっかく来たので、興臨院に入りました。この模様は後ほど・・・。
興臨院を出て、大徳寺の北門(門はありません)から出て、船岡東通りを北に進み、紫野上野町バス停を超え、紫竹南通りを東に入ります。暫く歩くと南側にあるのが源義経産湯ノ遺址です。
牛若丸の産湯に使ったといわれる井戸の石碑です。1926年(大正15)の土地改良事業で、井戸が取り壊された時に建てられたものだといいます。ここも住宅街の一角にあり、引いて写真を撮ることはできません。
現在放送中の「平清盛」では、第27回放送で、この辺りを紹介されました。常盤御前(武井咲)は源義朝(玉木宏)の側室となり、義朝の別邸があった紫竹の地で今若丸(後の阿野全成)、乙若丸(後の義円)、牛若丸(後の源義経・神木隆之介)を産みました。 牛若丸が誕生した時に、ここにあった井戸から汲んだ水を産湯に使ったとされいます。 1925年(大正14年)の区画整理で井戸が取り壊される際にこの由緒を伝えるために碑が建てられました。
再び船岡東通りに出て、今度は三叉路を西に入る細い道を北に上がると光念寺があります。
常盤御前が牛若丸の安産を祈願して寄進したと伝えられる腹帯地蔵が本尊に安置されています。観光寺院ではないので、通常非公開です。
常盤御前の守り本尊である腹帯地蔵。その地蔵尊を安置した地蔵寺と、念光が再興した光念寺が合併し、今の浄土宗光念寺になりました。
光念寺を北山通りの方向に歩きます。北山通りに出る手前の道を東に入ると牛若丸誕生井碑・胞衣塚があります。
常盤御前がこの地で牛若丸を産んだと伝わります。畑の中に産湯に使ったといわれる井戸の石と石碑がありますが、離れてて見にくいかも知れません。また、右奥の畑の中に「へその緒」を祀ったとされる胞衣塚がありますが、近づけないので撮れませんでした。
そして北山通りを渡って、東へ進むと常徳寺前バス停があり、そこが最後の歴史ポイント常徳寺です。
常盤御前が牛若(源義経)の安産祈願のためにお参りしたと伝えられる地蔵菩薩像が安置されています。ここも観光寺院ではないので、通常非公開です。
最初の常槃井だけ離れていますが、この辺りの地名は、牛若町といい常磐御前や牛若丸ゆかりの地であることを物語っています。
【光念寺】
大徳寺前バスを下車して、最初の訪れたは、常槃井です。
「常盤化粧井」とも呼ばれ、常盤御前が化粧に用いた井戸といわれています。しかし現在は、井戸は涸れていますが、何故か水道の蛇口がありました。 場所は、住宅街の中にあって、わかりずらいです。大徳寺前の信号を下がって(南へ)3筋目を西に入り、智恵光院通りに出る手前の北側にあります。注意して見ないと通り過ぎてしまいます。
次の歴史ポイントに行くため、再び大徳寺前の信号から今出川通りを渡り、大徳寺の境内に入ります。10月から12月の初旬まで、通常非公開の寺院が特別に公開されます。総見院・黄梅院・興臨院てすが、せっかく来たので、興臨院に入りました。この模様は後ほど・・・。
興臨院を出て、大徳寺の北門(門はありません)から出て、船岡東通りを北に進み、紫野上野町バス停を超え、紫竹南通りを東に入ります。暫く歩くと南側にあるのが源義経産湯ノ遺址です。
牛若丸の産湯に使ったといわれる井戸の石碑です。1926年(大正15)の土地改良事業で、井戸が取り壊された時に建てられたものだといいます。ここも住宅街の一角にあり、引いて写真を撮ることはできません。
現在放送中の「平清盛」では、第27回放送で、この辺りを紹介されました。常盤御前(武井咲)は源義朝(玉木宏)の側室となり、義朝の別邸があった紫竹の地で今若丸(後の阿野全成)、乙若丸(後の義円)、牛若丸(後の源義経・神木隆之介)を産みました。 牛若丸が誕生した時に、ここにあった井戸から汲んだ水を産湯に使ったとされいます。 1925年(大正14年)の区画整理で井戸が取り壊される際にこの由緒を伝えるために碑が建てられました。
再び船岡東通りに出て、今度は三叉路を西に入る細い道を北に上がると光念寺があります。
常盤御前が牛若丸の安産を祈願して寄進したと伝えられる腹帯地蔵が本尊に安置されています。観光寺院ではないので、通常非公開です。
常盤御前の守り本尊である腹帯地蔵。その地蔵尊を安置した地蔵寺と、念光が再興した光念寺が合併し、今の浄土宗光念寺になりました。
光念寺を北山通りの方向に歩きます。北山通りに出る手前の道を東に入ると牛若丸誕生井碑・胞衣塚があります。
常盤御前がこの地で牛若丸を産んだと伝わります。畑の中に産湯に使ったといわれる井戸の石と石碑がありますが、離れてて見にくいかも知れません。また、右奥の畑の中に「へその緒」を祀ったとされる胞衣塚がありますが、近づけないので撮れませんでした。
そして北山通りを渡って、東へ進むと常徳寺前バス停があり、そこが最後の歴史ポイント常徳寺です。
常盤御前が牛若(源義経)の安産祈願のためにお参りしたと伝えられる地蔵菩薩像が安置されています。ここも観光寺院ではないので、通常非公開です。
最初の常槃井だけ離れていますが、この辺りの地名は、牛若町といい常磐御前や牛若丸ゆかりの地であることを物語っています。
【光念寺】