『平家物語』の悲恋の舞台 祇王寺
昨日で、NHK大河ドラマ「平清盛」が終わりました。画面が汚いとか、視聴率ワーストとか、清盛と関係のない雑音が話題になりましたが、この時代の知らないことが分かり大変、勉強になり楽しまさせてもらいました。
そこで、以前訪問した、祇王寺を紹介します。 ここは、平家物語・祇王ゆかりの地で知られています。
祇王寺の元は往生院三宝寺でしたが、明治初期の廃仏毀釈により廃寺となってしまいましたが、元京都府知事の北垣国道氏は、自ら別荘一棟を寄進し、造られたのがこの祇王寺なんです。
平家物語 悲恋の舞台
平家全盛期だった頃、『祇王』という白拍子がいました。祇王の歌と舞いはそれはとても美しく、 平清盛の耳にもその噂は入り、祇王を呼び寄せ、舞いを披露させます。(白拍子とは、流行歌である今様を歌いながら舞を踊る遊女のこと)
祇王の美しい容姿と気品のある舞いに清盛は、恋心をいだき、やがて清盛と祇王は、恋仲に落ちます。 清盛は祇王を西八条殿(現在の若一神社のあたり)に住まわせ、そのうえ母や妹の面倒までみるほど寵愛し、3年間、何不自由のない生活を送っていました。
そこへ、仏御前という白拍子が現われます。その仏御前も評判がとても良く、その美しい容姿と舞に清盛は心を奪われてしまいました。それまで寵愛していた祇王を西八条殿から追い出してしまいます。
その後、清盛は、祇王に仏御前の前で舞いを披露するように使いを出します。清盛のあまりにも無神経な態度と、仏御前の下座におかれる屈辱とで、祇王は自害しようとするものの、母の説得により思いとどまります。
この一件で、仏門に入ることを決心しました祇王21歳・妹の祇女19歳・母の刀自45歳のときです。3人は髪を剃り尼となって、今の祇王寺の地にあった小さな庵で念仏三昧の静かな日々を送りました。
その後、月日が経ったある秋の夜、庵を訪ねる者がいました。そっと覗くと、そこには髪を剃った仏御前が立っています。仏御前も出家し尼になっていました。仏御前17歳の時です。仏御前も祇王にこの地で是非一緒に念仏を唱えたいと懇願し、こうして清盛と関わった4人の女性は、仏道に励み、往生を遂げたそうです。
NHK大河ドラマ「清盛」では、祇王(尾上紫さん)・祇女(花影アリスさん)・仏御前(木村多江さん)が演じてました。
前段が長くなりましたが、奥嵯峨のひっそりした地に祇王寺はあります。
この門を入ると右側に拝観受付があります。 この門を通り過ぎてまだ少しだけ登ると滝口寺があります。
入ると直ぐに、本堂が見えます。
庭を一週すると本堂に出ますが、ここから見る本堂が私は好きです。撮影は2009年の冬に訪れたものですが、モミジの葉が落ちているので、手前の苔庭と本堂が美しい。
ここは、京都屈指の紅葉の名所です。紅葉の時期は、朝早くから狭い庭も人で埋まります。確かに紅葉は素晴らしいですが、こうしてひっそりとした庭園を散策するのも良いものです。
本堂を見て、庭園に出るため、中門でしょうか、この門をくぐります。
素晴らしい、苔庭です。
紅葉では、真っ赤のモミジと、散りはじめた頃は、真っ赤な絨毯となります。
小さい庭を一週したら本堂に出ます。この時期は冬で寒牡丹が咲いていました。綺麗な苔庭とボタンも綺麗です。
冬場でも、美しい苔庭は素敵です。木々の葉がないので、周りも良く見え、おまけに観光客も少ないので、私はこの時期の祇王寺が好きなんです。
そして本堂へ上がります。
現在は大覚寺の塔頭寺院で、共通拝観券もあります。本尊は大日如来像で、清盛像と祇王・祇女・母刀自・仏御前の木造が安置されていました。奥には吉野窓があって、隠れ家のような雰囲気を醸し出しています。なお、堂内は撮影禁止と書いてあり、外から撮影しました。
最後に、宝筐印塔です。紅葉の時期では殆どの観光客は、見ずに帰られてしまいます。
向かって右が、平清盛の供養塔。左が、祇王・祇女・母刀自の墓で、鎌倉時代の作と伝わっています。
おまけ お堂の仏間で、清盛像など見ていたら、下から猫が出てきて・・・・。
これが有名な祇王寺の看板猫「まろみちゃん」なんですね。やっと会えました。
何度か祇王寺には行ってるので、前回も実は見かけたんですが、すぐに入ってしまって・・・。「やっと撮れました」が正解です。 この猫はテレビで取り上げられたので、知っていましたが、もう一匹仏間から黒色の猫が・・・。
こちらは油断してたのと、すぐに本堂裏に入ってしまったから、これしか撮れませんでした。
今回、平家物語の「妓王事」読み直してみたんです。今は祇王寺の近くまで住宅地となっていますが、当時はすごく辺鄙な山里深いところに庵があったんでしょう。紅葉の時期は、人が多くてイメージわかないですけど冬場なんかは、お勧めです。運が良かったら看板猫に会えるかも。
そこで、以前訪問した、祇王寺を紹介します。 ここは、平家物語・祇王ゆかりの地で知られています。
祇王寺の元は往生院三宝寺でしたが、明治初期の廃仏毀釈により廃寺となってしまいましたが、元京都府知事の北垣国道氏は、自ら別荘一棟を寄進し、造られたのがこの祇王寺なんです。
平家物語 悲恋の舞台
平家全盛期だった頃、『祇王』という白拍子がいました。祇王の歌と舞いはそれはとても美しく、 平清盛の耳にもその噂は入り、祇王を呼び寄せ、舞いを披露させます。(白拍子とは、流行歌である今様を歌いながら舞を踊る遊女のこと)
祇王の美しい容姿と気品のある舞いに清盛は、恋心をいだき、やがて清盛と祇王は、恋仲に落ちます。 清盛は祇王を西八条殿(現在の若一神社のあたり)に住まわせ、そのうえ母や妹の面倒までみるほど寵愛し、3年間、何不自由のない生活を送っていました。
そこへ、仏御前という白拍子が現われます。その仏御前も評判がとても良く、その美しい容姿と舞に清盛は心を奪われてしまいました。それまで寵愛していた祇王を西八条殿から追い出してしまいます。
その後、清盛は、祇王に仏御前の前で舞いを披露するように使いを出します。清盛のあまりにも無神経な態度と、仏御前の下座におかれる屈辱とで、祇王は自害しようとするものの、母の説得により思いとどまります。
この一件で、仏門に入ることを決心しました祇王21歳・妹の祇女19歳・母の刀自45歳のときです。3人は髪を剃り尼となって、今の祇王寺の地にあった小さな庵で念仏三昧の静かな日々を送りました。
その後、月日が経ったある秋の夜、庵を訪ねる者がいました。そっと覗くと、そこには髪を剃った仏御前が立っています。仏御前も出家し尼になっていました。仏御前17歳の時です。仏御前も祇王にこの地で是非一緒に念仏を唱えたいと懇願し、こうして清盛と関わった4人の女性は、仏道に励み、往生を遂げたそうです。
NHK大河ドラマ「清盛」では、祇王(尾上紫さん)・祇女(花影アリスさん)・仏御前(木村多江さん)が演じてました。
前段が長くなりましたが、奥嵯峨のひっそりした地に祇王寺はあります。
この門を入ると右側に拝観受付があります。 この門を通り過ぎてまだ少しだけ登ると滝口寺があります。
入ると直ぐに、本堂が見えます。
庭を一週すると本堂に出ますが、ここから見る本堂が私は好きです。撮影は2009年の冬に訪れたものですが、モミジの葉が落ちているので、手前の苔庭と本堂が美しい。
ここは、京都屈指の紅葉の名所です。紅葉の時期は、朝早くから狭い庭も人で埋まります。確かに紅葉は素晴らしいですが、こうしてひっそりとした庭園を散策するのも良いものです。
本堂を見て、庭園に出るため、中門でしょうか、この門をくぐります。
素晴らしい、苔庭です。
紅葉では、真っ赤のモミジと、散りはじめた頃は、真っ赤な絨毯となります。
小さい庭を一週したら本堂に出ます。この時期は冬で寒牡丹が咲いていました。綺麗な苔庭とボタンも綺麗です。
冬場でも、美しい苔庭は素敵です。木々の葉がないので、周りも良く見え、おまけに観光客も少ないので、私はこの時期の祇王寺が好きなんです。
そして本堂へ上がります。
現在は大覚寺の塔頭寺院で、共通拝観券もあります。本尊は大日如来像で、清盛像と祇王・祇女・母刀自・仏御前の木造が安置されていました。奥には吉野窓があって、隠れ家のような雰囲気を醸し出しています。なお、堂内は撮影禁止と書いてあり、外から撮影しました。
最後に、宝筐印塔です。紅葉の時期では殆どの観光客は、見ずに帰られてしまいます。
向かって右が、平清盛の供養塔。左が、祇王・祇女・母刀自の墓で、鎌倉時代の作と伝わっています。
おまけ お堂の仏間で、清盛像など見ていたら、下から猫が出てきて・・・・。
これが有名な祇王寺の看板猫「まろみちゃん」なんですね。やっと会えました。
何度か祇王寺には行ってるので、前回も実は見かけたんですが、すぐに入ってしまって・・・。「やっと撮れました」が正解です。 この猫はテレビで取り上げられたので、知っていましたが、もう一匹仏間から黒色の猫が・・・。
こちらは油断してたのと、すぐに本堂裏に入ってしまったから、これしか撮れませんでした。
今回、平家物語の「妓王事」読み直してみたんです。今は祇王寺の近くまで住宅地となっていますが、当時はすごく辺鄙な山里深いところに庵があったんでしょう。紅葉の時期は、人が多くてイメージわかないですけど冬場なんかは、お勧めです。運が良かったら看板猫に会えるかも。