『平家物語』滝口と横笛の旧蹟 滝口寺
祇王寺の次は、『平家物語』」の滝口入道と横笛の悲恋の寺である滝口寺です。
奥嵯峨にある滝口寺は、平安時代に往生院三宝寺という広大な寺があったところとで、明治期に祗王寺とともに再興されました。 隣の祗王寺は、観光客で賑わっていますが、この滝口寺は、いつ行っても貸し切りで見られます。それほど空いています。(秋の紅葉時でも空いてます)
賑わっている祗王寺からもう少し登ったところに滝口寺の山 門があります。
山門を入った左手に拝観受付があり、拝観料300円をここで払います。
本堂までは少し登ります。その途中にあるのが、横笛の歌碑です。
滝口入道を追って、ここまで訪ねてきたけど、滝口入道に面会を断られ帰る途中に、泣く泣く近くにあった石に自らの指を切った血で歌を書きつけたと言われてる歌碑「山深み 思い入りぬる 柴の戸の まことの道に 我を導け」です。
そして登りきったところに本 堂があります。
山深い山荘を思わせる本堂です。
本堂前からは、奥嵯峨の街並が見られます。
写真では、木々が邪魔してますが、静かな市内とは思えないのどかな風景で、心が落ち着きます。
そして本堂の中には、滝口入道と横笛の木像が安置されています。
滝口入道(右) 横笛(左) 鎌倉後期の作と伝わっています。
平重盛(清盛の嫡男・重盛)に仕えた武士の斎藤時頼(滝口入道時頼)建礼門院の侍女横笛との悲恋の物語は、滝口入道時頼が、平清盛の西八条殿での花見の宴で、横笛の舞姿を見て恋心を抱き、恋文を送るようになりました。 やがて二人は恋に落ちましたが、時頼の父の厳しい叱責にあい、滝口入道は、俗世を捨て奥嵯峨の往生院に出家してしまいます。 横笛は、その話を聞き、探し当てますが、滝口入道は、頑なに会うのを拒み、泣く泣く帰っていたそうです。 滝口入道は、修行の妨げになるため、女人禁制の高野山に移ります。それを聞いた横笛は悲観にくれて大堰川に身を投げたとも、奈良法華寺で尼になったとも言われてますが、心の傷は拭えきれず暫くしてこの世を去ったと言う・・・。 それを伝え聞いた滝口入道は、より一層修行に励み高野の聖といわれる高僧になったと言います。
そして本堂前の深く覆い茂った竹藪の中にあるのが平家供養塔(十三重塔)。
滝口入道と平家一門の供養塔
その平家供養塔の前には、小松堂。
滝口入道(時頼)の主君・小松内大臣平重盛(清盛の嫡男)を祀る。(清盛の嫡男重盛は、小松殿ないし小松内大臣と呼ばれていた)
NHK大河ドラマ「平清盛」では、平重盛は窪田正孝さんが演じてました。偉大で豪快な父・清盛と対照的に繊細な好青年を上手に演じてました。
何も書いてなかったので、由来は不明です。小松殿の前で、向こうに見えているのが本堂です。
本堂、小松堂を通って、細い階段を下る途中に、お隣の祗王寺が見えます。
塀の向こうが祗王寺です。写真では分かりませんが、観光客で賑わっています。この滝口寺は、私だけの独占でしたが・・・・。
そして、再び山門に出ますが、その山門の手前に歴史上の人物の首塚があります。それは新田義貞です。
『太平記』に出てくる新田義貞。足利尊氏との戦いに敗れ、京の三条河原で晒し首になっていたものを、妻・勾当内侍(こうとうのないし)が、首を盗み出し嵯峨野に埋葬し弔ったと言う伝説・・・。
その勾当内侍の供養塔も横に・・・。
真意は分かりません。新田義貞の首塚は、全国で4ケ所あって、ここ嵯峨野・神奈川県小田原市・福井県・群馬県桐生市です。
『平家物語』『太平記』の歴史上の人物とのゆかりの寺である滝口寺。静かな境内で腰を下ろして、風の音や鳥の鳴き声に耳を傾け、ゆっくりするのも良いもんです。派手さはありませんが、一度訪れて見て下さい。
奥嵯峨にある滝口寺は、平安時代に往生院三宝寺という広大な寺があったところとで、明治期に祗王寺とともに再興されました。 隣の祗王寺は、観光客で賑わっていますが、この滝口寺は、いつ行っても貸し切りで見られます。それほど空いています。(秋の紅葉時でも空いてます)
賑わっている祗王寺からもう少し登ったところに滝口寺の山 門があります。
山門を入った左手に拝観受付があり、拝観料300円をここで払います。
本堂までは少し登ります。その途中にあるのが、横笛の歌碑です。
滝口入道を追って、ここまで訪ねてきたけど、滝口入道に面会を断られ帰る途中に、泣く泣く近くにあった石に自らの指を切った血で歌を書きつけたと言われてる歌碑「山深み 思い入りぬる 柴の戸の まことの道に 我を導け」です。
そして登りきったところに本 堂があります。
山深い山荘を思わせる本堂です。
本堂前からは、奥嵯峨の街並が見られます。
写真では、木々が邪魔してますが、静かな市内とは思えないのどかな風景で、心が落ち着きます。
そして本堂の中には、滝口入道と横笛の木像が安置されています。
滝口入道(右) 横笛(左) 鎌倉後期の作と伝わっています。
平重盛(清盛の嫡男・重盛)に仕えた武士の斎藤時頼(滝口入道時頼)建礼門院の侍女横笛との悲恋の物語は、滝口入道時頼が、平清盛の西八条殿での花見の宴で、横笛の舞姿を見て恋心を抱き、恋文を送るようになりました。 やがて二人は恋に落ちましたが、時頼の父の厳しい叱責にあい、滝口入道は、俗世を捨て奥嵯峨の往生院に出家してしまいます。 横笛は、その話を聞き、探し当てますが、滝口入道は、頑なに会うのを拒み、泣く泣く帰っていたそうです。 滝口入道は、修行の妨げになるため、女人禁制の高野山に移ります。それを聞いた横笛は悲観にくれて大堰川に身を投げたとも、奈良法華寺で尼になったとも言われてますが、心の傷は拭えきれず暫くしてこの世を去ったと言う・・・。 それを伝え聞いた滝口入道は、より一層修行に励み高野の聖といわれる高僧になったと言います。
そして本堂前の深く覆い茂った竹藪の中にあるのが平家供養塔(十三重塔)。
滝口入道と平家一門の供養塔
その平家供養塔の前には、小松堂。
滝口入道(時頼)の主君・小松内大臣平重盛(清盛の嫡男)を祀る。(清盛の嫡男重盛は、小松殿ないし小松内大臣と呼ばれていた)
NHK大河ドラマ「平清盛」では、平重盛は窪田正孝さんが演じてました。偉大で豪快な父・清盛と対照的に繊細な好青年を上手に演じてました。
何も書いてなかったので、由来は不明です。小松殿の前で、向こうに見えているのが本堂です。
本堂、小松堂を通って、細い階段を下る途中に、お隣の祗王寺が見えます。
塀の向こうが祗王寺です。写真では分かりませんが、観光客で賑わっています。この滝口寺は、私だけの独占でしたが・・・・。
そして、再び山門に出ますが、その山門の手前に歴史上の人物の首塚があります。それは新田義貞です。
『太平記』に出てくる新田義貞。足利尊氏との戦いに敗れ、京の三条河原で晒し首になっていたものを、妻・勾当内侍(こうとうのないし)が、首を盗み出し嵯峨野に埋葬し弔ったと言う伝説・・・。
その勾当内侍の供養塔も横に・・・。
真意は分かりません。新田義貞の首塚は、全国で4ケ所あって、ここ嵯峨野・神奈川県小田原市・福井県・群馬県桐生市です。
『平家物語』『太平記』の歴史上の人物とのゆかりの寺である滝口寺。静かな境内で腰を下ろして、風の音や鳥の鳴き声に耳を傾け、ゆっくりするのも良いもんです。派手さはありませんが、一度訪れて見て下さい。