『平家物語』の悲恋話し 琴聴橋と小督塚

今年も、残り僅かとなりました。 昨日は仕事納めで、遅くまで残りました。そして大掃除は、3連休でほぼやっといたし、年末年始はゆっくりさせてもらう予定です

平家物語シリーズの最後は、平清盛の怒りをかい、自ら姿を消した小督の悲恋物語の舞台となった、嵐山です。

先般、放送されたNHK大河ドラマ「平清盛」で、後白河上皇(松田翔太さん)と滋子(成海璃子さん)との間に子供が生まれ、その子供が高倉天皇(千葉雄大)となります。 

高倉天皇は、10歳のときに清盛の娘・徳子(二階堂ふみ)と結婚。 1180年(治承4)には3歳となる息子・安徳天皇に譲位、上皇として院政を敷きすが、翌年、病のため、わずか20歳で崩御されました。

残念ながら、放送されませんでしたが、その高倉天皇に寵愛されるのが小督です。

嵐山渡月橋の北詰に、琴聴橋跡の石碑が建っています。

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この琴聴橋にまつわる悲恋物語は・・・。

高倉天皇に寵愛された小督でしたが、中宮建礼門院徳子の父であり権力のトップに君臨していた平清盛の怒りをかい、宮中から追い出されてしまいます。 小督は嵯峨野に移り住みますが、高倉天皇の命により捜しに来た源仲国が、月の美しい夜、小督の奏でる「想夫恋」という琴の曲を聞いて居場所を突き止められます、そして再び宮中に呼び戻された小督は高倉天皇の寵愛を受け、範子内親王をもうけた。しかし、娘の中宮徳子より先に高倉天皇の子供を宿したことが清盛の怒りを招き、小督は清盛によって尼にさせられ、嵯峨野に再び隠棲しました。

この琴聴橋跡石碑の建っている渡月橋を東に進むと琴聴橋

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明治時代になってから小督を偲んで車折神社嵐山頓宮前に作られました。

その琴聴橋から旧ホテル嵐山の敷地の道路を少し入ると小督塚があります。

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清盛の怒りをかい、この嵯峨野の池に身を隠したのが、この辺りと伝わっています。

源仲国が、月の美しい夜、小督の奏でる「想夫恋」という琴の曲を聞いたとされるのが、この琴聴橋とされます。この物語は、後世の創作とも言われていますが、特別公開で訪れた平等寺には、小督ゆかりの品もあるし・・・。

平等寺の模様は、こちらから→https://mahopika.seesaa.net/article/201202article_6.html



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