元公爵西園寺公望の京都別邸 京大 清風荘へ
10月30日の毎日新聞の朝刊に、『京大「清風荘」一般公開』の記事が出ました。事前申し込みをメールか往復はがきでと、書いてあったので、帰宅して直ぐにメールで申し込み、そして待つこと2週間、京大から当選の案内が届きました。約4倍の当選確率でしたが・・・当たりました。正直、万歳をしたいほど嬉しかったです。
11月30日(金)と12月2日(日)が、試験公開日でした。私が当選したのは、12月2日の午前でした。 当日、天気を気にしつつ、京阪電鉄「出町柳」駅から歩いて5分ぐらいで京大「清風荘」に着きました。
京大清風会館で拝観受付を済ませて(文化財維持協力金として1,000円を払います) 時間がくるまで、貰ったパンフレットで予習します。そして時間がきたら簡単な説明と注意事項の周知のあと、係の人の案内で、正門より入園します。
宮内庁の参観のように、係の人より特別に説明があるわけでもなく、個人個人が好きに見て廻ります。
清風荘は、元公爵西園寺公望の京都別邸として使用されていたものです。公の没後は、住友家により保管されていましたが、1944年(昭和19)に住友家から京都帝国大学へ寄贈されたものです。
時間は、9時30分から30分おきに、午前5回、午後5回に各組30名限定で入園。その中で母屋に入るは制限され、建物の見学、お庭の見学とに分かれます。
その主屋の玄関です。
私は、清風会館を出るのが遅かったので、先にお庭を見ることになりました。
庭園への入口となる第一中門です。
苔むした屋根や皮付の丸太が、なんとも言えない風情があり、まだ見ぬ庭園への期待が膨らみます。
第一中門をくぐり、茶席までの間、露地を通ります。
最初、清風会館を出た団体も、半数は主屋へ。残り半数は庭園に回されました。この茶室までは、だいたい集まって、見学してました。
少し進むと、茶会に招かれた客が身支度をして待ち合わせる袴付がありました。
桂離宮でも、このような待ち合わせの場所がありました。 この辺りは、道幅が狭いので、どうしても渋滞してしまいます。
この庭園に入ると、あとは自由に見学できます(決められた範囲内ですが)。最初は混雑していても、見学者は先に進まれます。そして空いたところで、写真を撮りました。宮内庁の参観のように、遅れたら怒られることはありません。
袴付の向かいにあるのが、茶室に併設する建物で、供待「閑睡軒」が。
桧皮葺の建物が、この庭園に良く似合っています。また、見頃だった紅葉も綺麗でした。
茶室の前には、必ずみかける蹲踞です。
茶席に入る前に、これで清めるんですね。私はお茶の心得がないので、詳しい事はわからないです。
そして茶室「保眞斎」です。
江戸時代末期の建物で、大正時代に現在の位置に移されたそうです。
この露地内の、第二中門てす。
第一と第二中門の間に露地庭園があるわけです。
宮内庁の参観では、一つ一つ説明がありますが、ここでは特にありませんが、係の人に質問すると答えてもらえるたいです。 園内は、自由に見て廻れ、見学時間も早い人もおれば、ゆっくり見て廻る人も、いろいろです。自分のペースで見られるのが良かったことです。
狭い、露地を抜けると広い芝生の庭と池に出ます。
池泉回遊式庭園となっていますが、今回の公開では、池の廻りを巡ることは、できません。決められた順路に従って見学します。紅葉は期待してませんでしたが、綺麗でした。
この庭は、植治・7代目小川治兵衛が作庭しました。建物の前面に起伏する芝生と、小川治兵衛お得意の滝が流れ、池に注ぐなどの豊かな表情を見せています。また、築山の背後に東山を借景にしており植治の庭の特徴をよく表しています。
お庭に面した建物ですが、先ずは離れから。
主屋竣工の翌年に増築された建物で、南側に広がる庭の眺望を重視した構造になっています。この建物の内部は、見学できませんでした。
建物は、大工2代目八木甚兵衛の建築で、1910(明治43)に着工、1913年(大正2)に竣工。端正な意匠の数寄屋住宅であり、主屋などは重要文化財に指定されています。
次に主屋(居間)です。
先に建物に入られた見学者がお庭を見られています。私も後程入ります。西園寺公望の起居していた部屋と言われています。
そして主屋(客間)で、ここから大文字が見えるです。
12月に入りましたが、まだ、紅葉は綺麗でした。私の印象では、「無鄰庵に似てるなぁ」でした。
庭を見学したので、先ほどの主屋玄関から中に入りました。主屋の中からは、大文字が見え、送り火は見えるようになっていますが、廻りに建物が建っているので木々で隠されています。そのため、大文字以外の東山は、見えません。見られる部屋が限られているのと、2階には上がれないので、そんなに時間はかかりません。ずくに廻ってしまったので、2周しましたが・・・。それと建物の中は、撮影禁止でした。(特に展示品は、少なかったけど・・・)
帰るのため、お手洗いに寄ると、その横に土蔵があって、そこも公開されていました。
トイレに行かなかったから気づかなかった。時代劇でしか見たことがなかった土蔵、中では展示品がありましたが、主屋と同じで、あまり印象に残っていません。何だっただろう。
今回の公開は、試験公開で、平成26年に整備が終わったら、通常公開されるか、特別公開されるのか、決めるための参考にされるんかなぁと思います。そのため、再び戻った清風会館で、アンケートには感想と意見も書きました。 今後は、定期公開が望まれる、素晴らしい庭園でした。
11月30日(金)と12月2日(日)が、試験公開日でした。私が当選したのは、12月2日の午前でした。 当日、天気を気にしつつ、京阪電鉄「出町柳」駅から歩いて5分ぐらいで京大「清風荘」に着きました。
京大清風会館で拝観受付を済ませて(文化財維持協力金として1,000円を払います) 時間がくるまで、貰ったパンフレットで予習します。そして時間がきたら簡単な説明と注意事項の周知のあと、係の人の案内で、正門より入園します。
宮内庁の参観のように、係の人より特別に説明があるわけでもなく、個人個人が好きに見て廻ります。
清風荘は、元公爵西園寺公望の京都別邸として使用されていたものです。公の没後は、住友家により保管されていましたが、1944年(昭和19)に住友家から京都帝国大学へ寄贈されたものです。
時間は、9時30分から30分おきに、午前5回、午後5回に各組30名限定で入園。その中で母屋に入るは制限され、建物の見学、お庭の見学とに分かれます。
その主屋の玄関です。
私は、清風会館を出るのが遅かったので、先にお庭を見ることになりました。
庭園への入口となる第一中門です。
苔むした屋根や皮付の丸太が、なんとも言えない風情があり、まだ見ぬ庭園への期待が膨らみます。
第一中門をくぐり、茶席までの間、露地を通ります。
最初、清風会館を出た団体も、半数は主屋へ。残り半数は庭園に回されました。この茶室までは、だいたい集まって、見学してました。
少し進むと、茶会に招かれた客が身支度をして待ち合わせる袴付がありました。
桂離宮でも、このような待ち合わせの場所がありました。 この辺りは、道幅が狭いので、どうしても渋滞してしまいます。
この庭園に入ると、あとは自由に見学できます(決められた範囲内ですが)。最初は混雑していても、見学者は先に進まれます。そして空いたところで、写真を撮りました。宮内庁の参観のように、遅れたら怒られることはありません。
袴付の向かいにあるのが、茶室に併設する建物で、供待「閑睡軒」が。
桧皮葺の建物が、この庭園に良く似合っています。また、見頃だった紅葉も綺麗でした。
茶室の前には、必ずみかける蹲踞です。
茶席に入る前に、これで清めるんですね。私はお茶の心得がないので、詳しい事はわからないです。
そして茶室「保眞斎」です。
江戸時代末期の建物で、大正時代に現在の位置に移されたそうです。
この露地内の、第二中門てす。
第一と第二中門の間に露地庭園があるわけです。
宮内庁の参観では、一つ一つ説明がありますが、ここでは特にありませんが、係の人に質問すると答えてもらえるたいです。 園内は、自由に見て廻れ、見学時間も早い人もおれば、ゆっくり見て廻る人も、いろいろです。自分のペースで見られるのが良かったことです。
狭い、露地を抜けると広い芝生の庭と池に出ます。
池泉回遊式庭園となっていますが、今回の公開では、池の廻りを巡ることは、できません。決められた順路に従って見学します。紅葉は期待してませんでしたが、綺麗でした。
この庭は、植治・7代目小川治兵衛が作庭しました。建物の前面に起伏する芝生と、小川治兵衛お得意の滝が流れ、池に注ぐなどの豊かな表情を見せています。また、築山の背後に東山を借景にしており植治の庭の特徴をよく表しています。
お庭に面した建物ですが、先ずは離れから。
主屋竣工の翌年に増築された建物で、南側に広がる庭の眺望を重視した構造になっています。この建物の内部は、見学できませんでした。
建物は、大工2代目八木甚兵衛の建築で、1910(明治43)に着工、1913年(大正2)に竣工。端正な意匠の数寄屋住宅であり、主屋などは重要文化財に指定されています。
次に主屋(居間)です。
先に建物に入られた見学者がお庭を見られています。私も後程入ります。西園寺公望の起居していた部屋と言われています。
そして主屋(客間)で、ここから大文字が見えるです。
12月に入りましたが、まだ、紅葉は綺麗でした。私の印象では、「無鄰庵に似てるなぁ」でした。
庭を見学したので、先ほどの主屋玄関から中に入りました。主屋の中からは、大文字が見え、送り火は見えるようになっていますが、廻りに建物が建っているので木々で隠されています。そのため、大文字以外の東山は、見えません。見られる部屋が限られているのと、2階には上がれないので、そんなに時間はかかりません。ずくに廻ってしまったので、2周しましたが・・・。それと建物の中は、撮影禁止でした。(特に展示品は、少なかったけど・・・)
帰るのため、お手洗いに寄ると、その横に土蔵があって、そこも公開されていました。
トイレに行かなかったから気づかなかった。時代劇でしか見たことがなかった土蔵、中では展示品がありましたが、主屋と同じで、あまり印象に残っていません。何だっただろう。
今回の公開は、試験公開で、平成26年に整備が終わったら、通常公開されるか、特別公開されるのか、決めるための参考にされるんかなぁと思います。そのため、再び戻った清風会館で、アンケートには感想と意見も書きました。 今後は、定期公開が望まれる、素晴らしい庭園でした。