「八坂神社」助成文化財特別鑑賞に参加
いもぼう平野家本店で昼食を済ませて、円山公園の界隈で時間をつぶし、八坂神社に戻ってきました。この日の目的は、京都市文化観光資源保護財団主催の『八坂神社特別鑑賞会』でした。昨年の3月から会員になって、いろんな珍しい鑑賞会に参加させてもらっています。
円山公園から知恩院へ行き、そこから高台寺まで歩いて、そこから八坂神社に向かいました。そして八坂神社の正門にあたる南大鳥居から境内に入ります。
重要文化財に指定されている石鳥居です。1646年(正保3)に建立された明神鳥居。1662年(寛文2)の地震で倒壊しましたが、1666年(寛文6)に補修再建されました。
鳥居をくぐった正面が、八坂神社の正門にあたる南楼門です。
八坂神社の紹介では、四条通りに面している西楼門が有名で、そちらが正門と思われているでしょう。1866年(慶応2)に消失。1879年(明治12)に再建されました。
南楼門を入ると、正面に見えているのが、舞殿です。
本殿の南にあり、舞の奉納など様々な催しに使われています。
そして本殿です。
1646年(正保3)に消失するも、1654年(承応3)に再建され、重要分解材に指定されています。平成11年~14年にかけて屋根の桧皮葺替え、内外の塗装の塗替えなどの修理工事を実施されました。 毎年、お正月に初詣でお参りにきています。
思ったより早く来たので、境内をゆっくり見て廻ったあと、本日の集合場所である常磐新殿へ
ここの地下が集合場所でした。普段は、結婚式などに使われています。
平日でも、たくさんの会員さんがテーブルに座っていました(91名が参加されました)。ざっと見て平均年齢は高いかと思いました。中には、若い女性や男性も・・・。 時間まで受け付けでいただいたパンフレットや由緒書きに目を通していると14時になり始まりました。
八坂神社 文教部長 橋本 正明氏より、約1時間「八坂神社の歴史と文化財」の講話を聞きました。
○御祭神の話では、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)の話を詳しく
○八坂神社の歴史では、八坂神社の創祀を社伝から656年(斉明天皇2)と読むことができるなど。また、昨年放送された平清盛の話も出てきました。
○社殿の歴史では、平安時代前期から中期の位置が、現在とは違い、幾多の火災により、鎌倉時代以降になって、ほぼ現在の位置に落ち着いた話など。
八坂神社と言えば祇園祭りですが、その話は、残念ながら時間の都合でありませんでした。(祇園祭りだけ話すと、半日ほど時間がいるそうです)
予定の1時間は、直ぐに過ぎてしまいました。このあと、参加者全員が本殿に入ります。応募参加者は80名でしたが、それ以上かも。こんな大人数が本殿に入れるんだろうか・・・と。
そして本殿の入口です。
大勢の人数であることは、分かってたんで、事前に写真を撮っておきました。ここから靴を脱いで、入りました。お正月もここに初詣に来ましたが、新春特別祈祷があって沢山の参拝者が中に入られていました。
本殿に入り、神前で神職さんよりお祓いをうけ、そのあと御神楽を奉奏して巫女さんより祈祷してもらいました。
そのあと橋本氏から、先ほどの講話であった、拝殿と本殿とが別棟であるが、一つの屋根に覆われている話のことです。中に入り上を見れば一目瞭然です。本当、別棟だったんですね。 また、この本殿の下は、池で湧水が湧き出ており、それをポンプで汲み上げて境内に送っている話もされました。
帰りに、本殿の横から見てみました。鑑賞会が始まったことは、曇り空だったけど、ようやく晴れ間が出てきました。
一つ屋根で、桧皮葺きで覆われています。この桧皮葺の技術も「後世に伝えて行かなくてはなないと」言われてました。日本の伝統技術を若い世代に伝えってほしいものです。
国の重要文化財に指定されている本殿は、かつて別棟であった二つの建造物-本殿と拝殿-とを一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、『祇園造』とよばれています。
本殿を参拝したあと、参加者全員で社殿の美御前社を参拝します。
京都市文化観光資源保護財団の助成により、今年度修復されました。創建当時の美しい姿で蘇っています。
社殿前には、神水が湧き出ており、肌の健康はもとより、心から美しく磨かれる「美容水」として有名で、古くから美容の神様として親しまれています。
今回の修復工事で、棟札が発見されました。この棟札で天正19年の文字が読み取れ、八坂神社で一番古い建物であることが分かったらしい。また、社殿後ろの扉に描かれた絵も発見されました。そこで、今回の鑑賞会のため、特別に見せてもらいました。
今回の修復工事で発見されたもので、再び閉じられるのため、「二度と目にすることがないでしょう」と橋本氏が話されてました。
八坂神社の橋本氏の話は、ここまで。このあと、八坂神社の社殿を「京都の文化財を守る会」の案内のもと、参拝しますが、大人数で、前の方でないと全く聞こえないのと、帰りのバスの時間もあったので、ここで失礼しまた。
帰りは、四条通りから。写真は、有名な西楼門です。
講話で聞いた話ですが、四条通りを拡張する時、南北東西どちらか忘れましたが、ずらしたらしい。八坂神社を紹介する写真でく見かけ、八坂神社のシンボルのようなものです。
八坂神社はながらく、『祇園社』『感神院』などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、『八坂神社』と改称されました。そのため仏教色の強いものは、近隣やゆかりの寺院で、今も大切に保存されてるようです。
いろいろ興味深い話を聞かせてもらいました。今後もこのような特別鑑賞会があれば是非参加したいと思いつつ、帰路につきました。
円山公園から知恩院へ行き、そこから高台寺まで歩いて、そこから八坂神社に向かいました。そして八坂神社の正門にあたる南大鳥居から境内に入ります。
重要文化財に指定されている石鳥居です。1646年(正保3)に建立された明神鳥居。1662年(寛文2)の地震で倒壊しましたが、1666年(寛文6)に補修再建されました。
鳥居をくぐった正面が、八坂神社の正門にあたる南楼門です。
八坂神社の紹介では、四条通りに面している西楼門が有名で、そちらが正門と思われているでしょう。1866年(慶応2)に消失。1879年(明治12)に再建されました。
南楼門を入ると、正面に見えているのが、舞殿です。
本殿の南にあり、舞の奉納など様々な催しに使われています。
そして本殿です。
1646年(正保3)に消失するも、1654年(承応3)に再建され、重要分解材に指定されています。平成11年~14年にかけて屋根の桧皮葺替え、内外の塗装の塗替えなどの修理工事を実施されました。 毎年、お正月に初詣でお参りにきています。
思ったより早く来たので、境内をゆっくり見て廻ったあと、本日の集合場所である常磐新殿へ
ここの地下が集合場所でした。普段は、結婚式などに使われています。
平日でも、たくさんの会員さんがテーブルに座っていました(91名が参加されました)。ざっと見て平均年齢は高いかと思いました。中には、若い女性や男性も・・・。 時間まで受け付けでいただいたパンフレットや由緒書きに目を通していると14時になり始まりました。
八坂神社 文教部長 橋本 正明氏より、約1時間「八坂神社の歴史と文化財」の講話を聞きました。
○御祭神の話では、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)の話を詳しく
○八坂神社の歴史では、八坂神社の創祀を社伝から656年(斉明天皇2)と読むことができるなど。また、昨年放送された平清盛の話も出てきました。
○社殿の歴史では、平安時代前期から中期の位置が、現在とは違い、幾多の火災により、鎌倉時代以降になって、ほぼ現在の位置に落ち着いた話など。
八坂神社と言えば祇園祭りですが、その話は、残念ながら時間の都合でありませんでした。(祇園祭りだけ話すと、半日ほど時間がいるそうです)
予定の1時間は、直ぐに過ぎてしまいました。このあと、参加者全員が本殿に入ります。応募参加者は80名でしたが、それ以上かも。こんな大人数が本殿に入れるんだろうか・・・と。
そして本殿の入口です。
大勢の人数であることは、分かってたんで、事前に写真を撮っておきました。ここから靴を脱いで、入りました。お正月もここに初詣に来ましたが、新春特別祈祷があって沢山の参拝者が中に入られていました。
本殿に入り、神前で神職さんよりお祓いをうけ、そのあと御神楽を奉奏して巫女さんより祈祷してもらいました。
そのあと橋本氏から、先ほどの講話であった、拝殿と本殿とが別棟であるが、一つの屋根に覆われている話のことです。中に入り上を見れば一目瞭然です。本当、別棟だったんですね。 また、この本殿の下は、池で湧水が湧き出ており、それをポンプで汲み上げて境内に送っている話もされました。
帰りに、本殿の横から見てみました。鑑賞会が始まったことは、曇り空だったけど、ようやく晴れ間が出てきました。
一つ屋根で、桧皮葺きで覆われています。この桧皮葺の技術も「後世に伝えて行かなくてはなないと」言われてました。日本の伝統技術を若い世代に伝えってほしいものです。
国の重要文化財に指定されている本殿は、かつて別棟であった二つの建造物-本殿と拝殿-とを一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、『祇園造』とよばれています。
本殿を参拝したあと、参加者全員で社殿の美御前社を参拝します。
京都市文化観光資源保護財団の助成により、今年度修復されました。創建当時の美しい姿で蘇っています。
社殿前には、神水が湧き出ており、肌の健康はもとより、心から美しく磨かれる「美容水」として有名で、古くから美容の神様として親しまれています。
今回の修復工事で、棟札が発見されました。この棟札で天正19年の文字が読み取れ、八坂神社で一番古い建物であることが分かったらしい。また、社殿後ろの扉に描かれた絵も発見されました。そこで、今回の鑑賞会のため、特別に見せてもらいました。
今回の修復工事で発見されたもので、再び閉じられるのため、「二度と目にすることがないでしょう」と橋本氏が話されてました。
八坂神社の橋本氏の話は、ここまで。このあと、八坂神社の社殿を「京都の文化財を守る会」の案内のもと、参拝しますが、大人数で、前の方でないと全く聞こえないのと、帰りのバスの時間もあったので、ここで失礼しまた。
帰りは、四条通りから。写真は、有名な西楼門です。
講話で聞いた話ですが、四条通りを拡張する時、南北東西どちらか忘れましたが、ずらしたらしい。八坂神社を紹介する写真でく見かけ、八坂神社のシンボルのようなものです。
八坂神社はながらく、『祇園社』『感神院』などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、『八坂神社』と改称されました。そのため仏教色の強いものは、近隣やゆかりの寺院で、今も大切に保存されてるようです。
いろいろ興味深い話を聞かせてもらいました。今後もこのような特別鑑賞会があれば是非参加したいと思いつつ、帰路につきました。