京都の五社めぐり 松尾大社へ
酒造の神様として知られる松尾大社は、京都最古の神社の一つでもあります。 本日、松尾大社に参拝した理由は、京都五社めぐりの朱印をもらうためです。
『京都五社めぐり』」とは、京の四方と中央を守護する五つの社、すなわち玄武(北)、蒼龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)が守護する土地として都が造営され千年の歴史が続いています。東に八坂神社、西に松尾大社、北に賀茂別雷神社(上賀茂神社)、南に城南宮そして中央に平安神宮の御朱印を集めめぐることです。
先日(1月22日)の八坂神社特別鑑賞会が始まる前に、八坂神社の社務所で『五社めぐり』を知り、早速色紙を受け、八坂神社から始めました。そして本日(1月26日)、松尾大社に参拝に来たわけです。
四条通りの東の突き当たりが八坂神社。そして西の突き当たりが松尾大社。松尾橋を渡って阪急嵐山線の踏切の向こうに大きな朱塗りの大鳥居が。
この冬最大級の寒気が入り、晴れていますが、寒い寒い。
9時過ぎでしたが、閑散とした参道を進みます。この参道横には駐車場になっていますが、ここはかつて仏教関連の建物がありましたが、明治の廃仏毀釈により、取り壊されたそうです。
大鳥居から二番目の鳥居をくぐると正面には、楼門が。
左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われています。
楼門を入ったら、一ノ川が流れています。
4月か5月になれば、この辺りには山吹が咲き誇ります。
そして手水舎で、手を清めます。
亀の口から水が流れていました、境内には、亀がいたるところにありましたが、何か由来があるんでしょう。
楼門の正面には、拝殿が
正月らしい、大きな絵馬が飾ってあります。しかし、境内は、来週の節分の準備が始まっていました。
そして本殿です。
本殿は、屋根だけ見えています。手前は釣殿です。次から次から朝早くから祈祷に来られていました。
境内の南側には、酒樽の山の、神輿庫です。
京都最古の神社ともいわれ酒造の神様で有名。全国の酒造業者から奉納された酒樽です。
最後に、授与所で、京都五社めぐりの朱印をいただきました。 八坂神社と松尾大社で2つ目です。
寒い中、せっかく来たので、庭園に入ることにしました。ここの庭園は、重森三玲の庭として有名です。
曲水の庭と呼ばれる庭は、奈良・平安期に造られた曲水式庭園を模として構成されています。
次に、宝物館に入りました。前回(2011年5月11日)は、御神像三体(男神像が二体・女神像一体)のうち、一つが出張中のため、ありませんでしたが、今回全部揃っていました。前回もそうでしたが、親切な館長?さんが、説明してくれました。
特に、室町時代の古地図では、松尾大社の境内が、嵐山から苔寺付近まであったとは・・・。ただただ驚きです。
宝物館を出て、次に上古の庭へ
松尾大社背後の山中にある磐座(いわくら)に因んで山下に造られました。
前回、詳しく紹介したので、今回は、あっさりと→http://68971846.at.webry.info/201105/article_9.html
庭園の出口に『亀の井』という霊泉があります。
ここは、いつも何人かの人が、水を汲みに来ています。今日も、そうでした。が、たまたま汲みに来られた人が、出られたので撮れました。ここの水は、「延命長寿」「蘇り」の水としても有名です。
その奥が、『霊亀の滝』がある、滝御前があります。
背後の松尾山から枯れることなく流れ落ちています。
松尾大社の出口付近にある、蓬莱の庭へ最後に寄りました。
重森三玲氏が池の形を指示し、その後、長男の完途氏がその意志を継いで完成させた最初で最後の親子合作の庭園です。 写真を撮っていると鯉が寄ってきました。鯉の餌が100円で置いてあったので、鯉に餌をあげました。そしたら、来るわ来るわ
五社めぐりの朱印。残りは、上賀茂神社・城南宮・平安神宮で、楽しみながら廻りたいです。松尾大社も小学校の自由研究で、ここに来たのが多分、最初だったかなぁ。当時は、中京区に住んでいたので、けっこう遠かった・・・と記憶しています。グループで話し合って決めたんだと思いますが・・。ここに来れば懐かしさもあって、当時の事を少しばかり思い出しました。
『京都五社めぐり』」とは、京の四方と中央を守護する五つの社、すなわち玄武(北)、蒼龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)が守護する土地として都が造営され千年の歴史が続いています。東に八坂神社、西に松尾大社、北に賀茂別雷神社(上賀茂神社)、南に城南宮そして中央に平安神宮の御朱印を集めめぐることです。
先日(1月22日)の八坂神社特別鑑賞会が始まる前に、八坂神社の社務所で『五社めぐり』を知り、早速色紙を受け、八坂神社から始めました。そして本日(1月26日)、松尾大社に参拝に来たわけです。
四条通りの東の突き当たりが八坂神社。そして西の突き当たりが松尾大社。松尾橋を渡って阪急嵐山線の踏切の向こうに大きな朱塗りの大鳥居が。
この冬最大級の寒気が入り、晴れていますが、寒い寒い。
9時過ぎでしたが、閑散とした参道を進みます。この参道横には駐車場になっていますが、ここはかつて仏教関連の建物がありましたが、明治の廃仏毀釈により、取り壊されたそうです。
大鳥居から二番目の鳥居をくぐると正面には、楼門が。
左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われています。
楼門を入ったら、一ノ川が流れています。
4月か5月になれば、この辺りには山吹が咲き誇ります。
そして手水舎で、手を清めます。
亀の口から水が流れていました、境内には、亀がいたるところにありましたが、何か由来があるんでしょう。
楼門の正面には、拝殿が
正月らしい、大きな絵馬が飾ってあります。しかし、境内は、来週の節分の準備が始まっていました。
そして本殿です。
本殿は、屋根だけ見えています。手前は釣殿です。次から次から朝早くから祈祷に来られていました。
境内の南側には、酒樽の山の、神輿庫です。
京都最古の神社ともいわれ酒造の神様で有名。全国の酒造業者から奉納された酒樽です。
最後に、授与所で、京都五社めぐりの朱印をいただきました。 八坂神社と松尾大社で2つ目です。
寒い中、せっかく来たので、庭園に入ることにしました。ここの庭園は、重森三玲の庭として有名です。
曲水の庭と呼ばれる庭は、奈良・平安期に造られた曲水式庭園を模として構成されています。
次に、宝物館に入りました。前回(2011年5月11日)は、御神像三体(男神像が二体・女神像一体)のうち、一つが出張中のため、ありませんでしたが、今回全部揃っていました。前回もそうでしたが、親切な館長?さんが、説明してくれました。
特に、室町時代の古地図では、松尾大社の境内が、嵐山から苔寺付近まであったとは・・・。ただただ驚きです。
宝物館を出て、次に上古の庭へ
松尾大社背後の山中にある磐座(いわくら)に因んで山下に造られました。
前回、詳しく紹介したので、今回は、あっさりと→http://68971846.at.webry.info/201105/article_9.html
庭園の出口に『亀の井』という霊泉があります。
ここは、いつも何人かの人が、水を汲みに来ています。今日も、そうでした。が、たまたま汲みに来られた人が、出られたので撮れました。ここの水は、「延命長寿」「蘇り」の水としても有名です。
その奥が、『霊亀の滝』がある、滝御前があります。
背後の松尾山から枯れることなく流れ落ちています。
松尾大社の出口付近にある、蓬莱の庭へ最後に寄りました。
重森三玲氏が池の形を指示し、その後、長男の完途氏がその意志を継いで完成させた最初で最後の親子合作の庭園です。 写真を撮っていると鯉が寄ってきました。鯉の餌が100円で置いてあったので、鯉に餌をあげました。そしたら、来るわ来るわ
五社めぐりの朱印。残りは、上賀茂神社・城南宮・平安神宮で、楽しみながら廻りたいです。松尾大社も小学校の自由研究で、ここに来たのが多分、最初だったかなぁ。当時は、中京区に住んでいたので、けっこう遠かった・・・と記憶しています。グループで話し合って決めたんだと思いますが・・。ここに来れば懐かしさもあって、当時の事を少しばかり思い出しました。