建礼門院が出家した寺 長楽寺へ
大谷祖廟で墓参りを済ませて、総門を円山公園側に降りると長楽寺の入口に出ます。
この長楽寺は、昨年放送されましたNHK大河ドラマ「平清盛」の第43回放送で、取り上げられました。゜
平清盛の娘・徳子(建礼門院)が、壇ノ浦の戦いで入水するも助けられ、京都に送られます。そして、この長楽寺で出家したと伝わっています。このとき建礼門院29歳のことです。
先ほどの石碑から程なく進むと山門があります。
入って左手に拝観受付があり、そこで拝観料500円を払います。拝観時間は、午前9時~となっています。
拝観受付を済ませると、庭園に入るか、本堂に向かうかは自由ですが、先に入られた拝観者が庭園に入られたので、私は、本堂に向かいました。
本尊は、歴代天皇の即位のときのみご開帳される秘仏とされています。
そして本堂の横から降りると、そこには建礼門院塔があります。
かつては長楽寺山山腹八丁台の景勝の地にありましたが、明治初年に国有林化されたため、現在地に移されたという。建礼門院の遺髪を納めたため御髪塔とも言う。
出家された建礼門院は、ほどなく大原の寂光院へ移り、安徳天皇と平家一門の菩提を弔い、ここで生涯を閉じられました。
建礼門院塔の横には、平安の滝が
水が流れていませんでした。木札には、名水と書いてありましたが・・・。
次に、収蔵庫です。
時宗宗祖一遍上人尊像(重要文化財)など安置されていました。中は、当然のことで、撮影禁止です。
収蔵庫を出て庭園まで戻ろうかと思いましたが、立て札に「頼山陽先生墓所」「市内眺望100㍍先」と書いてあました。山側の階段を登って行きますが、興味が湧いたので登ってみました。
長楽寺には何度か来てますが、ここまで登ってきたのは、初めてです。
人気の無い山道を一気に上がって、眺望所までやってきました。
下に、円山公園や八坂神社の赤い鳥居が見えています。冷え込んだ京都市内を一望できました。(木々の間だけですが・・・)
そしてその奥が、頼山陽の墓所が
今日、ここに来て初めて、頼山陽のことを知りました。
頼山陽は、江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人画家。主著に『日本外史』は。幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えました。
そして再び収蔵庫前まで戻ってきました。そこから見た、本堂と鐘楼です。
鐘楼前の階段を降りると、庭園入口にでます。
そしてここが庭園の入口てす。
靴を脱いで上がります。
そして最初に目に行くのが、建礼門院木像です。
ここは、撮影禁止ではありませんでした。別室の展示室が撮影禁止でした。
書院の中から、相阿弥の庭を見てみます。
先ほどの平安の滝から流れ出た水が、この池に取り込まれるようになっています。
それでは、下に降りて、ゆっくり眺めます。
相阿弥の作庭と伝わっています。室町幕府8代将軍・足利義政の命により、銀閣寺庭園の試作として造園されました。 自然のままの趣があり質素ですが、見応えありました。 また、この庭園は、紅葉の名所でもあります。
『昨年の第46回 京の冬の旅』で、長楽寺の寺宝が公開されました。一年も前ですが、その看板がまだ出ています。その看板の絵が『安徳天皇画像』(複製)です。
今日も収蔵庫で見られるかと期待したんですが、甘かった。
確かに、ここ長楽寺は、建礼門院の足跡が残っています。この後、大原の寂光院に移られますが、最近行ってない大原の里も再訪しなくてはいけませんね。
この長楽寺は、昨年放送されましたNHK大河ドラマ「平清盛」の第43回放送で、取り上げられました。゜
平清盛の娘・徳子(建礼門院)が、壇ノ浦の戦いで入水するも助けられ、京都に送られます。そして、この長楽寺で出家したと伝わっています。このとき建礼門院29歳のことです。
先ほどの石碑から程なく進むと山門があります。
入って左手に拝観受付があり、そこで拝観料500円を払います。拝観時間は、午前9時~となっています。
拝観受付を済ませると、庭園に入るか、本堂に向かうかは自由ですが、先に入られた拝観者が庭園に入られたので、私は、本堂に向かいました。
本尊は、歴代天皇の即位のときのみご開帳される秘仏とされています。
そして本堂の横から降りると、そこには建礼門院塔があります。
かつては長楽寺山山腹八丁台の景勝の地にありましたが、明治初年に国有林化されたため、現在地に移されたという。建礼門院の遺髪を納めたため御髪塔とも言う。
出家された建礼門院は、ほどなく大原の寂光院へ移り、安徳天皇と平家一門の菩提を弔い、ここで生涯を閉じられました。
建礼門院塔の横には、平安の滝が
水が流れていませんでした。木札には、名水と書いてありましたが・・・。
次に、収蔵庫です。
時宗宗祖一遍上人尊像(重要文化財)など安置されていました。中は、当然のことで、撮影禁止です。
収蔵庫を出て庭園まで戻ろうかと思いましたが、立て札に「頼山陽先生墓所」「市内眺望100㍍先」と書いてあました。山側の階段を登って行きますが、興味が湧いたので登ってみました。
長楽寺には何度か来てますが、ここまで登ってきたのは、初めてです。
人気の無い山道を一気に上がって、眺望所までやってきました。
下に、円山公園や八坂神社の赤い鳥居が見えています。冷え込んだ京都市内を一望できました。(木々の間だけですが・・・)
そしてその奥が、頼山陽の墓所が
今日、ここに来て初めて、頼山陽のことを知りました。
頼山陽は、江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人画家。主著に『日本外史』は。幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えました。
そして再び収蔵庫前まで戻ってきました。そこから見た、本堂と鐘楼です。
鐘楼前の階段を降りると、庭園入口にでます。
そしてここが庭園の入口てす。
靴を脱いで上がります。
そして最初に目に行くのが、建礼門院木像です。
ここは、撮影禁止ではありませんでした。別室の展示室が撮影禁止でした。
書院の中から、相阿弥の庭を見てみます。
先ほどの平安の滝から流れ出た水が、この池に取り込まれるようになっています。
それでは、下に降りて、ゆっくり眺めます。
相阿弥の作庭と伝わっています。室町幕府8代将軍・足利義政の命により、銀閣寺庭園の試作として造園されました。 自然のままの趣があり質素ですが、見応えありました。 また、この庭園は、紅葉の名所でもあります。
『昨年の第46回 京の冬の旅』で、長楽寺の寺宝が公開されました。一年も前ですが、その看板がまだ出ています。その看板の絵が『安徳天皇画像』(複製)です。
今日も収蔵庫で見られるかと期待したんですが、甘かった。
確かに、ここ長楽寺は、建礼門院の足跡が残っています。この後、大原の寂光院に移られますが、最近行ってない大原の里も再訪しなくてはいけませんね。