新撰組・山南敬助の墓所 光縁寺へ
昨年の話ですが、壬生の清宗根付館(11月18日up)のあと、新選組の副長・総長をつとめた幕末の武士・山南敬助の墓所である光縁寺に行きました。 場所は、大宮通り綾小路を西に入った北側にあります。
綾小路通り沿いに山門があります。
門前の石碑には、『新撰組之墓』とかいてあります。この山門は、1846年(弘化3.)の再建で現在に至っています。
門は、閉まっているように見えますが、門の左に「墓参りの方お入り下さい」と書いてあり、扉を開けて入ります。そして玄関で墓参料100円を納めます。
門の正面にあるのが本堂です。
創建は、1613年(慶長18)ですが、天明の大火で焼失し、1819年(文政2)に再建されました。
扉を開けるとガラガラガラと鈴が鳴るので、住職さんが出て来られます。「ここは初めてか?」と聞かれたんで、「初めてです」と返答すると、簡単に、熱心に説明をしてくれました。 そして「先に、墓参りを済ませて、そのあと本堂に上がって焼香でもして下さい」と案内されたので、先ずは、新撰組の隊士が眠るお墓参りへ。
新撰組のお墓は、墓地の北西角にひっそりとありました。(場所は、書いてありますが、住職さんも教えてくれます。) いつも通勤で利用している嵐電の直ぐ横にあり、こんなに近くにあったのかと・・・。
ここに、新撰組隊士28名が眠っています。
山南敬助のお墓の傷みが激しいです。墓石には、28名中、9名の名が刻まれています。
新撰組のお墓の横には、沖田総司の縁者のお墓が建っています。
住職さんの話では、沖田総司が連れてきた縁者で、山南敬助の恋人「明里」だとか。
本堂の裏側には、鬼瓦があり、ここで貰った手作りパンフの表紙を飾っています。
この瓦をよく見ると、「丸に右離れ三つ葉立葵」で、光縁寺の家紋です。また、山南家も同じ家紋だそうです。そのため、ここの住職さんと山南敬助は親交があったそうで、それが縁で、山南が切腹したあと、ここに埋葬されたとか。
お墓参りを済ませてあと、本堂に上がりお焼香させてもらいました。
本尊は、阿弥陀如来立像。右には観音菩薩、左に勢至菩薩が祀られています。
この光縁寺は、観光による見学は不可で、墓参のみ受付されています。私は、新撰組については、あまり詳しく知りませんし、何年か前のNHK大河ドラマ「新撰組」も見なかったんです。この壬生に住んでいたのに・・・。山南敬助ファンは多いとと聞きます。この光縁寺にも多くの人が墓参に訪れるんでしょう。
この光縁寺を出て、壬生川通りをこえ、坊城通りまで出ると、旧前川邸があります。
山南敬助は、ここで切腹しました。 毎年、旧前川邸で山南忌があり、多くの山南ファンが訪れるらしい。なお、旧前川邸は、拝観不可です。年に一度の山南忌の日だけ入ることができます。
第7回山南忌は、今年の3月10日(日)に開催予定です。
全国から多くの山南ファンが訪れるそうです。一度参加してみようかなぁ・・・
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綾小路通り沿いに山門があります。
門前の石碑には、『新撰組之墓』とかいてあります。この山門は、1846年(弘化3.)の再建で現在に至っています。
門は、閉まっているように見えますが、門の左に「墓参りの方お入り下さい」と書いてあり、扉を開けて入ります。そして玄関で墓参料100円を納めます。
門の正面にあるのが本堂です。
創建は、1613年(慶長18)ですが、天明の大火で焼失し、1819年(文政2)に再建されました。
扉を開けるとガラガラガラと鈴が鳴るので、住職さんが出て来られます。「ここは初めてか?」と聞かれたんで、「初めてです」と返答すると、簡単に、熱心に説明をしてくれました。 そして「先に、墓参りを済ませて、そのあと本堂に上がって焼香でもして下さい」と案内されたので、先ずは、新撰組の隊士が眠るお墓参りへ。
新撰組のお墓は、墓地の北西角にひっそりとありました。(場所は、書いてありますが、住職さんも教えてくれます。) いつも通勤で利用している嵐電の直ぐ横にあり、こんなに近くにあったのかと・・・。
ここに、新撰組隊士28名が眠っています。
山南敬助のお墓の傷みが激しいです。墓石には、28名中、9名の名が刻まれています。
新撰組のお墓の横には、沖田総司の縁者のお墓が建っています。
住職さんの話では、沖田総司が連れてきた縁者で、山南敬助の恋人「明里」だとか。
本堂の裏側には、鬼瓦があり、ここで貰った手作りパンフの表紙を飾っています。
この瓦をよく見ると、「丸に右離れ三つ葉立葵」で、光縁寺の家紋です。また、山南家も同じ家紋だそうです。そのため、ここの住職さんと山南敬助は親交があったそうで、それが縁で、山南が切腹したあと、ここに埋葬されたとか。
お墓参りを済ませてあと、本堂に上がりお焼香させてもらいました。
本尊は、阿弥陀如来立像。右には観音菩薩、左に勢至菩薩が祀られています。
この光縁寺は、観光による見学は不可で、墓参のみ受付されています。私は、新撰組については、あまり詳しく知りませんし、何年か前のNHK大河ドラマ「新撰組」も見なかったんです。この壬生に住んでいたのに・・・。山南敬助ファンは多いとと聞きます。この光縁寺にも多くの人が墓参に訪れるんでしょう。
この光縁寺を出て、壬生川通りをこえ、坊城通りまで出ると、旧前川邸があります。
山南敬助は、ここで切腹しました。 毎年、旧前川邸で山南忌があり、多くの山南ファンが訪れるらしい。なお、旧前川邸は、拝観不可です。年に一度の山南忌の日だけ入ることができます。
第7回山南忌は、今年の3月10日(日)に開催予定です。
全国から多くの山南ファンが訪れるそうです。一度参加してみようかなぁ・・・
