京の冬の旅12年ぶりの公開 聖護院〈旧森御殿〉へ

1月27日(日)の朝、一面真っ白な雪が少しばかり積もり、また、寒波の影響で、氷点下に冷え込みました。

そんな寒い日曜日、山伏の寺として知られている聖護院へ初めて訪れました。通常は、予約拝観ですが、この冬の旅の間は、予約不要で入れます。

聖護院と聞けば、聖護院八つ橋、聖護院かぶら、聖護院大根なんか思い浮かべますが、この聖護院は、本山修験宗の総本山で、代々皇室や摂家より門主を迎えた門跡寺院です。

あまりに寒いので、行くか行かないか迷いましたが、この聖護院は、拝観休止日が多いため、予定どおり行くことにしました。熊野神社前バス停から歩いて5分ぐらいで、大きな石碑と山門に着きます。

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10時は過ぎてましたが、空いてるかなぁと思いきや、拝観休止日が多いためか、多くの参拝者で賑わってました。ひょっとしたら、拝観前には、行列ができてたかも・・・。

山門を入って、右手にある玄関の中に拝観受付があります。

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靴を下駄箱に入れて、上がります。拝観料600円。拝観時間10時~16時。

聖護院の歴史は、1090年(寛治4)増誉大僧正により創建されました。後白河天皇の皇子・静恵法親王が宮門跡として入寺して以来、代々皇室や摂家より門主を迎えた由緒ある門跡寺院で、かつて深い森に包まれていたことから、『森御殿』とも呼ばれていました。

入ってすぐにガイドさんより、聖護院の歴史について案内があります。座った場所が悪かったのか、風の通り道で寒い寒い。なお、この玄関入口の近くには、山伏の必需品とも言える日本一大きなホラ貝なんかが、展示してありました。

次に、宸殿に案内されます。

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1788年(天明8)の大火で御所が炎上した際に、光格天皇が仮皇居として政務を行った場所です。

光格天皇が政務を執られた『上段の間』があって、そこには武者隠しが設けてありました。また、襖絵は、「花鳥図」「老松図」「波濤図」「鶴の図」など、狩野益信・永納をはじめてとする狩野派の絵師によって描かれました。この襖絵や障壁画は、間近で見られます。

「上段の間」の欄間には、ネズミの通り道まで造ってありました。また、寝殿内の仏間には、修験道の開祖・役行者像・蔵王権現や不動明王などが祀られており見応えあり、ガイドさんが、たっぷり説明してくれます。そして宸殿前には、前庭が広がっています。

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白砂に市松模様の砂紋が美しい。どのようにして引いたんだろう・・・。山伏の寺らしく、行事の際には護摩が焚かれるらしい。

宸殿の次は、本堂

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智証大師円珍作と伝わる本尊・不動明王像(重要文化財)、智証大師像(重要文化財)が安置されています。

なお、堂内の撮影は禁止されていました。そして次に書院に向かいますが、その手前に東山を借景にした庭園がありました。

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昨夜から今朝にかけて降った雪が溶けずに残っています。

その庭園越しに見る書院です。

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重要文化財に指定されている書院は、江戸時代初期に御所から移築さた書院造に数寄屋風の建物です。欄間や釘隠しなどの意匠が見応え充分でした。

書院から宸殿の裏を通って、玄関に出てきます。その間に中庭(坪庭)がありました。

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手水鉢に白砂に苔。宸殿修復時でも造られたのかなぁ・・・。分かりません

拝観受付で、朱印を尋ねると番号札をもらいました。この中庭(坪庭)の左手を開けると、玄関に出られます。

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中に入れば、沢山の朱印帳が置いてありました。自分の番号を言い、朱印帳を受け取ると、何人かの人が係の和尚さんに、番号を言ってます。「何だろう」と思って、ポストカードを見ると、冬の旅の拝観者は、一つ好きなボスとカードが貰えたんです。私は、上段の間のポストカードを貰いました。ラッキー

かつて、ここは深い森に包まれていたようで、『森御殿』とも呼ばれていたようです。現在廻りには、京都大学や熊野神社なんかありますが、当時の面影は、全く残っていません。また、ここのガイドさんに聞いて本山修験宗のことも初めて知りました。

1月10日(木)~3月18日(月) ただし、2月1日(金)~4日(月)・16日(土)・17(日)、3月3日(日)は拝観休止です。



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