西陣 山名宗全旧邸跡へ

京都に西陣(にしじん)と言う地名があります。その西陣の名の由来になった歴史ポイントを見てきました。

話は、応仁の乱まで、さかのぼります。室町時代の守護大名・山名宗全は、当時、強大な勢力を誇っていました。足利幕府8代将軍・足利義政は、子供がなかったため、弟の義視(よしみ)を後嗣にしようとしましたたが、その後、義政の夫人富子に義尚(よしひさ)が生まれたため、将軍職をめぐる後継者争いが起こりました。義尚を擁する宗全と室町今出川の花の御所に陣を置く義視方の細川勝元と東西に分かれて11年間に及ぶ戦いを繰り広げました。これを後に、『応仁の乱』と呼ばれました。

その山名宗全の邸宅跡に石碑が建っています。

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山名宗全は、この地に邸宅をかまえてました。応仁の乱では、この辺りに陣を敷したわけです。

このあたり一帯を西陣と呼ぶのは、山名宗全が室町幕府の西に陣を敷いたことによります。

ここ知ったのは、何年か前に偶然、ここを通ったからです。住宅街の車一台が通れるかどうかの狭い道ですが、そんなところに石碑がひっそりと建っています。

この日のメインは、特別公開の宝鏡寺でした。その宝鏡寺に向かう途中、寄ってみました。堀川通りの山名町の角にも、石碑がありました。

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この辺り一帯が、山名宗全の邸宅があったんでしょう。現在、面影は全くありませんが、地名が物語っています。



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