足利8代将軍義政や桂宮家の菩提所 相国寺 慈照院へ
今回『京の冬の旅』19年ぶりの公開で、目玉の一つである(私が思っている)相国寺 慈照院に行きました。
普段公開されることがないので、是非行ってみたい寺院でした。相国寺の塔頭寺院ですが、本坊からは少し離れています。地下鉄鞍馬口の南出口を出て、烏丸通りを下がり、2つ目の信号を東に入ると看板が出ているので、迷うことはないでしょう。
慈照院には、歩いて5分ぐらいで、山門前には着きます。
下の写真の看板は、慈照院の東南角に立っています。寺の南には烏丸中学校があるので、本坊からは離れているのが分かります。
門を入ると正面に庫裏があって、その前には枯山水庭園が
この庭園は、客殿前まで続いて造られています。(後でガイドさんより案内がありました)
庫裏と玄関前の庭園を見ながら、案内にどおりに拝観入口に出ます。
ここは多分学生さんだと思いますが、ガイドと案内をされています。
慈照院は、初め大徳院と称してましたが、1490年(延徳2)室町幕府八代将軍・足利義政の菩提所となったことから、その法号より慈照院と改め相国寺の塔頭寺院となりました。また、当院と桂離宮で知られる桂宮智仁親王や智忠親王と親交があったことから、桂宮家の菩提所ともなりました。
入ると正面に花頭窓があって、そこから庭園と客殿(本堂)が見えます。
最初に本堂に上がって説明を受けます。
しかし、運が悪かったのか団体さんが先に入られたので、話を聞くのは後にして先に庭園を見てました。その客殿(本堂)前の庭園には、船に形どった「陸船松」と呼ばれる見事な枝の松が美しい。また、松の向こうには、枯滝石組があって、流れ出る水を巧みな石組みで表しています。
団体さんが書院に向かったので、他の拝観者とともにガイドさんの話をようやく聞けました。
最初に、慈照院の歴史について、そして8代将軍・足利義政の木像と開山僧の木像について。仏間に移動して本尊の11面観音立像の話をされました。多分、学生さんだと思いますが、声も大きく話も上手で、拍手を送りたいほどでした。(先の団体さんと出口で出会いましたが、皆さんガイドさんの話が上手だった話されてました)
次に書院「棲碧軒」(せいへきけん)に向かいます。
1629年(寛永6)に桂宮の御学問所として建てられ、のちに下賜されたものです。
そして書院の奥にある茶室「頤神室」(いしんしつ)を見るため露地庭園に降りることができます。
スリッパに履き替えますが、そんなに数はありません。苔などを踏まないように、人数制限されてるみたいです。団体さんが本堂の話を聞いてる間に、先に書院庭園を降りて見てました。
茶室の前にあった蹲踞と茶室裏手てす。
茶室は、撮影禁止でした。(外観も内部も) 千利休の孫にあたる宗旦に化けて見事な点前を披露したという狐の伝説を伝える「宗旦狐」の掛け軸が架かっています。(暗いから分からない)
ガイドさんの話は、ここまでです。あとは展示品を見終わったら再び本堂に向かい終わりです。受付で朱印をお願いしていたら、帰りに受け取れます。
最後に本堂前から見た花頭窓です。
山門前から客殿前まで続く庭園がわかります。
ここは団体を除いても拝観者は大変多かったです。滅多に公開されることのが無いからでしょう。季節外れの暖かさは、春の訪れを感じるものでしたが、まだ早いでしょう。 それでも2月4日は。立春ですが・・・。
満足して慈照院を出ました。10時には着きたいと思っていましたが、都合て昼からになってしまいました。山門を下ると両側に桂宮ゆかりの墓所がありました。
桂宮西ノ墓地
第112代 霊元天皇 皇子・文仁親王 他8墓があるそうです。(立札より)
桂宮東ノ墓地
第106代 正親町天皇の孫・ 智仁親王 他 6墓があるそうです。(立札より)
2月2日(土)朝に雨は上がりましたが、季節外れの暖かい曇り空の日でした。ここに来た目的は、あと2ヶ所あります。つづく。
1月10日(木)~3月18日(月) 拝観料600円 10:00~16:00 特に拝観休止日はありません。
普段公開されることがないので、是非行ってみたい寺院でした。相国寺の塔頭寺院ですが、本坊からは少し離れています。地下鉄鞍馬口の南出口を出て、烏丸通りを下がり、2つ目の信号を東に入ると看板が出ているので、迷うことはないでしょう。
慈照院には、歩いて5分ぐらいで、山門前には着きます。
下の写真の看板は、慈照院の東南角に立っています。寺の南には烏丸中学校があるので、本坊からは離れているのが分かります。
門を入ると正面に庫裏があって、その前には枯山水庭園が
この庭園は、客殿前まで続いて造られています。(後でガイドさんより案内がありました)
庫裏と玄関前の庭園を見ながら、案内にどおりに拝観入口に出ます。
ここは多分学生さんだと思いますが、ガイドと案内をされています。
慈照院は、初め大徳院と称してましたが、1490年(延徳2)室町幕府八代将軍・足利義政の菩提所となったことから、その法号より慈照院と改め相国寺の塔頭寺院となりました。また、当院と桂離宮で知られる桂宮智仁親王や智忠親王と親交があったことから、桂宮家の菩提所ともなりました。
入ると正面に花頭窓があって、そこから庭園と客殿(本堂)が見えます。
最初に本堂に上がって説明を受けます。
しかし、運が悪かったのか団体さんが先に入られたので、話を聞くのは後にして先に庭園を見てました。その客殿(本堂)前の庭園には、船に形どった「陸船松」と呼ばれる見事な枝の松が美しい。また、松の向こうには、枯滝石組があって、流れ出る水を巧みな石組みで表しています。
団体さんが書院に向かったので、他の拝観者とともにガイドさんの話をようやく聞けました。
最初に、慈照院の歴史について、そして8代将軍・足利義政の木像と開山僧の木像について。仏間に移動して本尊の11面観音立像の話をされました。多分、学生さんだと思いますが、声も大きく話も上手で、拍手を送りたいほどでした。(先の団体さんと出口で出会いましたが、皆さんガイドさんの話が上手だった話されてました)
次に書院「棲碧軒」(せいへきけん)に向かいます。
1629年(寛永6)に桂宮の御学問所として建てられ、のちに下賜されたものです。
そして書院の奥にある茶室「頤神室」(いしんしつ)を見るため露地庭園に降りることができます。
スリッパに履き替えますが、そんなに数はありません。苔などを踏まないように、人数制限されてるみたいです。団体さんが本堂の話を聞いてる間に、先に書院庭園を降りて見てました。
茶室の前にあった蹲踞と茶室裏手てす。
茶室は、撮影禁止でした。(外観も内部も) 千利休の孫にあたる宗旦に化けて見事な点前を披露したという狐の伝説を伝える「宗旦狐」の掛け軸が架かっています。(暗いから分からない)
ガイドさんの話は、ここまでです。あとは展示品を見終わったら再び本堂に向かい終わりです。受付で朱印をお願いしていたら、帰りに受け取れます。
最後に本堂前から見た花頭窓です。
山門前から客殿前まで続く庭園がわかります。
ここは団体を除いても拝観者は大変多かったです。滅多に公開されることのが無いからでしょう。季節外れの暖かさは、春の訪れを感じるものでしたが、まだ早いでしょう。 それでも2月4日は。立春ですが・・・。
満足して慈照院を出ました。10時には着きたいと思っていましたが、都合て昼からになってしまいました。山門を下ると両側に桂宮ゆかりの墓所がありました。
桂宮西ノ墓地
第112代 霊元天皇 皇子・文仁親王 他8墓があるそうです。(立札より)
桂宮東ノ墓地
第106代 正親町天皇の孫・ 智仁親王 他 6墓があるそうです。(立札より)
2月2日(土)朝に雨は上がりましたが、季節外れの暖かい曇り空の日でした。ここに来た目的は、あと2ヶ所あります。つづく。
1月10日(木)~3月18日(月) 拝観料600円 10:00~16:00 特に拝観休止日はありません。