昼の三時に勤行を行う尼門跡寺院 三時知恩寺〈旧入江御所〉へ
相国寺 慈照院から俵屋吉富「京菓子資料館」へ行き、今日最後の訪問地である三時知恩寺〈旧入江御所〉へ行きました。
『京の冬の旅』7年ぶりの公開となりますが、私も7年前に一度訪れましたが、正直、覚えていません。それは、拝観入口から庭も含めて撮影禁止だったためでしょう。
俵屋吉富 烏丸店を出て烏丸通りを下がり、上立売通りを西に入り、新町通りまで行きます。そして下がった東側にに山門があります。
7年前にも来てるので、迷うことはありませんでした。歩道が狭いのと、新町通りが結構車が通るので撮りにくい。
室町時代に後光厳天皇の皇女・見子内親王が、伯父にあたる崇光天皇の旧御所・入江殿を寺院に改めて創建されたため『入江御所』と呼ばれました浄土宗の尼門跡寺院です。
山門を入ると右手に庭園が
ここが入口かと迷われる拝観者も少なくありません。入口は、左手の玄関です。
そして左手に玄関が、あります。
入って左手に拝観受付がありました。以前は、山門にテープルを並べて、受付があったように記憶しています。
ここも学生さんの案内でした。拝観受付を済ませると本堂に案内されますが、団体さんが先に入っていたので、「先に書院に行って下さい」と案内がありました。それにしても今日は、団体さんとよく出会う一日です。
本堂を除くと、沢山の人が話を聞いています。そこをスルーして書院に行きました。書院の前には、綺麗な庭園がありました。多分前も庭は見てたんでしょうけど、あまり覚えていません。
前回公開時は、庭も含めて撮影禁止でしたが、今回、庭の撮影が許可されて良かったです。この情報が分かったので、今日訪れたのも事実です。
書院にて、学生さんのガイドさんより説明を受けました。なお、室内は、撮影禁止でした。
書院は、桃園天皇の女御・恭礼門院の御殿を賜ったものです。一の間には、「源氏物語」図の扇面を貼り付けた襖で飾られています。三の間襖には、琵琶湖の魚獲りの様子が描かれた円山応挙筆の「魞魚図」が描かれていました。
書院の説明のあと、庭についての案内がありました。枯山水庭園の「蓬莱の庭」と言います。仙人の住む神仙島を表したもので、比叡山を借景にしていますが、現在は見えなくなってるそうです。近くに同志社大学もあるし、比叡山は無理でしょう。
次に、本堂に向かいます。
書院から見た本堂です。ここでも学生さんのガイドさんより案内がありました。
江戸時代の天明の大火後の再建時に、大徳寺山内にあった学問所を移築したものと伝わっています。内陣の厨子の中には、阿弥陀如来像と、宋から伝来した善導大師像が安置されていました。この像は、毎年3月14日のみ御開帳されていますが、この『京の冬の旅』の期間中は、特別に公開されています。
ここのガイドさんも案内が上手で、善導大師像の話も詳しく聞きましたが、ここでは控えます。そして、この寺が三時智恩寺の名の由来も説明されました。
宮中で行われていた六時勤行(一日六回の念仏読経)のうち、昼の三時の勤行は、この寺で行うようにとの後柏原天皇の勅命によって、寺の名を『三時知恩寺』と改められました。このことにより、明治維新まで代々皇女や摂関家の姫君が入寺され、尼門跡寺院して皇室と深い関わりを持ちました。
最後に、寺宝についての案内があって、江戸初期の絵師・狩野永納の代表作「花鳥図屏風」です。
看板の写真です。先般訪れた聖護院でも聞きましたが、京都狩野派の絵師の作です。
7年ぶりに訪れた三時知恩寺でしたが、まったく覚えてなかったから、新鮮でした。それと、今日は慈照院から俵屋吉富。そして三時知恩寺と来ましたが、何組かは同じコースで来られてました。三時知恩寺でも見かけたときは、心の中で笑ってしまいました。
1月10日(木)~3月18日(月) 拝観料600円 10:00~16:00 特に休止日はありません。
『京の冬の旅』7年ぶりの公開となりますが、私も7年前に一度訪れましたが、正直、覚えていません。それは、拝観入口から庭も含めて撮影禁止だったためでしょう。
俵屋吉富 烏丸店を出て烏丸通りを下がり、上立売通りを西に入り、新町通りまで行きます。そして下がった東側にに山門があります。
7年前にも来てるので、迷うことはありませんでした。歩道が狭いのと、新町通りが結構車が通るので撮りにくい。
室町時代に後光厳天皇の皇女・見子内親王が、伯父にあたる崇光天皇の旧御所・入江殿を寺院に改めて創建されたため『入江御所』と呼ばれました浄土宗の尼門跡寺院です。
山門を入ると右手に庭園が
ここが入口かと迷われる拝観者も少なくありません。入口は、左手の玄関です。
そして左手に玄関が、あります。
入って左手に拝観受付がありました。以前は、山門にテープルを並べて、受付があったように記憶しています。
ここも学生さんの案内でした。拝観受付を済ませると本堂に案内されますが、団体さんが先に入っていたので、「先に書院に行って下さい」と案内がありました。それにしても今日は、団体さんとよく出会う一日です。
本堂を除くと、沢山の人が話を聞いています。そこをスルーして書院に行きました。書院の前には、綺麗な庭園がありました。多分前も庭は見てたんでしょうけど、あまり覚えていません。
前回公開時は、庭も含めて撮影禁止でしたが、今回、庭の撮影が許可されて良かったです。この情報が分かったので、今日訪れたのも事実です。
書院にて、学生さんのガイドさんより説明を受けました。なお、室内は、撮影禁止でした。
書院は、桃園天皇の女御・恭礼門院の御殿を賜ったものです。一の間には、「源氏物語」図の扇面を貼り付けた襖で飾られています。三の間襖には、琵琶湖の魚獲りの様子が描かれた円山応挙筆の「魞魚図」が描かれていました。
書院の説明のあと、庭についての案内がありました。枯山水庭園の「蓬莱の庭」と言います。仙人の住む神仙島を表したもので、比叡山を借景にしていますが、現在は見えなくなってるそうです。近くに同志社大学もあるし、比叡山は無理でしょう。
次に、本堂に向かいます。
書院から見た本堂です。ここでも学生さんのガイドさんより案内がありました。
江戸時代の天明の大火後の再建時に、大徳寺山内にあった学問所を移築したものと伝わっています。内陣の厨子の中には、阿弥陀如来像と、宋から伝来した善導大師像が安置されていました。この像は、毎年3月14日のみ御開帳されていますが、この『京の冬の旅』の期間中は、特別に公開されています。
ここのガイドさんも案内が上手で、善導大師像の話も詳しく聞きましたが、ここでは控えます。そして、この寺が三時智恩寺の名の由来も説明されました。
宮中で行われていた六時勤行(一日六回の念仏読経)のうち、昼の三時の勤行は、この寺で行うようにとの後柏原天皇の勅命によって、寺の名を『三時知恩寺』と改められました。このことにより、明治維新まで代々皇女や摂関家の姫君が入寺され、尼門跡寺院して皇室と深い関わりを持ちました。
最後に、寺宝についての案内があって、江戸初期の絵師・狩野永納の代表作「花鳥図屏風」です。
看板の写真です。先般訪れた聖護院でも聞きましたが、京都狩野派の絵師の作です。
7年ぶりに訪れた三時知恩寺でしたが、まったく覚えてなかったから、新鮮でした。それと、今日は慈照院から俵屋吉富。そして三時知恩寺と来ましたが、何組かは同じコースで来られてました。三時知恩寺でも見かけたときは、心の中で笑ってしまいました。
1月10日(木)~3月18日(月) 拝観料600円 10:00~16:00 特に休止日はありません。