『真正極楽寺(真如堂)』助成文化材特別鑑賞に参加(後編)
真如堂の境内を「京都の文化財を守る会」の案内で巡ったあと、再び本堂に入って、真正極楽寺(真如堂) 執事 様より、「真正極楽寺(真如堂)の歴史と文化財、涅槃会について」の講話を聞きました。
スライドを見ながら分かりやすく、また面白く話されました。この講話で何度も話されたことは、「真如堂は、紅葉の名所です。しかも紅葉を見るのに拝観料は入りませんし、大変お得です」と。本当、境内を真っ赤に染める紅葉は、自由に見られます。ただ、人はすごく多いですけど。 私は、桜の時期にも来てますが、桜綺麗です。
そしてここでも2班に分かれます。私は、お庭を先に見ることになりました。本堂を出て長い渡り廊下を歩いて、書院に出ます。順路はいろいろありますが、案内されたのが、講話でも話された涅槃の庭です。
東山を借景にしています。ここから見ると大文字山がはっきり見えています。
1988年(昭和63)、曽根三郎氏によって作られた庭で、東山三十六峯を借景に,釈迦の頭北面西、右脇下に臥すしておられる涅槃の姿が石組みで表わされています。
今でも、死者を北枕にするのは、釈迦の入滅の故事に由来しています。当時インドでは、北には楽園があるとされていたからです。講話で聞いた話でした。お釈迦様の周りに弟子や生類たちが嘆き悲しむ姿を石組みで表しています。
前回来た時、この涅槃の庭の前に座って、ゆっくり眺めていました。今日は、大人数のため無理でした。
また、書院の南にも庭園があって、説明で燈明寺石燈籠と書いてありました。
作者不明、鎌倉時代、山城国にあった燈明寺に伝わっていた石灯籠で、新町三井家宗山居士が同寺より入手、新町の同邸に置かれていたもので、1985年(昭和60)に当寺に寄贈されました。
そして、足早に、次にの随縁の庭へ案内されました。
最初の講話で随縁の庭が出てきました。「前回来た時、そんな庭あったっけ?」とずっと考えてました。
2010年(平成22)重森三玲の孫・重森千青氏によって作庭された、新しい庭でした。背後は、三井家の仏堂(位牌殿)で、四つ目の家紋をモチーフに作られています。
「随縁」とは、事象が縁に因って様々な現れ方をすることをいいます。
真如堂は、3月1日~31日まで、涅槃図と花車屏風図が公開されます。書院では、2年もかけて修復された「花車屏風図」を見学しました。最初の講話で、修復現場の写真で説明を受けました。江戸時代・狩野派の作品で、写真がないのが残念ですが、見応えありました。
書院の襖絵も足早に見学です。私は、前回ゆっくり見てるので良いですけど、大人数で時間が無いのは分かりますが。 ちなみに襖絵は、撮影禁止です。
書院の外を眺めながら歩いてると、多分茶室と四阿と思いますが、ありました。
いろいろ調べたんですけど、由来とか名前とか分かりませんでした。
ここでも2班に分かれているので、次に本堂で、涅槃図を見学します。
本堂と書院は、このような渡り廊下で結ばれています。
先ほど、講話をいただいた、執事様より、涅槃図を見ながら案内してもらいました。境内も堂内の涅槃図も一般の人も見られます。今日来られた人は、説明が聞けたので、ラッキーだったのでは。
三井家の寄進により、1709年(宝永6)に僧厭求や海北友賢らによって制作されたもので、縦6.2メートル、幅4.5メートルの大きなものです。(本堂内は撮影禁止のため、Google画像より)
この涅槃図の特徴は、描かれている動物が多いことで、その数127種類にも及んでいます。そして手向けの花を加えたり手に持ったりして、釈迦の死を悼んでる様子が描かれています。それと涅槃図では、描かれない猫の姿がも描かれているのが特徴です。
この涅槃図は、平成21年から2年の歳月をかけて、埃や汚れなどが取り除かれ色鮮やかに修復されました。前回の修復は、明治の時だったらしい。こせで鑑賞会は終わりです。もう一度庭を見に行くの良し。境内を散策するのも良し。自由解散となりましした。
最後に真如堂さんより、お土産を貰いました。花供曽(はなくそ)と言います。
正月にご本尊にお供えした鏡餅を小さく刻んで軽く焼き、黒砂糖をからめて菓子にしたものです。 講話でこの話もされました。それにしてはなくそと言い変わった名前に笑ってしまいました。これは仏様への供養を意味するんです。
鑑賞会に参加すると、お土産もいただきます。上記の花供曽の他に、大涅槃図の絵葉書もいただきました。この一年いろんな鑑賞会に参加させてもらいました。普段、見られないものを説明付きの鑑賞ができるので、2時間は早かったです。また次はどのようなものを見られるのか楽しみです。
スライドを見ながら分かりやすく、また面白く話されました。この講話で何度も話されたことは、「真如堂は、紅葉の名所です。しかも紅葉を見るのに拝観料は入りませんし、大変お得です」と。本当、境内を真っ赤に染める紅葉は、自由に見られます。ただ、人はすごく多いですけど。 私は、桜の時期にも来てますが、桜綺麗です。
そしてここでも2班に分かれます。私は、お庭を先に見ることになりました。本堂を出て長い渡り廊下を歩いて、書院に出ます。順路はいろいろありますが、案内されたのが、講話でも話された涅槃の庭です。
東山を借景にしています。ここから見ると大文字山がはっきり見えています。
1988年(昭和63)、曽根三郎氏によって作られた庭で、東山三十六峯を借景に,釈迦の頭北面西、右脇下に臥すしておられる涅槃の姿が石組みで表わされています。
今でも、死者を北枕にするのは、釈迦の入滅の故事に由来しています。当時インドでは、北には楽園があるとされていたからです。講話で聞いた話でした。お釈迦様の周りに弟子や生類たちが嘆き悲しむ姿を石組みで表しています。
前回来た時、この涅槃の庭の前に座って、ゆっくり眺めていました。今日は、大人数のため無理でした。
また、書院の南にも庭園があって、説明で燈明寺石燈籠と書いてありました。
作者不明、鎌倉時代、山城国にあった燈明寺に伝わっていた石灯籠で、新町三井家宗山居士が同寺より入手、新町の同邸に置かれていたもので、1985年(昭和60)に当寺に寄贈されました。
そして、足早に、次にの随縁の庭へ案内されました。
最初の講話で随縁の庭が出てきました。「前回来た時、そんな庭あったっけ?」とずっと考えてました。
2010年(平成22)重森三玲の孫・重森千青氏によって作庭された、新しい庭でした。背後は、三井家の仏堂(位牌殿)で、四つ目の家紋をモチーフに作られています。
「随縁」とは、事象が縁に因って様々な現れ方をすることをいいます。
真如堂は、3月1日~31日まで、涅槃図と花車屏風図が公開されます。書院では、2年もかけて修復された「花車屏風図」を見学しました。最初の講話で、修復現場の写真で説明を受けました。江戸時代・狩野派の作品で、写真がないのが残念ですが、見応えありました。
書院の襖絵も足早に見学です。私は、前回ゆっくり見てるので良いですけど、大人数で時間が無いのは分かりますが。 ちなみに襖絵は、撮影禁止です。
書院の外を眺めながら歩いてると、多分茶室と四阿と思いますが、ありました。
いろいろ調べたんですけど、由来とか名前とか分かりませんでした。
ここでも2班に分かれているので、次に本堂で、涅槃図を見学します。
本堂と書院は、このような渡り廊下で結ばれています。
先ほど、講話をいただいた、執事様より、涅槃図を見ながら案内してもらいました。境内も堂内の涅槃図も一般の人も見られます。今日来られた人は、説明が聞けたので、ラッキーだったのでは。
三井家の寄進により、1709年(宝永6)に僧厭求や海北友賢らによって制作されたもので、縦6.2メートル、幅4.5メートルの大きなものです。(本堂内は撮影禁止のため、Google画像より)
この涅槃図の特徴は、描かれている動物が多いことで、その数127種類にも及んでいます。そして手向けの花を加えたり手に持ったりして、釈迦の死を悼んでる様子が描かれています。それと涅槃図では、描かれない猫の姿がも描かれているのが特徴です。
この涅槃図は、平成21年から2年の歳月をかけて、埃や汚れなどが取り除かれ色鮮やかに修復されました。前回の修復は、明治の時だったらしい。こせで鑑賞会は終わりです。もう一度庭を見に行くの良し。境内を散策するのも良し。自由解散となりましした。
最後に真如堂さんより、お土産を貰いました。花供曽(はなくそ)と言います。
正月にご本尊にお供えした鏡餅を小さく刻んで軽く焼き、黒砂糖をからめて菓子にしたものです。 講話でこの話もされました。それにしてはなくそと言い変わった名前に笑ってしまいました。これは仏様への供養を意味するんです。
鑑賞会に参加すると、お土産もいただきます。上記の花供曽の他に、大涅槃図の絵葉書もいただきました。この一年いろんな鑑賞会に参加させてもらいました。普段、見られないものを説明付きの鑑賞ができるので、2時間は早かったです。また次はどのようなものを見られるのか楽しみです。