会津藩ゆかりの金戒光明寺へ

3月17日(日)に、現在放送中のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、第7回ドラマ紀行の中で紹介された、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に行ってきました。

金戒光明寺は通常非公開ですが、『第47回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開』で、公開されました。と言っても、最近は秋の紅葉時期には必ず公開されているので、そんなに珍しくはありません。

金戒光明寺に着いて、山門が工事中でした。これは知りませんでした。そのため少しだけ遠回りして、御影堂に向かう石段を登ります。

画像
この階段は、テレビドラマで使われますし、桜の時期には絵になるので、撮影スポットでもあるんです。正面に見えているのが御影堂(本堂)の屋根です。

拝観入口のある御影堂を通り過ぎて、綺麗な梅が咲いていたので、そちを見にいくことに。勅使門前です。

画像
奥に見えているのが、大方丈です。

その横にあるのが、熊谷次郎直実(蓮生法師)鎧掛の松があります。

画像
平家物語での平敦盛との一騎打ちでお馴染みの熊谷次郎直実は、1193年(建久4)ここ黒谷の法然上人を尋ね、方丈裏の池(鎧池)にて鎧を洗いこの松の木に鎧を掛け出家したと伝わっています。

金戒光明寺は、1175年(承安5)、法然上人が念仏を広めるために浄土宗最初の念仏道場を開いた地で、通称「くろ谷さん」と親しまれています。

そして、いよいよ御影堂に。2010年1月以来3年降りの訪問となります。

画像
画像
拝観受付は、入って左手にありました。今朝は冷え込みましたが、所用のため最初からお昼過ぎに着きました。特別公開と言っても、秋には毎年公開されてたりするので、珍しくはありませんが、それにしても、拝観者は多かったです。

堂内では、普段は、山門に安置されている釈迦三尊、釈迦 文殊、普賢岳と十六羅漢を間近で見ることができます。前途しました山門が工事中のためで、山門の特別公開時でも中が薄暗いので、こんなに近くで見ることは稀だそうです。

御影堂でガイドさんから説明を受けたあと、次に大方丈へ向かいます。

画像
御影堂から渡り廊下で、大方丈に移動します。

その前に前庭が広がっており、先ほど写真を撮った梅と勅使門がありました。

画像
1936年(昭和11)に再建されました。ここにある「謁見の間」では、近藤勇らが松平容保に拝謁し新撰組が誕生した当時の風情を伝えています。

NHK大河ドラマ「八重の桜」第7回放送で、紹介されましたが、会津藩主松平容保は、家臣1千人を率いて1862年(文久2)12月24日午前9時頃、京都三条大橋に到着しました。このあと、京都所司代・京都町奉行の出迎えを受け、本陣となった黒谷・金戒光明寺に至る間、威風堂々とした会津軍が約4㎞も続いたという。

何故、京都守護職の本陣に金戒光明寺が選ばれたのか? 

一つは、城構えです。有事の時に軍隊が配備できるように、黒谷と知恩院には、それと分からないように城構えとしてました。黒谷が自然の要塞で、当時は天王山や淀川まで見渡せたようです。

二つは、京都御所まで約2㎞、三条大橋の粟田口まで約1.5㎞で、馬で走れば5分、人でも15分で行けたそうです。

三つは、当時、約4万坪の大きな寺域に52もの宿坊があり、一千名の軍隊が駐屯できたことです。


以上、大方丈に置いてあった資料からの抜粋です。ガイドさんの話も、少し前に放送されたことを思い出しながら、見学してました。また、会津藩墓地で撮影した各界要人と新島八重さんの写真が展示してありました。

大方丈の角の部屋には、「虎の間」があり。

画像
保田金僊筆によるもので、襖の開閉によって見え方が変わる面白い絵です。(室内は、写真禁止のため、看板を撮りました)

このあと、再び、靴を履いて、紫雲の庭を見学します。

画像
画像
画像
画像
法然上人の生涯を石で表現を回遊式庭園となっており、「幼少時代 美作の国」「修業時代 比叡山延暦寺」「浄土開宗 金戒光明寺の興隆」を三つの部分に分けて構成してあります。

ここまでは、前回もありましたが、昨年2012年6月に完成したご縁の道を進みます。

画像
画像
画像
画像
私は知りませんでしたが、昨年、NHKのTV番組「仕事ハッケン伝」にて、麒麟の川島明さんが庭造りに挑んだ場所でもあり、その模様が放映されたようです。

2012年4月、浄土宗大本山黒谷・金戒光明寺で法然上人の800年大遠忌の記念事業として、作庭された庭で、前回の訪問時は、まだできてませんでした。ここの東屋から紫雲の庭の全景が見渡せます。

回遊式の庭園になっているので、再び大方丈に戻ってきます。その庭園入口付近には、茶室がありました。

紫雲亭(上)と花峯庵(下)です。

画像
画像
花峯庵の横には、鹿威しがあって、風流な音を響かせていました。

庭から大方丈に戻って、渡り廊下を通って御影堂に戻ってきました。これで拝観コースは終わりで、御影堂を出ました。しかし、このまま帰るのはもったいないので、三重の塔会津藩墓地を見て帰ることにしました。

その三重の塔に登る階段手前に、江供養塔と書いてある看板を見つけました。

画像
画像
一昨年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主人公の供養塔です。家光の乳母である春日局が、江の死後追善菩提のため建立され、遺髪が納められています。2010年1月の訪問時には、この看板は無かったかと思います。

そして、階段を再び登り、三重の塔(重要文化財)が見えてきました。

画像
1633年(寛永10)に徳川秀忠菩提の為に建立された。運慶作と伝えられる本尊・文殊菩薩、脇侍像を安置し文殊菩薩を本尊としたため「文殊塔」とも呼ばれています。

この三重の塔から100㍍先に、会津墓地があります。

画像
画像
画像
3年前も、この三重の塔から真如堂に行ったんですが、会津墓地の前を通りました。少し不安があったんですが、この道順を示す石碑があったので、迷わずに行けました。

金戒光明寺は、会津藩主・松平容保の京都守護職の本陣となり、墓地には会津藩殉職者が埋葬されています。 大方丈で見た新島八重さんの写真は、ここで撮られたのでしょうか?

このあと、3月9日に訪れた真如堂に行き、そこから帰路につきました。ドラマは、始まったばかっかりで、この先楽しみにしています。 なお京の冬の旅は、3月18日(月)に終わりました。゜



この記事へのトラックバック