大涅槃図が公開された東福寺 仏殿へ
東福寺 光明院を出て、次に大涅槃図が公開されてる東福寺 仏殿へ向かいました。2年前にも来ましたが、光明院・三門・仏殿を廻ってみようと思ってここまで来ました。
普段は非公開の仏殿も、毎年3月14日~16日に「大涅槃図公開」のため、中にいれます。ちなみに拝観料は、無料です。
靴を脱いで堂内に入って、天井を見上げると、堂本印象作の蒼龍図を目にします。
京都画壇を代表する堂本印象によって蒼龍図が描かれました。このように法堂内の龍図を写真に撮れるところは少ないです。多くの拝観者が天井に向けて、写真を撮っていました。
1861年(明治14)12月16日の夜に大火災によって法堂・仏殿・方丈・庫裏が火災で焼失したあと、半世紀たった1934年(昭和9)に再建されました。その時、蒼龍図も描かれました。
そして仏殿の正面には、明兆作の大涅槃図が掲げられています。
明兆57歳の作(縦15㍍、横7.5㍍)。入滅した釈迦のまわりで仏弟子・動物たちが嘆き悲しむ光景が精力的に描かれています。
ここで、この大涅槃図では猫の姿があります。他の涅槃図では描かれないと書いてありました。しかし、先日真如堂で見た大涅槃図にも描かれていましたし、天龍寺の涅槃図にも描かれていました。 他に泉涌寺と嵯峨釈迦堂を見ましたが、こちらは確認してません。他は、どうなんでしょうね。
先述しましたが、明治の大火災によって、多くの伽藍が消失しました。それまで、東福寺の仏殿には、本尊の釈迦如来像(高さ7.5㍍)があって、奈良の大仏と同じぐらいの像高で、新大仏と呼ばれていました。そして消失を免れた左手が安置されています。
左手は2㍍近い大きさで、当時の巨大な姿が偲ばれます。
涅槃図や仏像を見ていると、突然、尺八の音色がして、振り向くと
虚無僧さんが、尺八を吹いていました。
この東福寺でも花供御(はなくそ)を見かけました。
また、堂内には、朱印所もあって朱印をいただいて、ここを出ました。この日は、暖かい日が続いた前日と違い、北風が強く吹く、寒い一日で、お坊さんも書きにくそうにされていました。
この仏殿の前に、同じ特別公開さている三門にも寄りました。
天気も良いし、「登ったら見晴らしいいだろうなぁ」と思って、2年前にも登ってますが、入ろうと受付までいくと、係の人から「内部も風景も撮影禁止です」と案内されました。
2年前は、内部は撮影禁止でしたが、外の風景は自由に撮れました。それなのに撮影禁止と言われたので、拝観料を払わず、引き返しました。この2年間で何があったんてしょうか?。2年前の写真が貴重なものなりました。
帰りは、京阪「東福寺駅」まで行き、帰路につきました。その途中にあった臥雲橋から見た通天橋です。
モミジの東福寺と言われる風景は、この渓谷が真っ赤に染まるからでしょう。このように秋以外は、閑散としています。
普段は非公開の仏殿も、毎年3月14日~16日に「大涅槃図公開」のため、中にいれます。ちなみに拝観料は、無料です。
靴を脱いで堂内に入って、天井を見上げると、堂本印象作の蒼龍図を目にします。
京都画壇を代表する堂本印象によって蒼龍図が描かれました。このように法堂内の龍図を写真に撮れるところは少ないです。多くの拝観者が天井に向けて、写真を撮っていました。
1861年(明治14)12月16日の夜に大火災によって法堂・仏殿・方丈・庫裏が火災で焼失したあと、半世紀たった1934年(昭和9)に再建されました。その時、蒼龍図も描かれました。
そして仏殿の正面には、明兆作の大涅槃図が掲げられています。
明兆57歳の作(縦15㍍、横7.5㍍)。入滅した釈迦のまわりで仏弟子・動物たちが嘆き悲しむ光景が精力的に描かれています。
ここで、この大涅槃図では猫の姿があります。他の涅槃図では描かれないと書いてありました。しかし、先日真如堂で見た大涅槃図にも描かれていましたし、天龍寺の涅槃図にも描かれていました。 他に泉涌寺と嵯峨釈迦堂を見ましたが、こちらは確認してません。他は、どうなんでしょうね。
先述しましたが、明治の大火災によって、多くの伽藍が消失しました。それまで、東福寺の仏殿には、本尊の釈迦如来像(高さ7.5㍍)があって、奈良の大仏と同じぐらいの像高で、新大仏と呼ばれていました。そして消失を免れた左手が安置されています。
左手は2㍍近い大きさで、当時の巨大な姿が偲ばれます。
涅槃図や仏像を見ていると、突然、尺八の音色がして、振り向くと
虚無僧さんが、尺八を吹いていました。
この東福寺でも花供御(はなくそ)を見かけました。
また、堂内には、朱印所もあって朱印をいただいて、ここを出ました。この日は、暖かい日が続いた前日と違い、北風が強く吹く、寒い一日で、お坊さんも書きにくそうにされていました。
この仏殿の前に、同じ特別公開さている三門にも寄りました。
天気も良いし、「登ったら見晴らしいいだろうなぁ」と思って、2年前にも登ってますが、入ろうと受付までいくと、係の人から「内部も風景も撮影禁止です」と案内されました。
2年前は、内部は撮影禁止でしたが、外の風景は自由に撮れました。それなのに撮影禁止と言われたので、拝観料を払わず、引き返しました。この2年間で何があったんてしょうか?。2年前の写真が貴重なものなりました。
帰りは、京阪「東福寺駅」まで行き、帰路につきました。その途中にあった臥雲橋から見た通天橋です。
モミジの東福寺と言われる風景は、この渓谷が真っ赤に染まるからでしょう。このように秋以外は、閑散としています。