建仁寺「開山堂(旧)護国院と浴室」文化財特別公開へ

京都最古の禅寺建仁寺の開山堂(旧護国院)楼門の修復記念として普段は,非公開の開山堂(旧護国寺)・禅宗寺院七堂伽藍の一つ浴室などが特別公開されたので、行ってきました。

建仁寺境内の東南にある開山堂の正面には、宝陀閣と呼ばれる楼門が建っています。

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この奥に開山堂がありますが、手前の楼門・宝陀閣が3年の歳月をかけて修復されました。その修復記念として、開山堂・客殿・浴室が特別に公開されました。3月16日(土)~3月24日(日) 10時~16時 拝観料700円

宝陀閣は、1885年(明治18)に鳴滝の妙光寺から移築されたもので、江戸中期の建立と考えられています。

開山堂の公開と聞いて訪れましたが、拝観入口は、ここではありませんでした。開山堂と両足院の間にある表門開山堂の入口でした。

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ここから入るのは、予想してませんでしたが、「前からここは、何んだろうと」と思っていました。

開山堂は、古くは興禅護国院と呼ばれた建仁寺開山の栄西禅師の塔所(廟所)で旧護国院とも呼ばれました。

門を入ったら客殿玄関があって、そこに拝観受付がありました。

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京都市文化観光資源保護財団の主催のため、会員の私は招待されました

入ると「京都の文化財を守る会」のガイドさんより案内があります。先日、真如堂の特別鑑賞会で案内してもらったガイドさんもおられました。そして嬉しいお知らせがあって、開山塔の内部以外は、客殿内部も外観も写真はOKとのことでした。(但し、フラッシュはNGです)

玄関を入って最初に目にする部屋には、「白梅群禽図」が。

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この前でガイドさんより、最初案内があります。作者は、原在中(1750~1837)と説明されました。

次に、中央の室中の間(仏間)は加藤文麗の「龍虎図」の襖絵が見られます。

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本尊は赤旃檀(しゃくせきだん)釈迦如来像が祀られています。嵯峨釈迦堂の本尊・釈迦如来像の模刻と案内されました。西側の襖絵は虎が竹林にうずくまる姿が。また、東側には雲間に現れた龍が力強く描かれていました。

仏間の次の部屋には、「松鶴波図」が。

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この障壁画と杉戸絵の「孔雀図」も原在中の作品です。

次に、開山塔へ移動します。そして開山塔から見た、客殿(方丈)です。

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妙心寺塔頭寺院の玉龍院の客殿(方丈)を1877年(明治10)に移築されたもので、1805年(文化2)の建築と伝わっています。

ここでガイドさんより、年号が寺の名前になったが3つあって、建仁寺(1202年・建仁2年)、仁和寺(886年・仁和2年)、延暦寺(788年・延暦7年)だそうで、知らなかったです。

客殿から渡り廊下を通って、開山塔に入ります。

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建仁寺で最も重要な霊域で、内部はもちろん撮影禁止です。月初めは仕事で早朝(6時30分過ぎ)に、この建仁寺を通ることもあります。その時に宝陀閣が開いて、隙間から開山塔が見えることもあります(冬場は暗くて無理です)。その中から、お経が聞こえてきて、すごい厳粛な空気が漂ってきます。

開山塔は、開山栄西禅師の塔所(墓所)として、1884年(明治17)に竣工。前方から礼堂・相の間・祠堂で構成されています。

開山塔から見た宝陀閣と左に経蔵が見えています。

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開山塔の前庭には、栄西が宋から持ち帰ったと伝わる菩提樹が3本残っているらしい。

そして客殿から見た経蔵です。

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ここの内部は公開されませんでした。貰ったパンフレットにも外からの見学と書いてあったので、納得です

1885年(明治18)建仁寺の塔頭寺院で、現在は廃寺となった瑞光庵の建築であった開山昭堂の古材をもって修復されたものです。1837年(天保8)経蔵の消失により大半の蔵経も消失。たまたま供覧のため経蔵から持ち出された49缶の蔵経が難を逃れ、現在も残されています。

開山堂の見学は、ここまでです。滅多に公開されることがないので、ゆっくり見学させてもらいました。そして、ここで一旦、外に出ます。拝観受付で参観券を貰っているので、それを持って、隣の浴室に向かいます。

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普段は、このように扉は固く閉まっています。この日は、3月19日でしたが、しだれ桜のつぼみは、今にも咲きそうなほど膨らんでいました。【追記、3月21日は、7分咲きてした。そして4月3日現在、葉桜の一歩手前です。】

浴室は、1628年(寛永5)の建立と伝えられ庫裏南東で近年まで至っていましたが、損傷が激しく倒壊の恐れがあったため、1997年(平成9)から解体し復元修理に合わせて、創建当時の山門南東に戻し、2002年(平成14)に完成しました。

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ここにも受付があって、先ほどの参観券を見せます。そして判子を押してから中に入ります。そして入口には、跋陀波羅菩薩像(ばったばらぼさつぞう)がありました。相国寺の浴室で見たのと多分同じだと思います。

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ここでもガイドさんより、丁寧な説明がありました。ここに移築後は、この浴室は使われていません。

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湯気で体を暖める蒸風呂であったようで、冬場は寒かっただろうと想像できます。

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下に降りることはできませんが、ここが焚き口です。

相国寺・妙心寺と建仁寺のお風呂を見てきましたが、どれも同じようなものですね。大阪から京都に転勤して5年が過ぎました。その頃から建仁寺には、昼休みにお邪魔することが多くなり、開山堂や浴室を「公開されないかなぁ」と見てましたが、今日、念願が叶った気分です。

ガイドさんの話でもあったように、柱のあちこちに修理のあとがありました。よほど傷みが激しかったのが分かります。



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