旧長州藩邸跡に建つ明治の数寄屋建築 廣誠院 再び
4月9日(火)の夜間ライトアップで訪れた廣誠院。今度は4月13日(土の朝に訪れました。
この日の5時33分に淡路島で大きな地震が起こりました。テレビを見ていたら、緊急地震速報が流れ、私は慌ててストーブを消し身構えたんですが、ドーンと音はしましたが揺れませんでした。しかし15年前の阪神淡路大震災の恐怖が脳裏をよぎりました・・・。
今日は病院で診察を受けたのあと、廣誠院に向かう予定でした。病院でも交通機関が止まった影響で、バタバタされてましたが、予定してた時間に終わって、地下鉄で京都市市役所前まで行き、そこから木屋町通りを歩いて廣誠院に向かいました。
高瀬川沿いに八重桜が綺麗に咲いています。廣誠院の奥に見えているのが、京都ホテルオークラです。
拝観時間が午前10時から。その2分前に表門に着きました。
この門は、10時に開きました。夜間と同じ、ここでも一番でした。(別に狙ったわけではありません。今日は病院から来たので、10時に間に合うとは最初から思っていませんでした。)
朝日を浴びた庭は「夜と違った表情を見せてくれる筈」と言いたいところ、昨年の秋に特別公開で来てました。
夜間ライトアップの時にもお話しましたが、京都古文化保存協会主催だった昨年の秋の公開では、写真撮影は禁止でした。 今回の京都文化協会では、自由に撮らしてくれます。有り難いことです。
天気予報が快晴でしたが、その通りになりました。ただ今日は、先日のライトアップと違って、次々に拝観者が入って空いてたのは、ほんの数分でした。
伊集院兼常の作庭技術の素晴らしさは、庭園の池に反射する光まで計算していることです。
本当は、書院の障子にスクリーンのように映し出されますが、障子は全開でみられません。
軒に光り当たって、キラキラきらめいて美しいです。計算ずくで作庭したとは驚きです。
書院から広間へ移動しますが、夜間ライトアップの時は真っ暗で何も見えなかった茶室です。
夜間では躙口が閉まっていましたが、今日は開いてました。
広間から庭に降りてみました。しかし、夜間ライトアップと同じで、庭の奥には行けません。「昼間なら行けるのかなぁ」と僅かな希望を持って来ましたが、残念でした。庭越しに見る書院も綺麗なんですけど・・・。
せっかく躙口が開いているので、茶室を除いてみました。
広間ではお茶の接待があって「お茶が入りました」と言われて、振り向くとお茶とお菓子が出されました。
夜間ライトアップとの時は、もらい損ねました。お菓子は落雁でしたが、美味しくいただきました。
広間から書院に戻ってくると、大勢の拝観者が次の間で、ビデオを見ていました。
暫く見てて直ぐに分かりました。毎週・日曜日に放送されている『京の美遺産』(午前6時15分~30分MBS毎日放送)で廣誠院が紹介されたときのものです。毎週楽しみに見ているので、最後までじっくり見てせてもらいました。なお、奥は仏堂です。前回の夜間の時は閉まっていました。
先ほどのビデオで聞いた話を見て廻ります。夜間では見えずらかった書院の中も今日は、はっきり見えています。先ず掛け軸は、山崎益洲老師筆だったと思います。
昨年秋の特別公開では、ここでガイドさんから説明を聞いたんですが、何も覚えていません。混んでたこともありますが、綺麗な庭を撮れないことにガックリきてたからかも。
襖絵は、「雪中三獣図」森狙仙筆。
これは書いてあったんで、間違いないです。
その上を見ると、先ほど聞いた欄間がありました。
親交が深かった元老山県有朋から送られたそうで、菊桐紋をすかしてあります。
次の間にあった、クリミア戦争を描かれた裂地を使った地袋。内容はビデオで聞きました。
伊集院兼常は、座布団入れに使ってたそうです。
その上にある袋棚に描かれているのは「廷内遊楽図」です。
この使用目的は忘れました。それにしても、「こんなの撮っていいのかなぁ」と思ってしまいます。ですから複製かも知れませんね。説明が無いのでなんとも言えませんが・・・。
最後に、大久保利通から送られた扁額です。
それにしても幕末から明治維新の偉人たちが駆け抜けた痕跡が確かに残っています。
この廣誠院は、臨済宗の単立寺院です。夜間ライトアップの時から気になっていましたが、寺らしきものが無かったんです。でも今日は、仏堂が開いてました。
聞くと、住職さんは外から来られるみたいで、ここには住んでないようです。
外に出たら、八重桜の他に、山吹も咲き始めてます。
高瀬川沿いには、幕末から明治維新にかけての歴史ポイントがたくさんあります。
廣誠院から下がってずくには、佐久間象山遭難之碑です。(右・佐久間象山。左・大村益次郎)
供を一人だけ連れて馬で三条木屋町筋を通行中、尊王攘夷派の河上彦斎、前田伊右衛門らに暗殺されました。この模様は、NHK大河ドラマ「八重の桜」第11回ドラマ紀行で紹介されました。
今年は例年になく早く桜が咲きました。GWには躑躅が満開となるでしょう。(それも早いかも) 今回は京都文化協会の主催でした。 このような通常非公開の特別公開を今後も期待したいです。今後の活動に注目ですね。
夜間ライトアップの模様は、こちらから→https://mahopika.seesaa.net/article/201304article_7.html
この日の5時33分に淡路島で大きな地震が起こりました。テレビを見ていたら、緊急地震速報が流れ、私は慌ててストーブを消し身構えたんですが、ドーンと音はしましたが揺れませんでした。しかし15年前の阪神淡路大震災の恐怖が脳裏をよぎりました・・・。
今日は病院で診察を受けたのあと、廣誠院に向かう予定でした。病院でも交通機関が止まった影響で、バタバタされてましたが、予定してた時間に終わって、地下鉄で京都市市役所前まで行き、そこから木屋町通りを歩いて廣誠院に向かいました。
高瀬川沿いに八重桜が綺麗に咲いています。廣誠院の奥に見えているのが、京都ホテルオークラです。
拝観時間が午前10時から。その2分前に表門に着きました。
この門は、10時に開きました。夜間と同じ、ここでも一番でした。(別に狙ったわけではありません。今日は病院から来たので、10時に間に合うとは最初から思っていませんでした。)
朝日を浴びた庭は「夜と違った表情を見せてくれる筈」と言いたいところ、昨年の秋に特別公開で来てました。
夜間ライトアップの時にもお話しましたが、京都古文化保存協会主催だった昨年の秋の公開では、写真撮影は禁止でした。 今回の京都文化協会では、自由に撮らしてくれます。有り難いことです。
天気予報が快晴でしたが、その通りになりました。ただ今日は、先日のライトアップと違って、次々に拝観者が入って空いてたのは、ほんの数分でした。
伊集院兼常の作庭技術の素晴らしさは、庭園の池に反射する光まで計算していることです。
本当は、書院の障子にスクリーンのように映し出されますが、障子は全開でみられません。
軒に光り当たって、キラキラきらめいて美しいです。計算ずくで作庭したとは驚きです。
書院から広間へ移動しますが、夜間ライトアップの時は真っ暗で何も見えなかった茶室です。
夜間では躙口が閉まっていましたが、今日は開いてました。
広間から庭に降りてみました。しかし、夜間ライトアップと同じで、庭の奥には行けません。「昼間なら行けるのかなぁ」と僅かな希望を持って来ましたが、残念でした。庭越しに見る書院も綺麗なんですけど・・・。
せっかく躙口が開いているので、茶室を除いてみました。
広間ではお茶の接待があって「お茶が入りました」と言われて、振り向くとお茶とお菓子が出されました。
夜間ライトアップとの時は、もらい損ねました。お菓子は落雁でしたが、美味しくいただきました。
広間から書院に戻ってくると、大勢の拝観者が次の間で、ビデオを見ていました。
暫く見てて直ぐに分かりました。毎週・日曜日に放送されている『京の美遺産』(午前6時15分~30分MBS毎日放送)で廣誠院が紹介されたときのものです。毎週楽しみに見ているので、最後までじっくり見てせてもらいました。なお、奥は仏堂です。前回の夜間の時は閉まっていました。
先ほどのビデオで聞いた話を見て廻ります。夜間では見えずらかった書院の中も今日は、はっきり見えています。先ず掛け軸は、山崎益洲老師筆だったと思います。
昨年秋の特別公開では、ここでガイドさんから説明を聞いたんですが、何も覚えていません。混んでたこともありますが、綺麗な庭を撮れないことにガックリきてたからかも。
襖絵は、「雪中三獣図」森狙仙筆。
これは書いてあったんで、間違いないです。
その上を見ると、先ほど聞いた欄間がありました。
親交が深かった元老山県有朋から送られたそうで、菊桐紋をすかしてあります。
次の間にあった、クリミア戦争を描かれた裂地を使った地袋。内容はビデオで聞きました。
伊集院兼常は、座布団入れに使ってたそうです。
その上にある袋棚に描かれているのは「廷内遊楽図」です。
この使用目的は忘れました。それにしても、「こんなの撮っていいのかなぁ」と思ってしまいます。ですから複製かも知れませんね。説明が無いのでなんとも言えませんが・・・。
最後に、大久保利通から送られた扁額です。
それにしても幕末から明治維新の偉人たちが駆け抜けた痕跡が確かに残っています。
この廣誠院は、臨済宗の単立寺院です。夜間ライトアップの時から気になっていましたが、寺らしきものが無かったんです。でも今日は、仏堂が開いてました。
聞くと、住職さんは外から来られるみたいで、ここには住んでないようです。
外に出たら、八重桜の他に、山吹も咲き始めてます。
高瀬川沿いには、幕末から明治維新にかけての歴史ポイントがたくさんあります。
廣誠院から下がってずくには、佐久間象山遭難之碑です。(右・佐久間象山。左・大村益次郎)
供を一人だけ連れて馬で三条木屋町筋を通行中、尊王攘夷派の河上彦斎、前田伊右衛門らに暗殺されました。この模様は、NHK大河ドラマ「八重の桜」第11回ドラマ紀行で紹介されました。
今年は例年になく早く桜が咲きました。GWには躑躅が満開となるでしょう。(それも早いかも) 今回は京都文化協会の主催でした。 このような通常非公開の特別公開を今後も期待したいです。今後の活動に注目ですね。
夜間ライトアップの模様は、こちらから→https://mahopika.seesaa.net/article/201304article_7.html