紫織庵(旧川崎家住宅)へ
京都ハリスト正教会を出て、さらに南に下ります。そして御池通りを西向かい新町通りを下るとほどなくして、右手に紫織庵(旧川崎家住宅)に着きました。
この日は7月15日(月・祝)で、祇園祭りのため交通規制がしかれており人通りは多かったです。
祇園祭特別公開『紫織庵の屏風祭』(7月14日・15日・16日 開館時間 午前10時~午後10時)が開かれてて、前から是非行きたかったところでした。入館料は500円でした。
江戸時代後期に典薬まで昇進した荻野元凱がこの地で開業していた医院は明治時代まで使用されていました。1926年(大正15)、豪商・四代目井上利助氏が元凱時代をそのままに、最新のライト様式のモダンな洋間を加えて新築し、1965年(昭和40)~1997年(平成9)まで川崎家が本宅兼迎賓館として引き続き使用されていました。
門を入ったところに受け付けがあって、入館料を払います。そして玄関から入りますが、入口と出口が別になっており、靴は番号札を渡されて係の人に預けることになります。玄関は3ヶ所あったらしく、客人用・家人用・使用人用と使い分けられていたそうです。
入る時に撮影についての注意があって、展示されている屏風・掛け軸は撮影禁止。それ以外は何を撮ってもOKとのことでした。京都らしいく玄関には祇園祭りの厄除け粽が貼ってあります。我が家もそうで、良くみかけます。
入ってすぐ洋間を見学しました。
洋館部分は、武田五一が設計しました。洋館外壁は石灰岩とタイルが貼られ、内部は電熱式暖炉を設け、内装の木部はすべてチーク材が使用されてるそうです。
次に茶室です。
数寄屋の名工・上坂浅次郎が手がけた茶室です。祇園祭りのため入場者が多いので狭い茶室の中は混雑しました。
茶室の前は綺麗で手入れさた庭がありました。冷房が効いているので、扉は閉まっています。その広縁のガラス戸はすべて建築当初の『波打ちガラス』で、一枚も破損していてないそうです。
1階には客間と仏間があって祇園祭りの屏風など展示してありました。多くの人が見学してて、中にはスマートフォンで撮影してる人もいましたが、入口で注意があったので、私は撮ってないので写真はありません。
1階の奥に蔵があるので、そちらに向かいますが、そのまえに説明書があって、織部マリア灯篭とありました。
竿の上部が左右に張り出しているので十字架に似せ、下部にはマリア像が彫られています。写真では分かずらいですね。古田織部がキリシタン信者や茶人の好みに合うように創作したものと伝わっています。
そして蔵の入口です。
ここでは商品の販売所でした。私も着物屋で育ったんで、反物とかみると懐かしく昔のように巻いてみたくなりました
(昔できましたが、今は・・・
)。
次に2階に上がりますが、昔ながらの京町屋の雰囲気がたまらなく良いです。
左手にあるのが、織部マリア灯篭です。
その蔵の手前に庭師用出入りのトンネルがありました。
玄関から庭へ庭師や大工か出入りできるようにトンネルになっているそうです。
特に案内があるわけでもないので、勝手に見て廻ります。「2階に上がれましたか?」と声をかけてもらいました。
幅の広い階段です。私の昔の家の階段に似ていたので、友人がよく落ちたことを思い出しました
。
上がったら早速洋間サロンに
入ったら、誰も居なかったので写真を撮れました。蓄音機や暖炉・ステンドグラスをはめ込んだ窓・シャンデリアなど、大正ロマンの贅を尽くした造りとなっており、ゆっくり見せてもらいました。
そして窓を見るとカーテン越しに見えるのは・・・・。
帰って写真を見ると殆どわかりませんが、祇園祭りの提灯が肉眼でははっきりと確認できたんですが・・・。
そしてこんなものがありました。鉾見台です。
山鉾巡行時に、鉾や山は紫織庵前の新町通りを通って帰ってきます。その鉾や山を見るために設けられた当家専用の観覧席です。
今では、7月17日に有料(22000円)で40名限定で見学できるようです。(要予約)
2階には広間と鉾見台の部屋があって、ここでも屏風や掛け軸・着物の展示がありました。クーラーが効いてて涼しかったです。
2階から見た庭です。
2階から新町通りを見ているので、祇園祭りの提灯が見えています。
1階2階を見て廻り汗も引いたので、ここを出ました。
左手が洋館の外壁です。新町通りの人通りは絶えません。このあと、祇園祭りの厄除け粽を買いに菊水鉾に行くわけです。
紫織庵を出たら目の前にあるのが八幡山です。
ここに来て、紫織庵の全景を撮ろうとしましたが、これがあったので撮れ無かったです。2階の洋間サロンから見えてた提灯はこれでした。
普段は予約で拝観できますが、普段見られない屏風や掛け軸なんかも見られるし、予約不要だし、人の多いのは予想できましたが、行って正解でした。やっと行けて念願かないました。

この日は7月15日(月・祝)で、祇園祭りのため交通規制がしかれており人通りは多かったです。
祇園祭特別公開『紫織庵の屏風祭』(7月14日・15日・16日 開館時間 午前10時~午後10時)が開かれてて、前から是非行きたかったところでした。入館料は500円でした。
江戸時代後期に典薬まで昇進した荻野元凱がこの地で開業していた医院は明治時代まで使用されていました。1926年(大正15)、豪商・四代目井上利助氏が元凱時代をそのままに、最新のライト様式のモダンな洋間を加えて新築し、1965年(昭和40)~1997年(平成9)まで川崎家が本宅兼迎賓館として引き続き使用されていました。
門を入ったところに受け付けがあって、入館料を払います。そして玄関から入りますが、入口と出口が別になっており、靴は番号札を渡されて係の人に預けることになります。玄関は3ヶ所あったらしく、客人用・家人用・使用人用と使い分けられていたそうです。
入る時に撮影についての注意があって、展示されている屏風・掛け軸は撮影禁止。それ以外は何を撮ってもOKとのことでした。京都らしいく玄関には祇園祭りの厄除け粽が貼ってあります。我が家もそうで、良くみかけます。
入ってすぐ洋間を見学しました。
洋館部分は、武田五一が設計しました。洋館外壁は石灰岩とタイルが貼られ、内部は電熱式暖炉を設け、内装の木部はすべてチーク材が使用されてるそうです。
次に茶室です。
数寄屋の名工・上坂浅次郎が手がけた茶室です。祇園祭りのため入場者が多いので狭い茶室の中は混雑しました。
茶室の前は綺麗で手入れさた庭がありました。冷房が効いているので、扉は閉まっています。その広縁のガラス戸はすべて建築当初の『波打ちガラス』で、一枚も破損していてないそうです。
1階には客間と仏間があって祇園祭りの屏風など展示してありました。多くの人が見学してて、中にはスマートフォンで撮影してる人もいましたが、入口で注意があったので、私は撮ってないので写真はありません。
1階の奥に蔵があるので、そちらに向かいますが、そのまえに説明書があって、織部マリア灯篭とありました。
竿の上部が左右に張り出しているので十字架に似せ、下部にはマリア像が彫られています。写真では分かずらいですね。古田織部がキリシタン信者や茶人の好みに合うように創作したものと伝わっています。
そして蔵の入口です。
ここでは商品の販売所でした。私も着物屋で育ったんで、反物とかみると懐かしく昔のように巻いてみたくなりました


次に2階に上がりますが、昔ながらの京町屋の雰囲気がたまらなく良いです。
左手にあるのが、織部マリア灯篭です。
その蔵の手前に庭師用出入りのトンネルがありました。
玄関から庭へ庭師や大工か出入りできるようにトンネルになっているそうです。
特に案内があるわけでもないので、勝手に見て廻ります。「2階に上がれましたか?」と声をかけてもらいました。
幅の広い階段です。私の昔の家の階段に似ていたので、友人がよく落ちたことを思い出しました

上がったら早速洋間サロンに
入ったら、誰も居なかったので写真を撮れました。蓄音機や暖炉・ステンドグラスをはめ込んだ窓・シャンデリアなど、大正ロマンの贅を尽くした造りとなっており、ゆっくり見せてもらいました。
そして窓を見るとカーテン越しに見えるのは・・・・。
帰って写真を見ると殆どわかりませんが、祇園祭りの提灯が肉眼でははっきりと確認できたんですが・・・。
そしてこんなものがありました。鉾見台です。
山鉾巡行時に、鉾や山は紫織庵前の新町通りを通って帰ってきます。その鉾や山を見るために設けられた当家専用の観覧席です。
今では、7月17日に有料(22000円)で40名限定で見学できるようです。(要予約)
2階には広間と鉾見台の部屋があって、ここでも屏風や掛け軸・着物の展示がありました。クーラーが効いてて涼しかったです。
2階から見た庭です。
2階から新町通りを見ているので、祇園祭りの提灯が見えています。
1階2階を見て廻り汗も引いたので、ここを出ました。
左手が洋館の外壁です。新町通りの人通りは絶えません。このあと、祇園祭りの厄除け粽を買いに菊水鉾に行くわけです。
紫織庵を出たら目の前にあるのが八幡山です。
ここに来て、紫織庵の全景を撮ろうとしましたが、これがあったので撮れ無かったです。2階の洋間サロンから見えてた提灯はこれでした。
普段は予約で拝観できますが、普段見られない屏風や掛け軸なんかも見られるし、予約不要だし、人の多いのは予想できましたが、行って正解でした。やっと行けて念願かないました。