2013年 祇園祭 菊水鉾へ
今日7月17日は、祇園祭のハイライト山鉾巡行があります。14日(日)が宵々々山、15日(月・祝)が宵々山(22万人)、16日(火)が宵山(27万人)と3連休にも恵まれたこともあって、大変な人出となったようです。
それにしても雷が大暴れした14日と15日でしたが、私は15日の午前中に祇園祭りに行ってきました。
祇園祭りでは毎年、厄除け粽(ちまき)を何処の鉾や山にするかが楽しみの一つです。そして今年は菊水鉾にしました。
ここに来るまで何カ所か廻りました。そして四条通り室町を上がったところにある菊水鉾までやってきたわけです。
例年なら暑い暑い祇園祭りですが、この日は涼しかったと言えば嘘になるかも知れませんが、風が吹いててそんなに暑さは感じませんでした。朝方まで強い雨が降ったのも良かったのかも知れません。
そして菊水鉾で厄除け粽を買い、その中に拝観券も入っていたので、鉾に登ることにしました。下に粽を買ったテントと、拝観入口が見えています。そこからビルの入口で靴を脱ぎ袋に入れて階段を上がります。
一方通行(ここでは左側通行)の渡り廊下を通って、鉾に入ります。次から次から入ってこられるのでどうしても渋滞します
。
室町通りの北側を見ています。夜になれば提灯に燈がともって、コンチキチンと祇園囃子がなって祭りが盛り上がります。
今度は、室町通りを南、四条通りの方向です。この辺りは、京都繊維関係の中心地です。
鉾の中は、そんなに広くありません。どうしても外国人を始め、中で記念写真を撮られるので身動きがとれなくなります。動く美術館と称されるだけに内装も綺麗です。
中ではゆっくりできないので、早々にここを出ました。お昼前でしたが、見物客は多かったです。
菊水鉾の由来について、町内にある千利休の師、武野紹鴎の愛用した名水「菊水の井」で名付けられました。また、菊の露を呑んで700年の長寿を得たという故事により作られた能楽の枕慈童(菊慈童)を祀ったのが菊水鉾の始まりです。
ここ菊水鉾に来るまでに、北観音山・南観音山・放下鉾・月鉾を見た来ました。写真は放下鉾です。
ここも登ったことがないので、「登ってみようかなぁ」と思いましたが、今年は最初から菊水鉾と決めてたので・・・。
この日は最高気温も30℃以下でした。こんな涼しい祇園祭りも珍しいです。この粽で今年一年、何事もなく過ごせたらと願っています。

それにしても雷が大暴れした14日と15日でしたが、私は15日の午前中に祇園祭りに行ってきました。
祇園祭りでは毎年、厄除け粽(ちまき)を何処の鉾や山にするかが楽しみの一つです。そして今年は菊水鉾にしました。
ここに来るまで何カ所か廻りました。そして四条通り室町を上がったところにある菊水鉾までやってきたわけです。
例年なら暑い暑い祇園祭りですが、この日は涼しかったと言えば嘘になるかも知れませんが、風が吹いててそんなに暑さは感じませんでした。朝方まで強い雨が降ったのも良かったのかも知れません。
そして菊水鉾で厄除け粽を買い、その中に拝観券も入っていたので、鉾に登ることにしました。下に粽を買ったテントと、拝観入口が見えています。そこからビルの入口で靴を脱ぎ袋に入れて階段を上がります。
一方通行(ここでは左側通行)の渡り廊下を通って、鉾に入ります。次から次から入ってこられるのでどうしても渋滞します

室町通りの北側を見ています。夜になれば提灯に燈がともって、コンチキチンと祇園囃子がなって祭りが盛り上がります。
今度は、室町通りを南、四条通りの方向です。この辺りは、京都繊維関係の中心地です。
鉾の中は、そんなに広くありません。どうしても外国人を始め、中で記念写真を撮られるので身動きがとれなくなります。動く美術館と称されるだけに内装も綺麗です。
中ではゆっくりできないので、早々にここを出ました。お昼前でしたが、見物客は多かったです。
菊水鉾の由来について、町内にある千利休の師、武野紹鴎の愛用した名水「菊水の井」で名付けられました。また、菊の露を呑んで700年の長寿を得たという故事により作られた能楽の枕慈童(菊慈童)を祀ったのが菊水鉾の始まりです。
ここ菊水鉾に来るまでに、北観音山・南観音山・放下鉾・月鉾を見た来ました。写真は放下鉾です。
ここも登ったことがないので、「登ってみようかなぁ」と思いましたが、今年は最初から菊水鉾と決めてたので・・・。
この日は最高気温も30℃以下でした。こんな涼しい祇園祭りも珍しいです。この粽で今年一年、何事もなく過ごせたらと願っています。