重要文化財 特別公開 妙心寺 天球院方丈障壁画へ
通常非公開の妙心寺 塔頭 天珠院の方丈障壁画(重要文化財)のデジタル複製画8面が完成したことを記念し、期間限定ですが公開されることになったので早速、5月25日(土)公開初日に行ってきました。
※次の日に富士旅行に行ったこともあって、公開のタイミングが大幅に遅れました。 最近の猛暑の影響や病気を発症したこともあって、日の目を見ることに。この猛暑では、出掛ける気もおこらない。
5月25日(土) ~6月9日(日) 10時~15時 拝観料 1000円(京都文化協会賛助会員はカード提示で800円)
天珠院へは、嵐電「妙心寺」駅から行きました。天珠院は妙心寺境内の北門近くにあるのと、嵐電は定期で乗れるので 公開時間の10時に間に合うように家を出ましたが、少しだけ早く着きました。妙心寺は何度も来てるので、たくさんある塔頭寺院でも迷うことはありません。北門を少し下がったところにある山門です。
拝観受付は、山門に中にあって、文化協会賛助会員カードを見せて、800円で入りました。本当は廣誠院のように無料を期待したんですが・・・。
この山門の写真は、以前に撮りだめしていてたものです。うっかり山門の写真だけ忘れて帰ってしまいました。 帰りの嵐電「妙心寺」の途中で思いだしたんですが、引き返しませんでした。実は、明日と明後日に重要なことがあるので、早く帰る必要があったためです。
9年前に公開されたみたいですが、私は初めです。山門から唐門まで少し長い石畳が・・・。
右手に古井戸と庫裏を見ながら進むと・・・。
背丈の低い白い花が咲いてましたが、何だろう・・・。
庫裏の玄関前には、一休さん
その一休さんの前には、何やら石碑が・・・。暗の文字が・・・。
開門前に待っていた先客は2名でした。そのあと私が、その後はなかなか来られなかったので、ゆっくり写真は撮れました。そして本堂への入口にあたる唐門です。
重要文化財に指定されています。
そして本堂です。
この中に、障壁画が公開さています。
その本堂前庭です。
入口で由緒書きは貰いましたが、詳しいことが書いてないので殆ど分かりません。この庭園のこともです。見ると手前が牡丹が植わっていたので、その時期には綺麗なんでしょう。
そして本堂に上がって、副住職さんに御朱印をお願いしました。住職さんは・・・仏間で、MBS放送のインタービューを受けられてました。公開初日で、早速メディアの取材ですね。この模様はお昼のニュースで放送されてました。(残念ながら私は映ってません。3番目か5番目ぐらいの拝観者が放送されてました。残念と言うよりホッとが本音です。)
障壁画は撮影禁止と描いてありました。本物と見比べても分からないぐらいに精巧に出来ています。本物は順次、京都国立博物館に寄託される予定だそうで、その方が良いのかも知れません。
方丈障壁画は天球院が創建された1631年(寛永8)に、狩野山楽と山雪が制作したとされています。この度キヤノンと京都文化協会が共同でデジタルカメラで撮影し、高精細の印刷をした上で西陣の伝統工芸士が金ぱくを施しています。2016年までに金地ふすま絵全56面の複製化を終える予定だそうです。
この天珠院が公開されることは、いろんなメディアが放送しました。上の写真は、その一部から拝借しました。
完成した複製は「竹に虎図襖」4面とその裏に描かれた「朝顔図襖」4面で、昨年11月から作業を進め、天球院の久下保建住職(66)は「最高の技術で忠実に再現された」と話されてました。
三間だけの公開で、茶室や血天井は非公開でした。そのため、そんなに長くは居ませんでした。何故なら明日から富士山の旅行に出掛けるし、まだ準備もしてなかったので。こんな晴天も今日までだったのが、つくづく残念な気持です。
天珠院は、妙心寺塔頭で、1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が伯母天球院のため建立。開山は江山景巴。本堂(重文)は玄関をつけた大型方丈形式で、江戸時代方丈建築の典型とされています。
今回の特別公開のあと、春と秋に公開される予定だそうです。次に茶室や血天井が公開されたら再訪はあるかと思いますが、私は、この公開で充分楽しめました。
※次の日に富士旅行に行ったこともあって、公開のタイミングが大幅に遅れました。 最近の猛暑の影響や病気を発症したこともあって、日の目を見ることに。この猛暑では、出掛ける気もおこらない。
5月25日(土) ~6月9日(日) 10時~15時 拝観料 1000円(京都文化協会賛助会員はカード提示で800円)
天珠院へは、嵐電「妙心寺」駅から行きました。天珠院は妙心寺境内の北門近くにあるのと、嵐電は定期で乗れるので 公開時間の10時に間に合うように家を出ましたが、少しだけ早く着きました。妙心寺は何度も来てるので、たくさんある塔頭寺院でも迷うことはありません。北門を少し下がったところにある山門です。
拝観受付は、山門に中にあって、文化協会賛助会員カードを見せて、800円で入りました。本当は廣誠院のように無料を期待したんですが・・・。
この山門の写真は、以前に撮りだめしていてたものです。うっかり山門の写真だけ忘れて帰ってしまいました。 帰りの嵐電「妙心寺」の途中で思いだしたんですが、引き返しませんでした。実は、明日と明後日に重要なことがあるので、早く帰る必要があったためです。
9年前に公開されたみたいですが、私は初めです。山門から唐門まで少し長い石畳が・・・。
右手に古井戸と庫裏を見ながら進むと・・・。
背丈の低い白い花が咲いてましたが、何だろう・・・。
庫裏の玄関前には、一休さん
その一休さんの前には、何やら石碑が・・・。暗の文字が・・・。
開門前に待っていた先客は2名でした。そのあと私が、その後はなかなか来られなかったので、ゆっくり写真は撮れました。そして本堂への入口にあたる唐門です。
重要文化財に指定されています。
そして本堂です。
この中に、障壁画が公開さています。
その本堂前庭です。
入口で由緒書きは貰いましたが、詳しいことが書いてないので殆ど分かりません。この庭園のこともです。見ると手前が牡丹が植わっていたので、その時期には綺麗なんでしょう。
そして本堂に上がって、副住職さんに御朱印をお願いしました。住職さんは・・・仏間で、MBS放送のインタービューを受けられてました。公開初日で、早速メディアの取材ですね。この模様はお昼のニュースで放送されてました。(残念ながら私は映ってません。3番目か5番目ぐらいの拝観者が放送されてました。残念と言うよりホッとが本音です。)
障壁画は撮影禁止と描いてありました。本物と見比べても分からないぐらいに精巧に出来ています。本物は順次、京都国立博物館に寄託される予定だそうで、その方が良いのかも知れません。
方丈障壁画は天球院が創建された1631年(寛永8)に、狩野山楽と山雪が制作したとされています。この度キヤノンと京都文化協会が共同でデジタルカメラで撮影し、高精細の印刷をした上で西陣の伝統工芸士が金ぱくを施しています。2016年までに金地ふすま絵全56面の複製化を終える予定だそうです。
この天珠院が公開されることは、いろんなメディアが放送しました。上の写真は、その一部から拝借しました。
完成した複製は「竹に虎図襖」4面とその裏に描かれた「朝顔図襖」4面で、昨年11月から作業を進め、天球院の久下保建住職(66)は「最高の技術で忠実に再現された」と話されてました。
三間だけの公開で、茶室や血天井は非公開でした。そのため、そんなに長くは居ませんでした。何故なら明日から富士山の旅行に出掛けるし、まだ準備もしてなかったので。こんな晴天も今日までだったのが、つくづく残念な気持です。
天珠院は、妙心寺塔頭で、1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が伯母天球院のため建立。開山は江山景巴。本堂(重文)は玄関をつけた大型方丈形式で、江戸時代方丈建築の典型とされています。
今回の特別公開のあと、春と秋に公開される予定だそうです。次に茶室や血天井が公開されたら再訪はあるかと思いますが、私は、この公開で充分楽しめました。